8 / 154
第一章 秋霖
七
しおりを挟む翌日も、いつものように放課後になると図書室へと向かった。
少し経つと、また同じ時間に図書室の扉が開いた。
昨日と同じ人ーー。
思わず扉の方に振り向くと、意図せずその男子生徒と目が合ってしまった。ほんの数秒、お互い固まったまま見つめあう格好になる。その状況に気づいて、慌てて文庫本に目を戻した。その男子生徒が歩き出したのを、聴覚だけを研ぎ澄ませて確認する。もう一度見て目が合ったりしたら、さすがに気まずい。注意深く、その足音がどこへ向かうかを聞いていた。おそらく、前の日と同じ席の辺りだろう。一度こちらに近づいたと思った足音が遠ざかって行った。
これから毎日来るつもりなのかなーー。
そう思って気が重くなる私は図々しい。でも、この居心地の良い場所を邪魔されたくないと思ってしまった。
何年生だろう。放課後に一人図書室に現れるなんて、部活には入っていないのだろうか。そんな考えを一人巡らせたけれど、別にどうでもいいとすぐに思い直し、物語の世界に入って行く。
それから一時間も経たない頃だった。
「すみません。今日は、図書整理の日なので、いつもより早く閉館になります」
図書委員に声を掛けられた。
「分かりました」
慌てて立ち上がり文庫本を鞄にしまう。男子生徒も同じように声を掛けられていた。
図書室を出て行こうとした時、同時に扉の前に立ってしまって立ち止まる。初めて間近で男子生徒と顔を合わせた。知り合いではないのに認識はしている。そんな中途半端さに、なんとなく気まずさを感じる。こうして近づいてみると、身長は私より少し高いくらいだった。私の身長は百六〇センチだから、そう長身というわけでもないみたいだ。
「お先にどうぞ」
その人が声を発した。初めて声を聞いた。その人が扉の前から一歩下がる。
「すみません、ありがとうございます」
慌ててお礼を言うと、どこか緊張したような、それでいて柔らかな笑みがそこにあった。何故か胸が大きく跳ねる。その反動のように視線をそらした。素早く会釈をしてそのまま廊下に出る。ただ前を見て、一度も振り返ることなく玄関を目指した。
それなのに、その笑みがずっと脳裏に残っていた。
帰宅して、リビングへと向かう。
ガラスがはめ込まれた扉のドアノブを手にした時、継母の話し声が耳に届いた。ドアノブを回したら、より鮮明な声が聞こえて来た。
「――今日は、樹は友達のところで勉強してから帰るって連絡があったし、あの子はまだ帰って来る時間じゃないから」
背中しか見えないから、誰と会話をしているのか分からない。そう言えば、玄関に見覚えのないハイヒールがあった。いつもより早く帰って来たから、私が帰宅したことには気付いていないみたいだ。
「あの子、部活にも入ってないでしょう? いつも図書館に寄って帰って来るみたいなんだけど、図書館もそう遅くまでは開いてないから、毎日樹よりも早いのよ。樹はいつも部活で遅いって言うのに」
刺々しい継母の声が、そのまま私に届く。
「どうして樹よりあの子と過ごす時間の方が多くなきゃいけないのかって、なんだか腹が立つのよね」
「他人の子と暮らすのが嫌だったら、子持ちの人となんて再婚しなければよかったのに」
その程度のことは思われているだろうとは分かっていた。苦々しい感情は込み上げるけれど、ショックというほどでもない。「ただいま」の挨拶だけでもしようと思ったが、ここで入って行くのも気まずくて踵を返した時だった。次の言葉で足が止まった。
「そんなの全部樹のために決まってるじゃない。私が、愛だの恋だので雅史さんと結婚したとでも思ってるの?」
お父さんを好きになったから、じゃない――?
