雨の庭で来ぬ君を待つ【本編・その後 完結】

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第一章 秋霖

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 翌日も、いつものように放課後になると図書室へと向かった。
 少し経つと、また同じ時間に図書室の扉が開いた。

昨日と同じ人ーー。

思わず扉の方に振り向くと、意図せずその男子生徒と目が合ってしまった。ほんの数秒、お互い固まったまま見つめあう格好になる。その状況に気づいて、慌てて文庫本に目を戻した。その男子生徒が歩き出したのを、聴覚だけを研ぎ澄ませて確認する。もう一度見て目が合ったりしたら、さすがに気まずい。注意深く、その足音がどこへ向かうかを聞いていた。おそらく、前の日と同じ席の辺りだろう。一度こちらに近づいたと思った足音が遠ざかって行った。

これから毎日来るつもりなのかなーー。

そう思って気が重くなる私は図々しい。でも、この居心地の良い場所を邪魔されたくないと思ってしまった。

 何年生だろう。放課後に一人図書室に現れるなんて、部活には入っていないのだろうか。そんな考えを一人巡らせたけれど、別にどうでもいいとすぐに思い直し、物語の世界に入って行く。

 それから一時間も経たない頃だった。

「すみません。今日は、図書整理の日なので、いつもより早く閉館になります」

図書委員に声を掛けられた。

「分かりました」

慌てて立ち上がり文庫本を鞄にしまう。男子生徒も同じように声を掛けられていた。

 図書室を出て行こうとした時、同時に扉の前に立ってしまって立ち止まる。初めて間近で男子生徒と顔を合わせた。知り合いではないのに認識はしている。そんな中途半端さに、なんとなく気まずさを感じる。こうして近づいてみると、身長は私より少し高いくらいだった。私の身長は百六〇センチだから、そう長身というわけでもないみたいだ。

「お先にどうぞ」

その人が声を発した。初めて声を聞いた。その人が扉の前から一歩下がる。

「すみません、ありがとうございます」

慌ててお礼を言うと、どこか緊張したような、それでいて柔らかな笑みがそこにあった。何故か胸が大きく跳ねる。その反動のように視線をそらした。素早く会釈をしてそのまま廊下に出る。ただ前を見て、一度も振り返ることなく玄関を目指した。
 それなのに、その笑みがずっと脳裏に残っていた。



 帰宅して、リビングへと向かう。  
 ガラスがはめ込まれた扉のドアノブを手にした時、継母の話し声が耳に届いた。ドアノブを回したら、より鮮明な声が聞こえて来た。

「――今日は、樹は友達のところで勉強してから帰るって連絡があったし、あの子はまだ帰って来る時間じゃないから」

背中しか見えないから、誰と会話をしているのか分からない。そう言えば、玄関に見覚えのないハイヒールがあった。いつもより早く帰って来たから、私が帰宅したことには気付いていないみたいだ。

「あの子、部活にも入ってないでしょう? いつも図書館に寄って帰って来るみたいなんだけど、図書館もそう遅くまでは開いてないから、毎日樹よりも早いのよ。樹はいつも部活で遅いって言うのに」

刺々しい継母の声が、そのまま私に届く。

「どうして樹よりあの子と過ごす時間の方が多くなきゃいけないのかって、なんだか腹が立つのよね」
「他人の子と暮らすのが嫌だったら、子持ちの人となんて再婚しなければよかったのに」

その程度のことは思われているだろうとは分かっていた。苦々しい感情は込み上げるけれど、ショックというほどでもない。「ただいま」の挨拶だけでもしようと思ったが、ここで入って行くのも気まずくて踵を返した時だった。次の言葉で足が止まった。

「そんなの全部樹のために決まってるじゃない。私が、愛だの恋だので雅史さんと結婚したとでも思ってるの?」

お父さんを好きになったから、じゃない――?

勝手に心臓がドクドクと脈打ち出す。

「雅史さんは社長よ。経済力がある。樹には、金銭的な苦しさや惨めさなんて味合わせたくなかったの。最高の教育を与えてあげたかった。私一人では樹に何もしてあげられない。それが、雅史さんと結婚したおかげで、なんでも樹にしてあげられる。樹はそれだけの能力を持った子なのよ。あの人と結婚できたおかげで、名門私立中にも通わせてあげられた。それに、”社長の息子”という家柄まで与えてやることが出来た」
「確かに、一度目の結婚でもないし若くもない。打算がまったくない結婚なんてないと思うけど、そこまで言い切るなんてね」

お父さんの経済力が目当てだった――。

お父さんが継母をこの家に連れて来た時の、満面の笑みが蘇る。本当に嬉しそうだった。多分お父さんは、継母のことを本当に愛している。

「雅史さんが社長じゃなければ、雅史さんとは結婚しなかったわ。本当なら、年頃の娘がいる人となんて再婚したくなかった。樹にとっても不安の種でしかない。でも、そのデメリット以上に”社長との結婚”がメリットだと感じたの。だからそこは目をつぶる。雅史さんのご両親はもう亡くなっているし、面倒な家族問題もない」
「なるほどね。だったら、せめて娘さんに優しくしてあげたら? 冷たく当たると、雅史さんに告げ口されるかもしれないじゃない。そうなったら、あなたの立場が悪くなるでしょ」

継母はその言葉に対してすぐさま言葉を返した。

「冷たくなんてしてないわよ。でも、ある程度は大丈夫なの。だって、あの子――」

継母の声音が、ほんのわずか変化する。

「雅史さんに、嫌われてるのよ」

その言葉で、先ほどまでドクドクと激しく動いていたはずの心臓が止まりそうになった。

――嫌われている。

『そうなのかもしれない』と自分で思うのと、そうだと他人から断言されるのは全然違うのだと思い知った。

「え? 実の娘なのに?」
「そうなのよ。だから、雅史さんは間違いなくあの子より私の言葉を信じるの」

今さら、こんなにも落ち込んでいる自分が可笑しくなる。

「毎日願うのよ。あの子さえこの家にいなかったらって。完璧な家族になれるのに」

ドアを背にして、階段を上る。身体だけが勝手に動くような感覚だった。
 


継母は、ただお父さんの経済力だけを目的にお父さんと結婚した。そして、私は、お父さんに嫌われている――。

継母の話を立ち聞きしてから、同じことばかりが頭の中を回る。

 お父さんが”社長”である以上、それを目当てに女性が寄って来たとしても不思議じゃない。もしかしたら、お父さんも、そのことを分かった上で結婚したのかもしれない。お父さんが納得してのことなら、私がとやかく言うことじゃない。そう自分に言い聞かせる。

 祖父母もいない。母親も、私を捨てて出て行った。この世で、私を愛してくれるはずの人はお父さんしか残っていなかった。
 これまでだって、決して、分かりやすい愛情を注がれたわけではない。いつも向けられる視線は冷たかった。
 でも、無意識のうちに『言葉や態度では示さないだけで、心の奥ではきっと大事に思ってくれているはず』と、そんな風に自分に励ましていたのかもしれない。

だって、血が繋がっているんだから――。

それだけを拠り所にして。

 やはり私の願望でしかなかった。血が繋がっている母親だって私を捨てた。血の繋がりなんてなんの保証にもならない。


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