赤鯨の通る所

まゆはき

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厭世観を食べよう

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九回死んでも死ねないなんて、それはそれは可哀想な話だ。
けれど、私はそれ以上死んだって死ねない。可哀想を通り越して、逆に憎らしい。
「お前、よく気が触れねえよな。」
「何が?」
「…………。」
千切れた足を放って、役割を見失った膝をするりと撫でる。そうすれば、断面から血管のようなツルが伸びて次の瞬間には元通り。
ほら、大丈夫でしょう?と見せつけるように両手を広げてみせれば、彼は不機嫌そうに眉をひそめて、私から目をそらした。
「それ、どうにかならねえのかよ。腐ってるから切るとか、……」
「だって歩きづらいんだもの。死ぬわけじゃないし、いいでしょう?」
それとも死んでほしいの?と聞いたら、より顔が険しくなった。がり、と首元の包帯を搔く音が鈍く落ちる。
「……こんな熱いとこ、はやく離れるか。」
「あら、もういいの?」
「死体もねえし、腐りやすいんだろお前。見てて気分いいもんじゃねえんだよ。」
「死ぬわけでもないのに?」
「んだよ。そんなに死にてえのか?」
「そうね、貴方が羨ましいわ。」
地面に置いていたショルダーバッグをずるずると手元に引き寄せて、彼は返事もしないでその中身を漁り始める。それを横目に、私は明日には見れなくなってしまうだろう森林からの空を見上げた。
海の境に防波堤があるからか、はたまた季節がそうなのか。段々と赤道に近づいているからか、ここは随分と暖かいらしい。彼が首の包帯を何度も替えているのもそのせいだろう。私の腐った身体を千切って治すのもそうだ。死体に植物が半分混じっているものだから、人間の残った部分が腐るとどうにも上手く働かないらしい。
雑多に座った場所には、ぽつぽつとアサガオやらユリやらが並んでいる。元はどういう場所だったのか、……倒れた狐の石像から見るに、神社かお寺でもあったのか。この地面が日本のものかは知らないけれど、人間なんて誰もいないのにカミサマも律儀なものだ。
この地面の上に、生きたい人間なんて人っ子一人いないのに。
「……おい、ここで寝るなよ。」
ふと、隣でごそごそやっていた彼がそう声を投げかけてくる。無言になったのはそっちの癖に、と思いながら「寝ないわよ」と返したら、押し付けるように何かを渡された。
ぎらぎら目にまぶしい、銀紙に包まれた四角いもの。
「…………何これ。」
「チョコ。」
「チョコ?」
「それでも食って待ってろよ、俺も包帯直すから。」
「……腐ってない?」
「身体腐ってるとか言うやつが何言ってんだ。」
こちらを見ようともせず、彼はお目当ての包帯をショルダーバッグから取り出して、胡坐をかいた膝の上に。リンゴの皮をむくみたいに、首に巻いた汗に濡れた包帯を地面に落としていく。
「何、人間じゃないみたいな言い方ね。」
「現にそうだろ。嫌なら捨てろよ、入れっぱなしになってたやつだから。」
「へえ。」
そんなものを乙女に渡すなんて、全くもってなってない。まあ、この人は私なんて眼中にないだろうし、納得はいくけれど。
世界がこうなってから大体半年か。色んな所をまわってきた上に、今いる場所は湿度も高ければ温度も高い。指先で剝がしていけば、案の定どろりとねばついた感触が薄い紙越しに伝わった。本当なら、むせかえるぐらいの甘い匂いがしているのだろう。
「…………そういえば、あの子もチョコ、好きだったわ。」
なんとなく呟く。返事はなかった。それで良かった。
脳裏をよぎらずにそのまま張り付いて居座る、そう遠くはない記憶。近所の薄暗い神社の中、本殿から逸れた小さな建物の中。どうやら狐が祀られているらしいその場所で、彼女は石段の上に座りながら、賽銭箱の裏に座った神様ご本人を撫でていた。私曰く、「撫でるのは流石に無礼なんじゃないの?」と。彼女はひとつも表情を変えないで、私なんかいないものみたいに無言を決め込んだ。まあひどい話でも、そこが好きだった。何も余計なことを言わないところが大好きだった。
たまの放課後に寄るその場所を、彼女はひと時の休息に使っているらしかった。帰り道にある駄菓子屋でチョコを買ってつまんだり。落ちた木の葉と赤点のテストを賽銭箱に丸めて入れていた。道端で千切ったユリの花を落ちていた空き缶にさして飾っていた。迷い込んだ野良猫を撫でながら、「可哀想」なんて言っていた。そういえばその時だけだったかな、その場で喋ったのは。
「可哀想、って。野良猫だから可哀想なんて、そんなことはないんじゃないの?」
ふわふわの顎を手で撫で付ければ、幸せそうに目を細める。普通なら愛おしさに少しでも微笑むところなのだろうけれど、やっぱりあの子の顔は少しも変わらなかった。
形の良い唇が動きかけて、閉じて。……それから、息を吸って。
「…………九個命があるって。言うでしょ?」
……ああ、なるほどな、と。
体温の伴わない綺麗な声が紡いだその言葉に、深く納得した。確かに、九回死んでも死ねないなんて、少し可哀想かもしれない。

そういえば、その猫はあの数日後に、神社の近くの道路でひかれて死んでいた気がする。そこにあの子はいなかったし、すぐに大人たちが回収して行ったから知らないだろうけど。
たった二十一グラム。命がある分だけ掛け算されるなら、私は一体何グラムなのやら。
「…………げ。」
「何?」
「…………マジで食ったの。」
「マニアがあげたのに。」
「まさか本当にやるとは思わねえだろ。なんだ、胃も腐ってんのか。」
「そうじゃない?」
「冗談きついぞ。」
溶けたチョコレートのこびりついた銀紙をぐしゃっと丸めて見せれば、彼は「馬鹿か」と言いながらそれを私の手から取り上げた。
「美味いもんでもねえだろが。」
「美味しかったわよ?」
「噓つけ。」
「本当、本当。」
だって、どうせ死なないじゃない。海に沈んだって、死ねるか怪しいもの。美味しい美味しくないなんて、そんなの。
銀紙がそのままショルダーバッグの中に吸い込まれるのを横目に、懐かしい綺麗なオートマタのような姿を思い出す。
…………今の私は可哀想かしら。
ずっとずっと死にたいのよ、本当に。だって本当は、貴女と心中した時に死んで終わりだったんだから。

チョコを食べて死ねるなら、そうだったら良かったのに。


【厭世観を食べよう】
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