雨の庭で来ぬ君を待つ【本編・その後 完結】

文字の大きさ
32 / 154
第三章 春時雨

しおりを挟む



連休も終わり、木々の葉の緑が色濃くなって来た頃だった。

「……お父さん」

土曜の夕方、買い物から帰るとアパートの前に一人佇む姿を見た。家を出てから一度も直接会っていない。六年以上が経つ。

どうして――?

疑問の次に一つの想像が浮かび身体が固まる。

もしかして、樹とのことを気付かれた……?

もう、とっくに遠い人になっていた父親を前に、激しい動揺で動けない。恐怖が身体を駆け巡る。

「突然悪いな。新しい住所は知っていたが、電話番号は分からなくて」

でも、父親から発せられた声は、想像していたものとはまったく違うものだった。

「未雨に、どうしてもお願いしたいことがあってな。それでここに来た」

どうやら、樹とのことではないようだ。そのことにとりあえずホッとする。でも、その声も表情も、私の記憶の中にある父親とは違っていた。どこか気まずそうな、遠慮がちな言葉。それに――。六年もの年月が経っているとはいえ、あまりに急に老け込んでいた。顔に皺が増えたのか、白髪を隠そうともしていない髪型のせいか。そのすべてが、父親の雰囲気を変えていた。

お願いって――。

これまで、会いに来るどころか、手紙一つ寄こさなかった。縁を切られたと同然の状態で、世間話をするような関係でもない。

「それで、お願いってなんですか?」

私の部屋に案内すると父親はぐるりと部屋を見回した。一通り見回した後に、私に向き直った。

「見合いをしてほしい。以前、会わせたことがあるだろう? Kコーポレーションの古谷さん。その息子さんだ。どうしても未雨をと乞われてね」
「そんなこと急に言われても――」
「お願いだ。糸原を助けるためなんだ」

突然訪ねて来た血の繋がった父親が口にしたのは、私を気遣う言葉でも様子を尋ねる言葉でもなく私を利用するための言葉だった。

「ここ一、二年なんだ。急激にうちの経営状況が悪化した。でも、たくさんの社員もいる、おまえのおじいさんたちが代々残して来た会社でもある。どうしても潰すわけにはいかない。そのためには、古谷さんの協力は絶対に必要なんだ」

地元最大の企業を引っ張っていたあの頃の威厳はない。余裕のない焦った父親の姿があった。私の思いを聞くこともなくただ一方的に追い出し、縁を切ったのは父親だ。

「私はもう糸原とは関係ないはずでしょう? 突然会いに来たと思ったら、見合いしろって。私にだって私の生活がある――」
「私たち家族のためでもある。樹のためでも」

荒げてしまった声を、父親の苦しみにまみれた声が制止した。

「樹って……」
「もう何年も前に終わったことだ。でも、おまえにとっても樹が大事な弟であることには変わりないんじゃないか?」

そんなことを、どうしてお父さんが言えるの――?

うすら寒さが背中を伝う。それでも、”樹のためでもある”という言葉が心に引っかかった。

「樹君はとても優秀だ。うちの会社にも入ってくれるつもりでいる。出来るだけのことはしてやりたい。経験と修行の意味も兼ねて外の企業で働いた後にうちの会社に入ってもらう予定だ。その前に、海外の大学院にも行かせてやりたい。MBAを取れば経営者として箔もつく。うちのような地方の企業ならなおさらだ。そのためには、何よりもまず経営を立て直さなければならない」

お父さんはずるい。悔しさで唇が震える。感情がなくなって終わった関係じゃない。樹と私は無理矢理に引き離された。だから、私が今でも少なからず樹を想っていると考えているのか。だから、そんな風に樹のことを持ち出すのか。最低だと罵った感情までも利用するのか――。

「――このままだと、遥子さんと樹にも大変な苦労をかけることになるんだ。多大な負債を樹にも負わせることになる」

樹に多大な負債――。

樹の姿が思い浮かぶ。まだ学生でこれからだというのに、そんな苦労をさせなければならないのか。でも。だからと言って他の人と結婚するなんて考えられない。そんなこと、樹だってきっと望まない――。どうすればいいのか分からなくなる。

