52 / 154
第四章 五月雨
十一
しおりを挟む自室に戻り、スマホの画面をじっと見つめる。結局、樹からは何のメッセージも届いていなかった。
緊張する。でも、自分で一歩を踏み出せたら、樹との関係も変われるかもしれない――。
心を決め、使い慣れた名前を表示させる。
(もしもし)
心の準備が整わないうちに、その電話は繋がった。
「今、大丈夫?」
表情は見えない。だからこそ、その声音に敏感になる。
(ああ、大丈夫だよ)
でも、その声からは、樹の心境は分からなかった。それくらいに、平坦なものだった。
「えっと……この前は、何も言わずに帰ってしまってごめん」
(ああ)
感情が見えないせいで余計に緊張する。でも、自分の思っていることを精一杯伝えたい。
「でもね、あの時、どうしても樹の隣にいられなかった」
スマホの向こうからは、何も聞こえない。必死になって言葉を繋げた。
「あの日、職場の女性の先輩に食事に誘ってもらえたの。二人で食事をしていたから、その場を放り出して行きたくなかった。もちろん、樹と約束があれば、樹との約束を優先した。でも、あの日はそうじゃなかった。私にとって樹はとっても大事な人。私は樹のことを理解したいと思うし、樹の大切にしているものも大切にしたいと思ってる。だから――」
樹が野球に打ち込んでいるのを知っている。その妨げになるようなことだけはしたくないといつも思っている。
「樹にも、私の気持ち知ってほしい。私の生活を理解してもらえたら嬉しい」
ぎゅっとスマホを握りしめる。
「お互いを尊重し合えたらいいなって、思うんだ」
(尊重……?)
樹の低い声が耳元で聞こえた。
「うん。そうすれば、どちらかが無理をし過ぎたりしなくていい。これからも、二人で助け合って行けるんじゃないかな。私は、樹と、そんな風になりたい!」
自分を奮い立たせて言った。
どうか、分かってほしい――。
(未雨は、俺といることでそんなに無理をしてるのか?)
抑揚のない声にまた怯えそうになるけれど、もう誤魔化したり飲み込んだりしたくない。
「少し、無理しているところがあったのかもしれない。これまではそれが無理をしているってことに気付いていなかっただけで……」
(……そう)
溜息のように呟くと、樹はそのまま黙ってしまった。初めて正直に言った。樹がこの言葉をどうとらえるか。言ってしまって不安が募り始める。
「樹――」
沈黙に耐えられなくなって、樹に呼びかけた。でも、すぐにその声は遮られた。
(未雨の言いたいことは分かったよ)
「本当に……?」
それは、私の気持ちを理解してくれたということでいいのだろうか。まだ不安は拭えない。
(ただ、こういうことは、ちゃんと会って話したい。未雨もそう思わない?)
一瞬、金曜日の夜の行為が頭を掠める。ねじ伏せられるように身体を組み敷かれた時の恐怖と乾いた哀しみが胸に広がった。でも、『会って話したい』と言ってくれた樹の気持ちも汲むべきだ。
「そうだね。そうしよう。今度は、ちゃんと話しをしよう」
樹が囚われている、春日井さんに対する誤解も少しずつ解いて行きたい。
「今度会うのは、お互いが都合のつく日にしない?」
(雨が降って、俺の練習が休みになったら? でも、未雨には仕事がある。これまでみたいに俺がそっちに行くわけにはいかないよ)
「土曜なら、樹の練習が終わった後でもいいよ。地元に帰るのは、やっぱりちょっと不安だから、どこか少し離れたところだと嬉しい」
交通費と宿泊費の支出が痛い。でも、月に一度程度なら不可能じゃない。学生の樹に出させるのも申し訳ないから、それが一番二人にとっていいだろう。樹のためにと全てを犠牲にし続けることは、結局二人にとって良い結果にはならない。先のことまで見通さなければ、いつも一緒にはいられない私たちの関係は壊れてしまう。
(未雨がそうしたいなら、そうしよう)
「本当に、いいの……?」
自分から提案しておいておかしいけれど、樹があまりにもあっさりと受け入れてくれたことに逆に驚く。
(そうしたいんだろう?)
「そうだけど……」
(それでいいよ。その代り、俺にちゃんと会いに来て)
樹のその言葉の真意を探る。
(朝、隣に未雨がいなくなっていて、永遠に俺から逃げ出すつもりなのかもしれないと思った。だから……)
少し弱々しくなった樹の声に、いたたまれなくなる。樹に不安な思いをさせてしまったのか。
「会いに行く。ちゃんと会いに行くからね」
こんな風に話をすることができたのは、久しぶりかもしれない。冷静になれば、こうして話ができる。
樹とだって、穏やかに過ごせる――。
そう思いたかった。そう信じたかったのだ。
0
あなたにおすすめの小説
結婚相手は、初恋相手~一途な恋の手ほどき~
馬村 はくあ
ライト文芸
「久しぶりだね、ちとせちゃん」
入社した会社の社長に
息子と結婚するように言われて
「ま、なぶくん……」
指示された家で出迎えてくれたのは
ずっとずっと好きだった初恋相手だった。
◌⑅◌┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈◌⑅◌
ちょっぴり照れ屋な新人保険師
鈴野 ちとせ -Chitose Suzuno-
×
俺様なイケメン副社長
遊佐 学 -Manabu Yusa-
◌⑅◌┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈◌⑅◌
「これからよろくね、ちとせ」
ずっと人生を諦めてたちとせにとって
これは好きな人と幸せになれる
大大大チャンス到来!
