雨の庭で来ぬ君を待つ【本編・その後 完結】

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第四章 五月雨

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 梅雨の初めは「本当に梅雨に入ったのだろうか」なんて思ってしまうほど雨がないなんてことも多い。でも、この年は、梅雨入りから雨が降り続いていた。

「雨、止まなかったね」

一通りの作業が終わり、軒下から空を見上げた春日井さんが呟く。

 この日は、私の引っ越しの日だった。結局、春日井さんの家で一緒に暮らすことになった。

『僕の家は、ずっと空き家にしていた知人のものなんだ。古いけど無駄に部屋の数はある。もし、この古さが気にならないなら同居するにはちょうどいいと思うんだ。これまでの君の住まいと距離もないし、生活を変えなくて済む』

それならと、春日井さんの家に越して来ることにした。

「今年の梅雨は長くなるかもしれませんね」

空を見上げている春日井さんの隣に立ち、私も雨の降る庭を眺める。引っ越しの日だからと晴れることを願っていたが、作業を終えてもまだ雨が土の地面を濡らす。
 この家は木造の平屋で、一人で暮らすには広い3LDKの間取りだった。他の個室と離れているからと、私に一番奥の洋間を貸してくれた。春日井さんの言う通り築年数がかなり経っているためか、廊下を歩くたびにみしみしと音を立てたりする。でも、古さはまったく気にならない。それどころか、どことなくレトロな雰囲気のするこの家を一目で気に入った。木製のドアには、正方形のお洒落なステンドガラスがはめられている。板が敷き詰められた洋間は、きっと建てたばかりの頃は、モダンなデザインだったに違いない。この街の住宅の密集具合は、それはかなりのものだ。戸建住宅は少しでも太陽の光を得ようと上へ上へと向かってか三階建てのものが多い。この家も、その住宅密集地のど真ん中にある。道路沿いから奥まった土地にあり、広くはないけれど庭があった。昔ながらの平屋のため縁側もある。その縁側から、庭を見渡せた。

「あの紫陽花、そろそろ咲きそうですね」

庭の一角に、大きな緑の葉を色濃くして今にも開きそうにしている紫陽花があった。

「庭の紫陽花、この家の持ち主が大事にしているみたいなんだ。空き家だったのに何故か紫陽花だけは気にかけていたみたいで。きちんと世話をするように言われてる。花なんて全然詳しくないんだけどなぁ」

苦笑して春日井さんが言う。

「それは、責任重大ですね」
「まったくだ――じゃあ、大体の作業は終わったし、先に話をしておこうか」

春日井さんが庭に背を向けて、居間へと移動した。私もそれに続く。居間として使われている板の間に、古いテーブルと年季の入った焦げ茶色のソファが置いてあった。テーブルを挟んで、二人掛けのソファと一人掛けのソファがある。春日井さんが一人掛けの方に座ったので、私は向かいの二人掛けソファに腰掛けた。

「まず、これがこの家の鍵。一緒に暮らしているとは言え、僕のことは一切気にしなくていい。キッチン、トイレ、風呂が共同のアパートとでも思ってくれればいいから。全部自由に使って。ただ、洗面室とトイレだけは使用中は鍵を必ずかけてくれ。間違えて入ってしまうと大変なことになる」
「はい。注意します」

つい笑ってしまうと、春日井さんが「笑い事じゃないんだよ」と大真面目に言った。

「――それから。ここは君の家でもある。だから、いつ樹君が来てくれても構わないから。そう、彼にも伝えておいて」
「え? あ……、はい」

少し躊躇いながらも頷く。遠慮したところできっと、春日井さんはまた私に気を遣うだけだ。

「じゃあ、よろしく」
「よろしくお願いします」

こうして、春日井さんとの”結婚生活”は始まった。



「無事に、今日、引っ越しが済んだよ」

その日の夜、樹に電話を掛けた。これからは、これまで以上にこまめに電話をしようと思っている。

(……そう。手伝いに行けなくてごめん)
「ううん。樹は練習があるし。また試合近いんだよね?」

日曜日はたいてい試合がある。それは十分すぎるほどに分かっている。

(むしろ、俺がいない方が好都合だった……?)
「どうして?」

同じ空間にいるわけでもないのに、その声が部屋の温度が下げる。

(どうして? そんなの自分の胸に聞けば?)

見えない相手から放たれる棘のある声に、言葉を一瞬失う。

「そんなの、手伝いがどうとか関係なく樹がいてくれるのが一番いいに決まってるよ」

棘のある冷たい声を上書きしたい。

(……その言葉が本当だったらいいのにね。それより、未雨に頼みがあるんだけど)

含みのある樹の言葉に反論すべきかどうか迷っていると、話題は変わった。消化不良な気持ちを押し止め、何もなかったように会話を続ける。

「頼み?」
(来週の土曜、こっちに来てよ。俺、練習どうしても休めないから)
「え? こっちって……」

樹の住む場所、それはつまり実家のある場所だ。これまで一度も、地元に戻って来てくれと私に頼んで来たことはない。それは、地元に私が行くということがどういうことかを分かっているからだ。

(大丈夫。家に帰って来いなんて言うつもりはないから)
「それでも、もしあの付近でお父さんやお母さんにばったり会ったりしたら――」
(新幹線の駅までは行くよ。駅前のホテルを取っておくから。絶対に来いよ。絶対にだ)
「ちょ、ちょっと待って!」

もう樹の声は聞こえなかった。ただ無機質な電子音だけが規則的に発せられる。土曜日は会社は休みだ。行けないことはない。でも、突然、どうしてそんなことを言い出したのか。考えれば考えるほど不安が膨らむ。樹と会えるのは嬉しいけれど、樹が私を呼び出した理由が、そんな甘いものではない予感がしてならなかった。



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