「結論を今すぐ出せとは言わない。でも、古谷さんの申し出を無下に断ることもできないんだ。とりあえず、会うだけでいい。まずは光紀君と会ってくれ」
「お父さん……っ!」

あの父親が、私の目の前で土下座までしている。畳に額をじりじりと押し付けて。

 私は結局、父親の頼みを突っぱねることが出来なかった。

『ただ、会うだけです。一度だけです』

そう答えたら、分かりやすいほどの安堵の表情を浮かべた。最後に一つだけ、父親に聞いた。

『経営が厳しい状況だって、お母さんや樹は知っているんですか?』
『……いや。詳細は伝えていない。いらぬ心配はかけたくないからな』

継母は何も知らずに、贅沢な生活をしている。以前からそうだった。実の娘よりも継母のことを第一に考えていたではないか。父親の行動は当然のものだ。どうしてもあの人を手放したくないと、父親なりに必死なのだ。

『知られないうちに、なんとか立て直したいと思っている』

その父親の言葉に白々しい気持ちになる。それでも、無視することが出来なかった。どんな葛藤があったとしても、親子には変わらないからか。それだけじゃない。一番は、樹のためだ。
 
 樹にこのことを話すべきかと迷った。でも、父親が樹に事情を話していない以上、私からそんな状況を伝えることが憚られた。

それに、他の男性と会うなんてことを伝えたら――。

想像しただけでも身が竦む。あの豹変した目がフラッシュバックして、勝手に身体が震えた。

 一度だけ会って、はっきりと断ってくればいい。そう自分に言い聞かせて、指定された都内のホテルのラウンジへと向かった。


しおりを挟む
感想 6

あなたにおすすめの小説

結婚相手は、初恋相手~一途な恋の手ほどき~

馬村 はくあ
ライト文芸
「久しぶりだね、ちとせちゃん」 入社した会社の社長に 息子と結婚するように言われて 「ま、なぶくん……」 指示された家で出迎えてくれたのは ずっとずっと好きだった初恋相手だった。 ◌⑅◌┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈◌⑅◌ ちょっぴり照れ屋な新人保険師 鈴野 ちとせ -Chitose Suzuno- × 俺様なイケメン副社長 遊佐 学 -Manabu Yusa- ◌⑅◌┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈◌⑅◌ 「これからよろくね、ちとせ」 ずっと人生を諦めてたちとせにとって これは好きな人と幸せになれる 大大大チャンス到来! 「結婚したい人ができたら、いつでも離婚してあげるから」 この先には幸せな未来しかないと思っていたのに。 「感謝してるよ、ちとせのおかげで俺の将来も安泰だ」 自分の立場しか考えてなくて いつだってそこに愛はないんだと 覚悟して臨んだ結婚生活 「お前の頭にあいつがいるのが、ムカつく」 「あいつと仲良くするのはやめろ」 「違わねぇんだよ。俺のことだけ見てろよ」 好きじゃないって言うくせに いつだって、強引で、惑わせてくる。 「かわいい、ちとせ」 溺れる日はすぐそこかもしれない ◌⑅◌┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈◌⑅◌ 俺様なイケメン副社長と そんな彼がずっとすきなウブな女の子 愛が本物になる日は……

私たちの離婚幸福論

桔梗
ファンタジー
ヴェルディア帝国の皇后として、順風満帆な人生を歩んでいたルシェル。 しかし、彼女の平穏な日々は、ノアの突然の記憶喪失によって崩れ去る。 彼はルシェルとの記憶だけを失い、代わりに”愛する女性”としてイザベルを迎え入れたのだった。 信じていた愛が消え、冷たく突き放されるルシェル。 だがそこに、隣国アンダルシア王国の皇太子ゼノンが現れ、驚くべき提案を持ちかける。 それは救済か、あるいは—— 真実を覆う闇の中、ルシェルの新たな運命が幕を開ける。

