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第二章 白驟雨
二
しおりを挟む樹が、私と同じ高校に入学した。どう継母を説得したのか、詳しいことは分からない。継母が、私の前ではそのことを話題にすることはなかった。
それでも、私はこれまで以上に細心の注意を払った。
同じ高校に通うことで、学校にいる時だけは、親の目を気にせず過ごせる二人の時間を手に入れることができた。
(昼休み、特別教室棟の屋上階踊り場に来て)
四時間目が始まる少し前、樹から連絡が入る。それは、屋上階の踊り場だったり、空き教室だったり、校舎裏だったり。場所は違えど、ほぼ毎日のようにこうして呼び出される。
その日も、樹に呼び出されていた。
昼休みに屋上階の踊り場へと向かう。これまでは、昼休みはいつも一人だった。教室にいるのは気詰りですぐに一人になれる場所に行っていた。樹がこの高校に入学して来てからは、一人じゃない時間が出来た。
こんな風に誰かと過ごす時間が、以前にもあった――。
ふっと記憶が蘇ろうとして、その記憶を押し戻す。
長い廊下を進み、階段のある場所にたどり着いた。目の前にある階段を上れば、樹がいるはずだ。一段目に足を掛けた時だった。
「――で、話って何かな」
誰か来ているのだろうか。踊り場の方から、樹の声が聞こえて来た。一段目で足が止まる。
「糸原君と同じクラスになって、糸原君のこといいなって思ってたの。もし、彼女いないなら――」
女の子の声だ。立ち聞きなんてよくないと思いながらも、進むことも戻ることも出来ない。
「それってつまり、俺と付き合いたいってことかな?」
彼女にすべてを言わせずに、樹がそう口にしていた。
「うん。どう、かな……?」
彼女がどれほどまでに緊張しているのか、その口調で分かる。きっと、勇気を出して樹を呼び出したのだろう。樹なら、こんな風に想いを寄せて来る女の子がいても不思議じゃない。私とは違って、いつも人の輪の中心にいるような人間だ。
これ以上ここにいるのもいたたまれなくて、そのまま引き返す。
「ありがとう。でもごめんね、俺、誰かと付き合う気はないんだ。じゃあ」
「えっ」
女の子の驚いたような声と同時に、駆け下りて来る足音が近づく。慌てて、私は駆け出した。
「待って!」
腕を捕まえられて思わず振り向いてしまった。樹と、その後ろから階段を下りて来る女の子も視界に入る。
ここから立ち去りたくて何度も腕を振り払っても、樹はその手を緩めてはくれない。そんな私たちを見ている女の子は、今にも泣きそうな目をして走り出した。綺麗な長い髪からふわりと甘い香りがする、色白で可愛らしい女の子だった。すぐにその背中は見えなくなった。
「どうしてこんなことするの?」
手を離してくれない樹に抗議の目を向ける。
「姉さんはどう思った?」
他の人の前で、こんな風に腕を掴んだり声を掛けたり、そんな樹に怒りが抑えられない。
「俺が、他の女の子に好きだって言われてるのを聞いて、どう思ったかって聞いてるんだよ」
睨んだ先にあった目は、私の怒りなんて一瞬にして無意味になる鋭いものだった。
「樹は、私なんかじゃなくて、クラスメイトの女の子とか、そういう普通の子と一緒にいた方がいいんじゃないかって――」
「へぇ、それは、姉の立場としての立場? それとも、俺の彼女として?」
「それは――っ」
樹が、掴んでいた私の腕を強く引き寄せる。そのせいで身体が樹に触れる。姉の立場なのかそうじゃないかなんて、そんな線引き出来るわけがない。私は、どちらの立場でもある。
「どっちでも同じか。姉さんが、俺と同じ気持ちじゃないことだけは確かだ。だったら分からせるまでだ。姉さんは、俺の女なんだってこと」
乱暴に唇を塞がれる。噛みつくみたいに荒っぽくて歯が何度もかち合う。抵抗するように肩を何度も叩くけれど、やめてはくれなかった。それどころか、その唇は首筋に吸いつき、ブレザーの中に手のひらを侵入させてシャツの上から胸を掴んだ。
「やっ、こんなところで止めて――」
「何が? 何をされると思ってるの? 例えば、こんなこととか?」
低くなった声が耳元で聞こえたと同時に、樹のもう片方の手が私のスカートに入り込んで来る。
「お願い、やめて……」
勝手に涙が溢れる。私は一体何が悲しいのだろう。
「……姉さん」
樹が酷く苦しそうに表情を歪める。
「樹のこと、大事だよ。一番に樹のこと考えてる。どうして、それじゃだめなの?」
「……それだけじゃ、足りないよ」
そう声を漏らすと、樹がその場に座り込んだ。その丸まった背中に胸が痛む。
「樹……お弁当、食べよう」
私にできることは、ただそばにいることだけだ。
「そろそろ県大会始まるよね? 最近、練習頑張ってるね。帰る時いつも、校庭で練習してる樹を見てるよ」
階段踊り場の壁にもたれて、二人でお弁当を食べる。
「姉さん、俺が練習してるとこなんて、見てるの?」
少し驚いたように、樹が私を見た。
「そりゃあ、見てるよ。学校違う時は見られなかったけど、今は見られるんだもん」
「そう……」
「ほら、私、部活にも入ってないし、読書以外大した趣味もないし。だからかな。樹が野球に打ち込んでいるところを見るの、結構楽しいの」
私といる時とは全然違う姿になる。真剣な目で、ひたすらにボールを追いかけている。こんな樹の姿を知れたのも、私と同じ高校に入学したからだ。
「俺には、姉さんが分からないよ」
樹は、俯いたまま、そうぽつりと零した。
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