「結婚したい人ができたら、いつでも離婚してあげるから」
この先には幸せな未来しかないと思っていたのに。
「感謝してるよ、ちとせのおかげで俺の将来も安泰だ」
自分の立場しか考えてなくて
いつだってそこに愛はないんだと
覚悟して臨んだ結婚生活
「お前の頭にあいつがいるのが、ムカつく」
「あいつと仲良くするのはやめろ」
「違わねぇんだよ。俺のことだけ見てろよ」
好きじゃないって言うくせに
いつだって、強引で、惑わせてくる。
「かわいい、ちとせ」
溺れる日はすぐそこかもしれない
◌⑅◌┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈◌⑅◌
俺様なイケメン副社長と
そんな彼がずっとすきなウブな女の子
愛が本物になる日は……
私たちの離婚幸福論
桔梗
ファンタジー
ヴェルディア帝国の皇后として、順風満帆な人生を歩んでいたルシェル。
しかし、彼女の平穏な日々は、ノアの突然の記憶喪失によって崩れ去る。
彼はルシェルとの記憶だけを失い、代わりに”愛する女性”としてイザベルを迎え入れたのだった。
信じていた愛が消え、冷たく突き放されるルシェル。
だがそこに、隣国アンダルシア王国の皇太子ゼノンが現れ、驚くべき提案を持ちかける。
それは救済か、あるいは——
真実を覆う闇の中、ルシェルの新たな運命が幕を開ける。
冷酷伯爵ディートリヒは、去った妻を取り戻せない
くろねこ
恋愛
名門伯爵家に政略結婚で嫁いだ、正妻エレノア・リーヴェルト。夫である伯爵ディートリヒ・フォン・アイゼンヴァルトは、
軍務と義務を最優先し、彼女に関心を向けることはなかった。
言葉も、視線も、愛情も与えられない日々。それでも伯爵夫人として尽くし続けたエレノアは、ある一言をきっかけに、静かに伯爵家を去る決意をする。
――そして初めて、夫は気づく。
自分がどれほど多くのものを、彼女から与えられていたのかを。
一方、エレノアは新たな地でその才覚と人柄を評価され、
「必要とされる存在」として歩き始めていた。
去った妻を想い、今さら後悔する冷酷伯爵。前を向いて生きる正妻令嬢。
これは、失ってから愛に気づいた男と、
二度と戻らないかもしれない夫婦の物語。
――今さら、遅いのです。
遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。
沼野 花
恋愛
私は、夫にも子供にも選ばれなかった。
その事実だけを抱え、離縁を突きつけ、家を出た。
そこで待っていたのは、最悪の出来事――
けれど同時に、人生の扉がひらく瞬間でもあった。
夫は愛人と共に好きに生きればいい。
今さら「本当に愛していたのは君だ」と言われても、裏切ったあなたを許すことはできない。
でも、子供たちの心だけは、必ず取り戻す。
妻にも母にもなれなかった伯爵夫人イネス。
過去を悔いながらも、愛を手に入れることを決めた彼女が辿り着いた先には――
復讐のための五つの方法
炭田おと
恋愛
皇后として皇帝カエキリウスのもとに嫁いだイネスは、カエキリウスに愛人ルジェナがいることを知った。皇宮ではルジェナが権威を誇示していて、イネスは肩身が狭い思いをすることになる。
それでも耐えていたイネスだったが、父親に反逆の罪を着せられ、家族も、彼女自身も、処断されることが決まった。
グレゴリウス卿の手を借りて、一人生き残ったイネスは復讐を誓う。
72話で完結です。
☘ 注意する都度何もない考え過ぎだと言い張る夫、なのに結局薬局疚しさ満杯だったじゃんか~ Bakayarou-
設楽理沙
ライト文芸
☘ 2025.12.18 文字数 70,089 累計ポイント 677,945 pt
夫が同じ社内の女性と度々仕事絡みで一緒に外回りや
出張に行くようになって……あまりいい気はしないから
やめてほしいってお願いしたのに、何度も……。❀
気にし過ぎだと一笑に伏された。
それなのに蓋を開けてみれば、何のことはない
言わんこっちゃないという結果になっていて
私は逃走したよ……。
あぁ~あたし、どうなっちゃうのかしらン?
ぜんぜん明るい未来が見えないよ。。・゜・(ノε`)・゜・。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
初回公開日時 2019.01.25 22:29
初回完結日時 2019.08.16 21:21
再連載 2024.6.26~2024.7.31 完結
❦イラストは有償画像になります。
2024.7 加筆修正(eb)したものを再掲載
15年目のホンネ ~今も愛していると言えますか?~
深冬 芽以
恋愛
交際2年、結婚15年の柚葉《ゆずは》と和輝《かずき》。
2人の子供に恵まれて、どこにでもある普通の家族の普通の毎日を過ごしていた。
愚痴は言い切れないほどあるけれど、それなりに幸せ……のはずだった。
「その時計、気に入ってるのね」
「ああ、初ボーナスで買ったから思い出深くて」
『お揃いで』ね?
夫は知らない。
私が知っていることを。
結婚指輪はしないのに、その時計はつけるのね?
私の名前は呼ばないのに、あの女の名前は呼ぶのね?
今も私を好きですか?
後悔していませんか?
私は今もあなたが好きです。
だから、ずっと、後悔しているの……。
妻になり、強くなった。
母になり、逞しくなった。
だけど、傷つかないわけじゃない。
身分差婚~あなたの妻になれないはずだった~
椿蛍
恋愛
「息子と別れていただけないかしら?」
私を脅して、別れを決断させた彼の両親。
彼は高級住宅地『都久山』で王子様と呼ばれる存在。
私とは住む世界が違った……
別れを命じられ、私の恋が終わった。
叶わない身分差の恋だったはずが――
※R-15くらいなので※マークはありません。
※視点切り替えあり。
※2日間は1日3回更新、3日目から1日2回更新となります。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる