雨の庭で来ぬ君を待つ【本編・その後 完結】

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第一章 秋霖

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「どうしたの?」

ドアを開け周囲を見渡す。

「勉強教えてくれない? 試験前だからさ」

ドアの隙間から覗き込むように樹を見上げた。一緒に暮らし始めて三年、そんなことを樹から言ってきたことはない。継母の懸念を察して、樹とは適度な距離を保って接して来た。樹もそれを理解しているはずだ。

「そんな必要ないでしょ。樹は優秀だし、それに――」

こんなところを継母に見つかったら面倒なだけだと、樹も分かってるよね――?

そう目で訴える。常日頃から異常なくらいに私を警戒している継母のことだ。二人で部屋にいるところなんて見られたら、何を言われるか。

「やばい。母さんがこっちに来るっ」
「え、え……っ?」

目の前を塞ぐように近づいた樹が、慌てたようにそのまま私の部屋に入って来た。

「ちょっと!」

何が何だか分からないうちに私の部屋に入り込んでいる樹に、抗議の声を上げる。ドアノブを後ろ手にして、樹がいたずらっ子のような目で私を見た。

「大きな声出したらばれちゃうよ。俺がこのままこの部屋にいた方が安全だと思うんだけど」

樹には慌てた様子もない。

「だけど――っ」
「大丈夫。ここで静かにしていればね」

私の言いたいことなんてお構いなしに、部屋の中へと進んで行く。

樹って、こういう子だったったっけ――?

溜息を吐く。樹は樹で、あっという間に机の椅子に腰かけ私の方へと振り返った。

「姉さんは、県外の大学に行くの?」
「試験勉強見てほしかったんじゃなかったの」
「これも、ある意味勉強。人生の」
「もしかして、最初から勉強なんて教えてもらうつもりなかった……?」

私一人が焦っていることに、自然と口調が厳しくなる。

「答えてよ」

それでも樹は少しも怯まない。むしろ、樹の表情までも硬くなる。

「そんなのまだ決めてない。ほら、答えたよ。勉強教えてほしい訳じゃないならもう戻って」

部屋のドアへと向かおうとすると、勢いよく腕を掴まれた。

「――東京にも北海道にも、行く必要ない!」
「な、なにっ?」

あまりに強い力で掴まれて、思わず樹を見つめた。樹の目はいつもの爽やかな目ではない。その奥に激しい感情を隠し持つような眼差しに怯えが生まれる。

「樹、手、離して」

そんな私に気づいたのか、樹が我に返ったように手を離した。

「……ご、ごめん。姉さんが家から出て行くのかと思ったら、急に寂しくなって。姉さんはどう考えているのか聞いておきたくなった」

いつもの樹に戻ったことに少しホッとして、ふっと息を吐いた。

「なるほどね。確かに、家族が一人減ると寂しいもんね」

それでも防衛本能からか、樹からわずかに距離を取る。

「正直、さっきお母さんに言われるまで、大学のことなんて考えたこともなかった」
「だったら、家を出て行かないと、今決めて」

それは、小さい声だけれどはっきりとしたものだった。

「本気で寂しがるような年齢でもないでしょう? それに、樹はお父さんからも、それに何より、お母さんからも大切にされてる。友達だってたくさんいるじゃない」

血の繋がらない、そう親密でもない姉が家を出たからと言って、彼の生活が変わるはずもない。

「……母さんは、別に、本当に俺のことが大切なわけじゃないよ」

吐き捨てるような低い声に、一瞬、別の人が話しているのかと錯覚する。ふと見た樹の目は、すっと身体が冷えていくような透明なものだった。

「そんなはずない。いつだって、樹の話をするお母さんは本当に嬉しそうで――」
「とにかく。母さんに何を言われても、姉さんがこの家を出て行く必要はない。ここは、姉さんの家だろ?」

これ以上、継母の話をさせたくないのか、私の声を遮った。『姉さんの家だろう?』と言われて頷けない自分が可笑しくなる。

「……感情を押し殺して生きてるのは、姉さんだけじゃない」

気づくと、すぐ目の前に樹が立っていた。

「俺は、姉さんと同じだよ。だから俺を遠ざけないで」

樹を見上げれば、複雑な笑顔を浮かべていた。大人びているようで、どこか幼さもある。中学生だと思えば、とても大人だ。でも、一人の男の人として見れば、やはりどこか幼さが存在している。樹にはそんなアンバランスさがあった。

「姉だからね。遠ざけたりはしないよ。でも、やっぱり、樹と私では違うと思う」

樹は、たくさんの人から必要とされている。母親からも、友達からも、血の繋がらない父からさえも。私はこれまで、誰かに必要とされたことがない。そこが一番の違いだろう。私が樹に微笑みかけると、その綺麗な顔を歪ませた。

「……それより。階段を上って来る音、全然しなかった。お母さんが二階に上がって来るって言ったの、嘘でしょ。ほら、もう自分の部屋に戻りな」

樹の背中をそっと叩いて、部屋を出て行くように促す。諦めたように頷いて部屋から出て行った。

 どっと疲れを感じてベッドに深く腰掛ける。そのまま後ろに倒れ込み、目を閉じた。

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