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第五章 たった一人の兄と妹
ーメイー⑤
しおりを挟むそれからすぐに、卒業式がやって来た。
会場は入学式が行われたのと同じ講堂だった。入学式に出席していた時の私は、まさかその先の未来がこんな風になっているなんて想像できただろうか。卒業という事実以上に、そのことを考えていた。
隣に座る吉永さんやその隣の下川さんは、華やかな袴に身を包んでいた。キラキラと輝いて、私には眩しすぎるくらいだ。
そして、反対側の隣には山内君が座っている。
三月十四日、山内君が私の家で待っていた時以来、なんとなく山内君と普通に接することができなくなっている。
もしかして、山内君は私のこと――。
そんなことを思う自意識過剰さが嫌だけれど、もし、本当にそうだったとしたらこれまでみたいに慣れ慣れしく接することなんて出来ない。
彼を男として見ることは出来ない。それだけは確かなこと。だったら、少しも期待させてはいけないのだと思う。
本当にただの自意識過剰だったらよいのに――。
心の底からそう思う。
山内君は、この四年、いつも気付けば傍にいて、なんでもないことで笑い合った。私が隠し持つ闇が深くて淫らな分だけ、善良な山内君となんでもないように笑い合えることが、私という人間を唯一”ただの女子大生”にしてくれていたような気がする。
血の繋がらない、普通なら恋愛の対象になる人間と性別を気にせずにかかわることで、本来なら性的対象になどなり得ない実の兄と交わって汚れた分を帳消しにでもしていたつもりなのだろうか。
そんなあさましい自分に、死にたくなる。
山内君とは、この卒業を機に距離を置かなければ――。
いつものように私の近くにいる山内君を隣に感じながら、そう心に決めていた。
式を終えて、クラスのみんなとの飲み会になった。
結局最後は一番気心知れた人間同士が自然と集まって来る。八王子駅近くの、皆で良く来た居酒屋に集合した時には、それぞれが既に酔っていた。
「では、学生最後の日、大いにはじけようぜっ」
誰かがはしゃいでそう声を張り上げている。みんながそれぞれ社会人へとなって行く。学生という、気楽な身分への名残惜しさを、騒ぐことでこの瞬間だけでも忘れていたいのかもしれない。
でも、私は、ずっとこの日を待っていた。早く、兄には自分のことだけを考えてほしいと思っていたかった。
皆の集まりの中にいても、少しだけ温度差を感じている自分がいた。
「それにしても、そろそろ山内とくっついてやってもいいんじゃない?」
隣にどかっと座って来たのは、久枝君だった。入学したばかりの頃に行われれた親睦会以来、あまり話したことはない。久枝君の頬が少し赤い。ここに来るまでに相当飲んで来たのだろう。
「長谷川さんに変な男がくっつかないように、あいつが陰でどれだけ動いてたか知らないでしょ? この四年を振り返ってみなよ。長谷川さん、そんなに美人なのにろくに男に言い寄られたことないだろ?」
「それは……」
この四年、誰からも想いを寄せられたことはない。そのことに疑問なんて感じたことはなかった。
思わずちらりと私の対角線上に座っている山内君の方に視線を向ける。周りを女子に囲まれている。
「多分、長谷川さんは、山内のことは男として見てないんだろう? もし好きだったらこんな状況にはなってないはずだからな。でも、他に特別な人がいないんだったら、別にあいつでいいじゃん。誰も彼もが一番好きな奴と付き合っているわけじゃない」
一番好きな人と付き合っているわけじゃない――。
その言葉だけが私の胸に響く。私が一番に想っている人、それは間違いなく兄だ。
でも、兄は――。
「おまえ、なんで今頃、また長谷川さんに?」
別の場所で飲んでいたはずの山内君が私たちの正面に立っていた。
「そんな怖い顔しなくても、ただ話してただだけだよ。ホント、おまえの目は長谷川さんを見るためだけにあるのかね」
久枝君が大袈裟に溜息をついて腰を上げた。そして、どこかへと行ってしまったからら山内君と二人だけになる。
「……あ、もうこんな時間だ。そろそろ帰らないと。みんなはまだ飲んで行くでしょ? お先に失礼するね、じゃあ」
どうしても山内君と目を合わせられない。吉永さんたちには後でメールでもすればいい。私は逃げるようにその店を後にした。
「メイ、待って」
八王子駅前の賑わいの中で、山内君の声が一際響く。
「メイ、もしかして俺のこと、避けてる?」
山内君の手が乱暴に私の腕を掴んだ。
「避けてなんかいないよ――」
「嘘だ。俺が、メイの家の前で待ってた日から、なんとなくよそよそしいの気付いてる。俺が、変なこと言ったから?」
「別に……」
気付けば二人の間に距離が出来ていたーー。
そういう風にしたかった。卒業することがそのきっかけになると思っていた。
「あれさ、ホントに、別に深い意味なんてないんだ。だから、勘違いするなよ」
やけに明るい声が私に向けられる。必死に紡がれる矢継ぎ早の言葉が続いた。
「だから、これまで通り社会人になっても大学時代の友人ってことでさ」
「でも――」
「俺がそれでいいって言ってるんだ」
笑っていたその顔が、強張る。切羽詰まったような声に、私は何も言えなくなる。
「メイの傍にいて、笑い合って、俺はそれでいい。だから、勝手に離れて行くようなことするなよ」
「山内君、私――」
「分かってる。メイにとって一番心許せる男なのだとしたらその立場を失うようなことはしたくない。頼むよ」
突然頭を下げた山内君に唖然とする。
「や、やめてよっ! お願いだから顔を上げて」
「じゃあ、もう避けたりしないって約束してくれ」
「山内君……」
どうしたらいいのか分からない。
本当に、周囲と私の勝手な思い込みだと思っていいの? 友人だと、思っていいの……?
とにかく、頭を下げ続ける山内君をどうにかしたくて、言葉を放っていた。
「避けたりしないから、もう顔を上げて」
「本当か?」
その顔が心底安心したような顔で、私は胸が痛くなる。
なんとか山内君からも逃げ出してアパートに戻って来た。部屋の明かりはまだついていた。
兄がそこにいる――。
そう思ったら、駈け出さずにはいられなくなった。
「お兄ちゃんっ!」
「メイ。おかえり」
風呂から出たばかりなのだろうか、髪が少し濡れていた。私に向けられた目は、私を見ているようでどこを見ているのかはっきりしない。そんな感じだ。
日に日にその目が生気を失っている――。そう思うのは、ただの考え過ぎだろうか。
「ちゃんと、話したいって思って」
「何を?」
不思議そうに私を見つめる兄の真正面に立った。
「今日で、大学を卒業して来ました。これまで、いつも私のことを一番に考えてくれてありがとう。でも、もうこれからは自分のことを考えて」
高校、大学と、私は兄のおかげで卒業することが出来たのだ。親のいない私がまともに生活出来たのは、全部、兄の苦労の上にある。
「そうだな。メイは、学生でもなければ子どもでもない。立派な大人だ。もう、俺の役割は終わった」
その言葉に間違いはない。でも、なぜだろう。寂しく感じて、そして不安が心に灯る。まるで、もうこれまでとは違うと言われているみたいだ。
「これからは私もちゃんとお兄ちゃんの力になれる。お兄ちゃんも私を頼ってね」
すぐにそう言わずにはいられなかった。大人になったからと言って、兄から離れるのは嫌なのだ。
それだけは、絶対に。ずっと、いつもまでも傍にいたい――。
兄は、何も言わずに、ただ静かに微笑むだけだった。
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