勝手に心臓がドクドクと脈打ち出す。
「雅史さんは社長よ。経済力がある。樹には、金銭的な苦しさや惨めさなんて味合わせたくなかったの。最高の教育を与えてあげたかった。私一人では樹に何もしてあげられない。それが、雅史さんと結婚したおかげで、なんでも樹にしてあげられる。樹はそれだけの能力を持った子なのよ。あの人と結婚できたおかげで、名門私立中にも通わせてあげられた。それに、”社長の息子”という家柄まで与えてやることが出来た」
「確かに、一度目の結婚でもないし若くもない。打算がまったくない結婚なんてないと思うけど、そこまで言い切るなんてね」
お父さんの経済力が目当てだった――。
お父さんが継母をこの家に連れて来た時の、満面の笑みが蘇る。本当に嬉しそうだった。多分お父さんは、継母のことを本当に愛している。
「雅史さんが社長じゃなければ、雅史さんとは結婚しなかったわ。本当なら、年頃の娘がいる人となんて再婚したくなかった。樹にとっても不安の種でしかない。でも、そのデメリット以上に”社長との結婚”がメリットだと感じたの。だからそこは目をつぶる。雅史さんのご両親はもう亡くなっているし、面倒な家族問題もない」
「なるほどね。だったら、せめて娘さんに優しくしてあげたら? 冷たく当たると、雅史さんに告げ口されるかもしれないじゃない。そうなったら、あなたの立場が悪くなるでしょ」
継母はその言葉に対してすぐさま言葉を返した。
「冷たくなんてしてないわよ。でも、ある程度は大丈夫なの。だって、あの子――」
継母の声音が、ほんのわずか変化する。
「雅史さんに、嫌われてるのよ」
その言葉で、先ほどまでドクドクと激しく動いていたはずの心臓が止まりそうになった。
――嫌われている。
『そうなのかもしれない』と自分で思うのと、そうだと他人から断言されるのは全然違うのだと思い知った。
「え? 実の娘なのに?」
「そうなのよ。だから、雅史さんは間違いなくあの子より私の言葉を信じるの」
今さら、こんなにも落ち込んでいる自分が可笑しくなる。
「毎日願うのよ。あの子さえこの家にいなかったらって。完璧な家族になれるのに」
ドアを背にして、階段を上る。身体だけが勝手に動くような感覚だった。
継母は、ただお父さんの経済力だけを目的にお父さんと結婚した。そして、私は、お父さんに嫌われている――。
継母の話を立ち聞きしてから、同じことばかりが頭の中を回る。
お父さんが”社長”である以上、それを目当てに女性が寄って来たとしても不思議じゃない。もしかしたら、お父さんも、そのことを分かった上で結婚したのかもしれない。お父さんが納得してのことなら、私がとやかく言うことじゃない。そう自分に言い聞かせる。
祖父母もいない。母親も、私を捨てて出て行った。この世で、私を愛してくれるはずの人はお父さんしか残っていなかった。
これまでだって、決して、分かりやすい愛情を注がれたわけではない。いつも向けられる視線は冷たかった。
でも、無意識のうちに『言葉や態度では示さないだけで、心の奥ではきっと大事に思ってくれているはず』と、そんな風に自分に励ましていたのかもしれない。
だって、血が繋がっているんだから――。
それだけを拠り所にして。
やはり私の願望でしかなかった。血が繋がっている母親だって私を捨てた。血の繋がりなんてなんの保証にもならない。
0
あなたにおすすめの小説
結婚相手は、初恋相手~一途な恋の手ほどき~
馬村 はくあ
ライト文芸
「久しぶりだね、ちとせちゃん」
入社した会社の社長に
息子と結婚するように言われて
「ま、なぶくん……」
指示された家で出迎えてくれたのは
ずっとずっと好きだった初恋相手だった。
◌⑅◌┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈◌⑅◌
ちょっぴり照れ屋な新人保険師
鈴野 ちとせ -Chitose Suzuno-
×
俺様なイケメン副社長
遊佐 学 -Manabu Yusa-
◌⑅◌┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈◌⑅◌
「これからよろくね、ちとせ」
ずっと人生を諦めてたちとせにとって
これは好きな人と幸せになれる
大大大チャンス到来!