冷酷伯爵ディートリヒは、去った妻を取り戻せない

くろねこ
恋愛
名門伯爵家に政略結婚で嫁いだ、正妻エレノア・リーヴェルト。夫である伯爵ディートリヒ・フォン・アイゼンヴァルトは、 軍務と義務を最優先し、彼女に関心を向けることはなかった。 言葉も、視線も、愛情も与えられない日々。それでも伯爵夫人として尽くし続けたエレノアは、ある一言をきっかけに、静かに伯爵家を去る決意をする。 ――そして初めて、夫は気づく。 自分がどれほど多くのものを、彼女から与えられていたのかを。 一方、エレノアは新たな地でその才覚と人柄を評価され、 「必要とされる存在」として歩き始めていた。 去った妻を想い、今さら後悔する冷酷伯爵。前を向いて生きる正妻令嬢。 これは、失ってから愛に気づいた男と、 二度と戻らないかもしれない夫婦の物語。 ――今さら、遅いのです。

遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。

沼野 花
恋愛
私は、夫にも子供にも選ばれなかった。 その事実だけを抱え、離縁を突きつけ、家を出た。 そこで待っていたのは、最悪の出来事―― けれど同時に、人生の扉がひらく瞬間でもあった。 夫は愛人と共に好きに生きればいい。 今さら「本当に愛していたのは君だ」と言われても、裏切ったあなたを許すことはできない。 でも、子供たちの心だけは、必ず取り戻す。 妻にも母にもなれなかった伯爵夫人イネス。 過去を悔いながらも、愛を手に入れることを決めた彼女が辿り着いた先には――

復讐のための五つの方法

炭田おと
恋愛
 皇后として皇帝カエキリウスのもとに嫁いだイネスは、カエキリウスに愛人ルジェナがいることを知った。皇宮ではルジェナが権威を誇示していて、イネスは肩身が狭い思いをすることになる。  それでも耐えていたイネスだったが、父親に反逆の罪を着せられ、家族も、彼女自身も、処断されることが決まった。  グレゴリウス卿の手を借りて、一人生き残ったイネスは復讐を誓う。  72話で完結です。

☘ 注意する都度何もない考え過ぎだと言い張る夫、なのに結局薬局疚しさ満杯だったじゃんか~ Bakayarou-

設楽理沙
ライト文芸
☘ 2025.12.18 文字数 70,089 累計ポイント 677,945 pt 夫が同じ社内の女性と度々仕事絡みで一緒に外回りや 出張に行くようになって……あまりいい気はしないから やめてほしいってお願いしたのに、何度も……。❀ 気にし過ぎだと一笑に伏された。 それなのに蓋を開けてみれば、何のことはない 言わんこっちゃないという結果になっていて 私は逃走したよ……。 あぁ~あたし、どうなっちゃうのかしらン? ぜんぜん明るい未来が見えないよ。。・゜・(ノε`)・゜・。    ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 初回公開日時 2019.01.25 22:29 初回完結日時 2019.08.16 21:21 再連載 2024.6.26~2024.7.31 完結 ❦イラストは有償画像になります。 2024.7 加筆修正(eb)したものを再掲載

15年目のホンネ ~今も愛していると言えますか?~

深冬 芽以
恋愛
 交際2年、結婚15年の柚葉《ゆずは》と和輝《かずき》。  2人の子供に恵まれて、どこにでもある普通の家族の普通の毎日を過ごしていた。  愚痴は言い切れないほどあるけれど、それなりに幸せ……のはずだった。 「その時計、気に入ってるのね」 「ああ、初ボーナスで買ったから思い出深くて」 『お揃いで』ね?  夫は知らない。  私が知っていることを。  結婚指輪はしないのに、その時計はつけるのね?  私の名前は呼ばないのに、あの女の名前は呼ぶのね?  今も私を好きですか?  後悔していませんか?  私は今もあなたが好きです。  だから、ずっと、後悔しているの……。  妻になり、強くなった。  母になり、逞しくなった。  だけど、傷つかないわけじゃない。

身分差婚~あなたの妻になれないはずだった~

椿蛍
恋愛
「息子と別れていただけないかしら?」 私を脅して、別れを決断させた彼の両親。 彼は高級住宅地『都久山』で王子様と呼ばれる存在。 私とは住む世界が違った…… 別れを命じられ、私の恋が終わった。 叶わない身分差の恋だったはずが―― ※R-15くらいなので※マークはありません。 ※視点切り替えあり。 ※2日間は1日3回更新、3日目から1日2回更新となります。

処理中です...