赤鯨の通る所

まゆはき

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降り積もったそれ故に

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降り始めた雪を仰いでため息をひとつ。白い息になったそれが風に流れて頬をうつ。生温かく湿り気のある感触に思わず顔をしかめた。
前にいた場所は丁度いい気温をしていたのに、数キロ歩けばこの寒さだ。次行く場所がどうなっているのかもしれない。おそらく、四季などとっくにあの赤い鯨にでも食われたか海にでも飲み込まれたかしたのだろう。
睫毛に乗った雪が溶けたのを拭って、横に広がる海景色へと視線を移す。
如何やらこの辺りはまだ色々と生き残っていたらしく、赤い鯨が通るのを見るよりも先に、半分水没した船が見える。海沿いにはひび割れた道路が続き、傾いた街灯がなんとかその道路を縁取っている。
こんなに物が残っているなら人間も、とは思わないが。
「着いたわよ。鯨さん見てないで、お相手さん探しに集中しなさいな。」
「…………うるせえな。」
前に聞こえた声に悪態をつけば、「酷い言いよう」とくすくす笑われる。そんな彼女はもうすでに数歩階段を下りていて、その先には視界に映るだけでも数体の死体が転がっていた。
どうやら、港近くの広場か何からしい。中央に枯れた噴水があり、円状に広がる階段をいくらかの街灯が囲んでいる。光が灯っているように見えるのは、どうやら気温知らずの蛍が群がっているらしかった。
「すごい血の臭いだと思ったけれど、まさかこんな死屍累々状態なんてねえ。探せそうかしら?」
「搔き分ければいけるだろ。」
「不謹慎ね。」
「どうせ埋葬する人間も悼む人間もいねえだろ。……血の臭い辿ってくれたのは助かった。あとはオレがやるから。」
「はいはい。いつものことでしょう?」
彼女はそう言って微笑むと、言われた通りにその場に座りこんだ。地面は雪にさらされて相当冷たいだろうに、スカートで剝き出しになった太ももに雪が触れても、彼女は表情ひとつ変えやしない。それが有り難いようで、気味が悪くて。さっと目を背けて、オレは、もう随分と見慣れてしまった人の塊へと向かった。
乾いた血。___寒さのせいで全くと臭いは感じない。ただ、ぐちゃりと腐った肉を踏む音と感触はあった。
(……左手首か、左手を。)
最初こそ吐き気すらしていた作業をこなす。
転がった死体の左手か、手が吹き飛んでいたら手首。腕ごとなくなっていたら服。顔。性別すら分からないものが殆どだから、大抵は遺留物で判断する。とは言っても、あいつを見間違うことなどないのだから、そう注意して見ずともすぐに分かるのだが。
これも違う、これも、これも。手に雪と肉と土がこびりつく。嫌悪感なんてない。そんなもの、とっくに凍ってしまった。
吐いた息が、重力に逆らって上に流れて顔に当たる。湿り気が目に直撃して、一度上体を起こして腕で顔をこすった。視界に、光る街灯が映る。
(…………クリスマスツリーみてえだな。)
しんしんと降り続ける雪が光にあたって、まるで街灯がひとつのクリスマスツリーのように見える。
決して綺麗ではないそれに、ふと、懐かしい記憶が脳内をよぎった。
(クリスマス、あいつはいつも楽しみにしてたっけ。)
サンタさん来た?と無邪気に笑う顔を思い出す。
毎年、学校の修了式はクリスマスの日だった。だからその日は皆話題が大抵クリスマスの話になって、あいつは毎回のようにサンタの話を持ち出していた。高校生にもなれば、サンタなんてただの架空おじさんだってことぐらい知っているだろうに。毎年、毎年、無邪気にそう聞くものだから。「来てねえよ」って返したら、「じゃあ今年も二人でプレゼント交換だね」なんて言って笑うから。世のカップルくらいにその日が好きだった。笑顔が、あいつの笑った顔が、薄く赤色に染まる頬が、ふにゃりと崩れる目尻が、雪で湿っていつもよりしっとりした髪が、その下できらきら輝く亜麻色が、好きだったから。
「綺麗ね、蛍。」
呟く声に振り向くと、女はこちらを見て微笑んでいた。
「季節外れよね。これも異常気象の一種でしょうけど、……雪の中の蛍っていうのも、イルミネーションみたいで。」
「……綺麗か?」
「あら、マニアには綺麗に見えないの?じいっと見てた、……違うものでも見てたのかしら。」
ふふ、と笑う声に思わず舌打ちをする。相変わらず察しがいい。
「ねえ、何を見ていたの?」
「…………。」
「だんまり?」
「コイビト探しに集中しろっつったのはオマエだろ。」
「あら、いいじゃないの、少しくらい。恋バナは楽しいわよ?」
「オマエの恋人はもういねえだろ。」
「嫌ね、愛人って言ってほしいわ。」
紅い目を細めて、彼女は笑う。これは言うまでからかわれるヤツだ、とまた舌打ちをこぼした。
こんな奴に思い出を語るつもりはない。……もう叶うこともないことを口にしたって、あいつが生きて出てくるわけがない。
ふわふわ揺れる蛍の光を見つめながら、帰り道に寄ったショッピングを、貰ったプレゼントを、見えたイルミネーションを、隣で顔を輝かせるあいつを思い出す。思い出して、言葉にする前にかき消した。
「…………クリスマス、終わったかな、って。」
雪はずっと振り続けている。声が白い息になって頬にかかって、また腕で拭う。女がどんな顔をしているかは、見ていなかったから知らない。
だが、すぐ後ろで聞こえた声は、笑ってはいなかった。
「終わらないわよ、きっと。」
__聞こえない振りをした。

これとかどう?と、あいつが手を伸ばす。
すっぽりと腕にはまったそれは、もふもふの毛並みをしたクマのぬいぐるみ。毛並みがそれなのに、顔は何とも言えないいかつさをしていて、なんでだよと言えば「似てる」と返された。不服だ。
じゃあお前はこれだ、と、オレは目に付いたひとつを手に取る。ふんわりもふもふの茶色い毛並みをした犬のぬいぐるみ。くりくりの目ときゅっと縮こまった唇がなんとも可愛らしいそれを見せて、「似てるだろ」と笑えばむっと口を尖らせる。ほら、そういうとこだ。
くつくつと喉奥で笑っていれば、「じゃあこれになっちゃうからね!いいの!?」と食い気味に言われた。いい年した男子学生が二人クリスマスにぬいぐるみ交換なんて、馬鹿もイイトコロだろう。
だが、どうにも、……半ば勢いで手に取ったぬいぐるみが、お互いに似てるものだから。
「じゃあ、そのクマオレが買うから、それはお前のプレゼントにしろよ。」
「ぼくがその犬買ってマニアにあげるってこと?」
「そ。」
「…………んふふ。」
「んだよ。」
「んー?」
なんでもない、と笑う。可愛いと思ってしまうオレは、とっくのとうに手遅れだ。
何度だって思う。何度だって見ない振りをする。何度だって聞こえないふりをする。心の奥に降り積もる雪を。
「これ、どこに置こうかなあ。」
記憶から消えない笑顔が、何度でも、オレの心に降り積もってしまう。

【降り積もったそれ故に】
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