「結婚したい人ができたら、いつでも離婚してあげるから」
この先には幸せな未来しかないと思っていたのに。
「感謝してるよ、ちとせのおかげで俺の将来も安泰だ」
自分の立場しか考えてなくて
いつだってそこに愛はないんだと
覚悟して臨んだ結婚生活
「お前の頭にあいつがいるのが、ムカつく」
「あいつと仲良くするのはやめろ」
「違わねぇんだよ。俺のことだけ見てろよ」
好きじゃないって言うくせに
いつだって、強引で、惑わせてくる。
「かわいい、ちとせ」
溺れる日はすぐそこかもしれない
◌⑅◌┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈◌⑅◌
俺様なイケメン副社長と
そんな彼がずっとすきなウブな女の子
愛が本物になる日は……
私たちの離婚幸福論
桔梗
ファンタジー
ヴェルディア帝国の皇后として、順風満帆な人生を歩んでいたルシェル。
しかし、彼女の平穏な日々は、ノアの突然の記憶喪失によって崩れ去る。
彼はルシェルとの記憶だけを失い、代わりに”愛する女性”としてイザベルを迎え入れたのだった。
信じていた愛が消え、冷たく突き放されるルシェル。
だがそこに、隣国アンダルシア王国の皇太子ゼノンが現れ、驚くべき提案を持ちかける。
それは救済か、あるいは——
真実を覆う闇の中、ルシェルの新たな運命が幕を開ける。
冷酷伯爵ディートリヒは、去った妻を取り戻せない
くろねこ
恋愛
名門伯爵家に政略結婚で嫁いだ、正妻エレノア・リーヴェルト。夫である伯爵ディートリヒ・フォン・アイゼンヴァルトは、
軍務と義務を最優先し、彼女に関心を向けることはなかった。
言葉も、視線も、愛情も与えられない日々。それでも伯爵夫人として尽くし続けたエレノアは、ある一言をきっかけに、静かに伯爵家を去る決意をする。
――そして初めて、夫は気づく。
自分がどれほど多くのものを、彼女から与えられていたのかを。
一方、エレノアは新たな地でその才覚と人柄を評価され、
「必要とされる存在」として歩き始めていた。
去った妻を想い、今さら後悔する冷酷伯爵。前を向いて生きる正妻令嬢。
これは、失ってから愛に気づいた男と、
二度と戻らないかもしれない夫婦の物語。
――今さら、遅いのです。
遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。
沼野 花
恋愛
私は、夫にも子供にも選ばれなかった。
その事実だけを抱え、離縁を突きつけ、家を出た。
そこで待っていたのは、最悪の出来事――
けれど同時に、人生の扉がひらく瞬間でもあった。
夫は愛人と共に好きに生きればいい。
今さら「本当に愛していたのは君だ」と言われても、裏切ったあなたを許すことはできない。
でも、子供たちの心だけは、必ず取り戻す。
妻にも母にもなれなかった伯爵夫人イネス。
過去を悔いながらも、愛を手に入れることを決めた彼女が辿り着いた先には――
復讐のための五つの方法
炭田おと
恋愛
皇后として皇帝カエキリウスのもとに嫁いだイネスは、カエキリウスに愛人ルジェナがいることを知った。皇宮ではルジェナが権威を誇示していて、イネスは肩身が狭い思いをすることになる。
それでも耐えていたイネスだったが、父親に反逆の罪を着せられ、家族も、彼女自身も、処断されることが決まった。
グレゴリウス卿の手を借りて、一人生き残ったイネスは復讐を誓う。
72話で完結です。
☘ 注意する都度何もない考え過ぎだと言い張る夫、なのに結局薬局疚しさ満杯だったじゃんか~ Bakayarou-
設楽理沙
ライト文芸
☘ 2025.12.18 文字数 70,089 累計ポイント 677,945 pt
夫が同じ社内の女性と度々仕事絡みで一緒に外回りや
出張に行くようになって……あまりいい気はしないから
やめてほしいってお願いしたのに、何度も……。❀
気にし過ぎだと一笑に伏された。
それなのに蓋を開けてみれば、何のことはない
言わんこっちゃないという結果になっていて
私は逃走したよ……。
あぁ~あたし、どうなっちゃうのかしらン?
ぜんぜん明るい未来が見えないよ。。・゜・(ノε`)・゜・。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
初回公開日時 2019.01.25 22:29
初回完結日時 2019.08.16 21:21
再連載 2024.6.26~2024.7.31 完結
❦イラストは有償画像になります。
2024.7 加筆修正(eb)したものを再掲載
15年目のホンネ ~今も愛していると言えますか?~
深冬 芽以
恋愛
交際2年、結婚15年の柚葉《ゆずは》と和輝《かずき》。
2人の子供に恵まれて、どこにでもある普通の家族の普通の毎日を過ごしていた。
愚痴は言い切れないほどあるけれど、それなりに幸せ……のはずだった。
「その時計、気に入ってるのね」
「ああ、初ボーナスで買ったから思い出深くて」
『お揃いで』ね?
夫は知らない。
私が知っていることを。
結婚指輪はしないのに、その時計はつけるのね?
私の名前は呼ばないのに、あの女の名前は呼ぶのね?
今も私を好きですか?
後悔していませんか?
私は今もあなたが好きです。
だから、ずっと、後悔しているの……。
妻になり、強くなった。
母になり、逞しくなった。
だけど、傷つかないわけじゃない。
身分差婚~あなたの妻になれないはずだった~
椿蛍
恋愛
「息子と別れていただけないかしら?」
私を脅して、別れを決断させた彼の両親。
彼は高級住宅地『都久山』で王子様と呼ばれる存在。
私とは住む世界が違った……
別れを命じられ、私の恋が終わった。
叶わない身分差の恋だったはずが――
※R-15くらいなので※マークはありません。
※視点切り替えあり。
※2日間は1日3回更新、3日目から1日2回更新となります。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる