雨の庭で来ぬ君を待つ【本編・その後 完結】

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エピローグ

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「――糸原さんちょっと」

先輩社員、田中さんから名前を呼ばれて立ち上がる。

「はい、なんでしょうか」
「この前、チェックを頼んだ資料、ミスを見つけてもらって助かったよ。ありがとな」
「いえ、お役に立てて良かったです」
「それで、これもチェックお願いしたいんだけどいい? 急ぎなんだ」
「どれくらいで見ればいいですか?」
「一時間くらいで頼めるか?」

書類を受け取る。この程度の分量なら十分だ。

「はい、大丈夫です」
「サンキュ」

笑顔の田中さんに、私も勢いよく頭を下げる。

 自分の席に戻ると、すぐに受け取った書類に目を通す。この仕事がそのまま直接私の成果になるわけではない。でも、いろんな人間の手で仕事は成り立っている。一つ一つ小さなことを積み重ねながら、ひたすらに働いて来た。

「糸原さん、明日ランチしない? 駅前に出来た新しいカフェに行ってみようって言ってるんだけど」
「私も気になっていたんです。ぜひ」

隣の席の女子社員が声を掛けて来る。資料を捲る手を止めて、そう答えた。

「じゃあ、明日ね」

こうして時折、同僚とお昼を食べに行ったりする。他の人と助け合いながら仕事をして、たまには一緒に食事をして。以前は、自分だけがここに居場所がないと感じていた。でも、人は生きている以上、誰かと関わりながら生きている。

”大丈夫。君を分かってくれる人はいる。君はちゃんと社会の中で生きている"

そう春日井さんが言ってくれたから、その言葉を信じてやってきた。社会の中で、人の中に飛び込んで行って関係を築いて。精一杯仕事して一人で生活をしている。少しずつ、いろんな人と笑い合えるようにもなった。


 あれからすぐ、離婚届を提出しあの家を出た。家主の方は本当にいい人で、私のことも親身になって考えてくれた。私の立場も春日井さんの立場も、同じように思ってくれた。

『太郎は望んでいないかもしれないけど、私はあいつをまた探し出すつもりだ。見つけ次第あなたに知らせるよ』

その言葉はとてもありがたかった。でも、ただ春日井さんを見つけ出し会うだけではだめなのだ。

”君は、この先もたくさん笑える”

二人で行った海で、春日井さんは私に言ってくれた。

そうですね。私は、あなたと別れて二年、以前よりもっと笑えるようになりました。でも――。

やっぱり、その笑顔の意味は違う。



「今週末もまた探しに行くの?」

金曜日、オフィスを出るとエントランスで向井さんにばったり出くわした。隣に並んだ向井さんが私に明るく言う。

「はい」
「次こそは、見つかるといいね」

詳しい春日井さんの事情は話せなかったけれど、訳あって離婚したこと、そしてもう一度会いたいと思っていることを向井さんには伝えていた。

「――はい。でも、今週末はいつもと少し違うんです」

一人になってしばらくしてから、私は仕事が休みの週末に春日井さんを探す旅に出ている。

「違うって、何が?」

不思議そうに向井さんが私を見た。

「一番彼がいそうな場所に行ってみようと思うんです」
「え? そんな場所があったなら、もっと早くに行っておけばよかったじゃない」

向井さんの驚いた顔を見て答える。

「あくまでも、私の予想でしかないんですけど。彼に会うのに少し自分に自信が持てるようになったから、もうそこに行ってもいいんじゃないかって思えて」
「なるほど。その時が来るまで、その場所は取っておいたんだ?」
「はい。私にとっても賭けだったから。その場所にいなかったら、もう会えないような気もしていて……」

一番可能性が高いと思っているからこそ、そこにいなければもうどこにも当てはない。行くのが怖かったというのもある。

「きっと大丈夫。さんが可能性が高いと思っている場所なんでしょう? 本当に愛している人のことなら、その予想は間違っていないんじゃない?」
「そうだといいんですが……」

私の肩を向井さんがバンっと叩く。

「大丈夫。願い続ければ、必ずいつか会える」
「そうですね」

そうだ。たとえそこにいなくても、会えるまで探すだけのこと。

 二年――その年月が私の決意を強固なものにする。家主だった方から、春日井さんが見つかったという連絡はない。私が誰より先に見つけたい。その思いで頑張って来た。
 私の思い上がりなのかもしれない。ただの、そうであってほしいという願望。それでも、もし私ならと考える。

”君と毎日図書室で会ってたよね。僕がこれまで生きて来た人生の中で一番楽しい時間だった。だからかな。それはもう過去の思い出だとしても、せめて同じ空間にいられたら幸せだろうと思って”

私が、どうして図書館で働いているのかと聞いた時、春日井さんはそう言った。その日暮らしを繰り返していた春日井さんが、人生を変えて選んだ仕事。それなら、どれだけ時間がかかってもまたその場所に戻るのではないかと思った。
 これまで、いろんな図書館に出向いた。そのどこにも春日井さんはいなかった。その度に思った。春日井さんは、手紙を破り捨てた時点で私への気持ちも手紙と一緒に葬り去ったのかもしれないと。新しい生活を始めているかもしれない。私と会うことは望んでいない。だからこそ、私の前から完全に姿を消した――。

 そうだとしても、どうしても春日井さんに会いたい。会って、伝えなければならないことがある。

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