雨の庭で来ぬ君を待つ【本編・その後 完結】

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第四章 五月雨

十一

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 自室に戻り、スマホの画面をじっと見つめる。結局、樹からは何のメッセージも届いていなかった。
 
緊張する。でも、自分で一歩を踏み出せたら、樹との関係も変われるかもしれない――。

心を決め、使い慣れた名前を表示させる。

(もしもし)

心の準備が整わないうちに、その電話は繋がった。

「今、大丈夫?」

表情は見えない。だからこそ、その声音に敏感になる。

(ああ、大丈夫だよ)

でも、その声からは、樹の心境は分からなかった。それくらいに、平坦なものだった。

「えっと……この前は、何も言わずに帰ってしまってごめん」
(ああ)

感情が見えないせいで余計に緊張する。でも、自分の思っていることを精一杯伝えたい。

「でもね、あの時、どうしても樹の隣にいられなかった」

スマホの向こうからは、何も聞こえない。必死になって言葉を繋げた。

「あの日、職場の女性の先輩に食事に誘ってもらえたの。二人で食事をしていたから、その場を放り出して行きたくなかった。もちろん、樹と約束があれば、樹との約束を優先した。でも、あの日はそうじゃなかった。私にとって樹はとっても大事な人。私は樹のことを理解したいと思うし、樹の大切にしているものも大切にしたいと思ってる。だから――」

樹が野球に打ち込んでいるのを知っている。その妨げになるようなことだけはしたくないといつも思っている。

「樹にも、私の気持ち知ってほしい。私の生活を理解してもらえたら嬉しい」

ぎゅっとスマホを握りしめる。

「お互いを尊重し合えたらいいなって、思うんだ」
(尊重……?)

樹の低い声が耳元で聞こえた。

「うん。そうすれば、どちらかが無理をし過ぎたりしなくていい。これからも、二人で助け合って行けるんじゃないかな。私は、樹と、そんな風になりたい!」

自分を奮い立たせて言った。

どうか、分かってほしい――。

(未雨は、俺といることでそんなに無理をしてるのか?)

抑揚のない声にまた怯えそうになるけれど、もう誤魔化したり飲み込んだりしたくない。

「少し、無理しているところがあったのかもしれない。これまではそれが無理をしているってことに気付いていなかっただけで……」
(……そう)

溜息のように呟くと、樹はそのまま黙ってしまった。初めて正直に言った。樹がこの言葉をどうとらえるか。言ってしまって不安が募り始める。

「樹――」

沈黙に耐えられなくなって、樹に呼びかけた。でも、すぐにその声は遮られた。

(未雨の言いたいことは分かったよ)
「本当に……?」

それは、私の気持ちを理解してくれたということでいいのだろうか。まだ不安は拭えない。

(ただ、こういうことは、ちゃんと会って話したい。未雨もそう思わない?)

一瞬、金曜日の夜の行為が頭を掠める。ねじ伏せられるように身体を組み敷かれた時の恐怖と乾いた哀しみが胸に広がった。でも、『会って話したい』と言ってくれた樹の気持ちも汲むべきだ。

「そうだね。そうしよう。今度は、ちゃんと話しをしよう」

樹が囚われている、春日井さんに対する誤解も少しずつ解いて行きたい。

「今度会うのは、お互いが都合のつく日にしない?」
(雨が降って、俺の練習が休みになったら? でも、未雨には仕事がある。これまでみたいに俺がそっちに行くわけにはいかないよ)
「土曜なら、樹の練習が終わった後でもいいよ。地元に帰るのは、やっぱりちょっと不安だから、どこか少し離れたところだと嬉しい」

交通費と宿泊費の支出が痛い。でも、月に一度程度なら不可能じゃない。学生の樹に出させるのも申し訳ないから、それが一番二人にとっていいだろう。樹のためにと全てを犠牲にし続けることは、結局二人にとって良い結果にはならない。先のことまで見通さなければ、いつも一緒にはいられない私たちの関係は壊れてしまう。

(未雨がそうしたいなら、そうしよう)
「本当に、いいの……?」

自分から提案しておいておかしいけれど、樹があまりにもあっさりと受け入れてくれたことに逆に驚く。

(そうしたいんだろう?)
「そうだけど……」
(それでいいよ。その代り、俺にちゃんと会いに来て)

樹のその言葉の真意を探る。

(朝、隣に未雨がいなくなっていて、永遠に俺から逃げ出すつもりなのかもしれないと思った。だから……)

少し弱々しくなった樹の声に、いたたまれなくなる。樹に不安な思いをさせてしまったのか。

「会いに行く。ちゃんと会いに行くからね」

こんな風に話をすることができたのは、久しぶりかもしれない。冷静になれば、こうして話ができる。

樹とだって、穏やかに過ごせる――。

そう思いたかった。そう信じたかったのだ。

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