雨の庭で来ぬ君を待つ【本編・その後 完結】

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第五章 神立

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 月曜日の朝、テレビの情報番組で梅雨が明けたと発表していた。

「今年の梅雨は雨が多かった」
「そうですね」

向かい合って座る春日井さんは、いつもと変わりない。それにホッとしているような切ないような、複雑な心境になる。

「これから、夏本番だな。今年の夏は暑くなるのかな」

そう呟いて、春日井さんが庭に目をやった。雨続きの毎日が嘘みたいに、明るい太陽が降り注いでいる。

「――樹君は」

春日井さんの声に、グラスを口に運ぶ手が止まる。春日井さんは庭に視線を向けたまま私に問い掛けた。

「確か、大学四年生だったよね。野球部の活動っていつまでなの? 引退とか、そういのあるのかな」
「……どうでしょう。いつかは引退するんだろうけど、就職も決まっているし練習は続けるんじゃないかと思います」

春日井さんは、私と樹の今の状況を知らない。そもそも、春日井さんから樹の話題を振って来るのは珍しいことだった。

「そう……。世間は夏休みになるっていうのに大変だね。君も寂しくなるね。梅雨が明けたら、雨が減る」

庭から視線が私の方へと移る。その笑みに、どう応えたらいいのか分からなくなる。

「どうして、雨……」
「糸原さん、いつも天気予報が始まると、手を止めて真剣に見ていただろう? 雨予報だと少し嬉しそうだったから」

そう言って、春日井さんが微笑む。

「梅雨が終わっても、雨がたくさん降るといいな」

そんな風に笑わないで――。

お門違いなことを思う。そして、また胸の奥が苦しくなる。その時だった。

「ちょっと! 太郎君いるんでしょう!」

玄関の方から騒がしい声が聞こえて来た。扉をバンバンと叩く音もする。それは、明らかに女性の声だった。

「この声は……」

そう言葉を発すると、勢いよく椅子から立ち上がり春日井さんが玄関へと消えた。この家に暮らし始めてから、春日井さんを訪ねて来る人を見たことは一度もない。私がいない時に来ることもあったのかもしれないけれど、少なくとも私は見たことがなかった。どうしても気になって、玄関の方に意識を集中させてしまう。

「こんな朝っぱらに、突然どうした――」
「突然なのはそっちだよね? 一体、何を考えてるの? とにかくお邪魔するからね」
「ちょっと、待て――」

そんなやり取りから間もなく、一人の女性が慌ただしくやって来て私の前に現れた。

「この人誰? どこの誰!」
「え……? あ、あの」

ショートヘアにくりっとした目が印象的な可愛らしい人だったけれど、とにかく酷く眉間に皺を寄せて私を睨みつけている。これが一体どういう状況なのか分かりかねて、助けを求めるように春日井さんを見た。

「おい、初対面の人に失礼だろ! とにかく、話は僕の部屋でしよう。ほら、こっちに来い」
「その前に、この人がどこの誰だか教えてよ。結婚って一体何よ! そんなの私、聞いてない」

その人の腕を掴んで、春日井さんが引っ張って行こうとしている。でも、女性は激しく抵抗して、その視線を私から移そうとしない。

「糸原さん、朝からごめんね。気にしないで」

困ったように私に手を合わせて、引きずるようにその女性をキッチンから連れ出した。

「"いとはらさん"って、何それ。誰!」

それでも彼女の声は止まなかった。それは、本当に嵐のような出来事で。私は唖然として見ていた。誰だろう。春日井さんと彼女の会話の様子から、かなり気心知れている間柄と分かる。

もしかして、春日井さんが心の中で想っているという人――?

春日井さんの部屋へと消えた二人に、心がざわざわとして仕方がない。おかげで、その日は仕事でミスを連発した。


 帰宅して家の前まで来ても、なんとなく入るのにためらいがある。家の周りでうろうろしているわけにもいかない。心を決めて、扉を開けた。

「ただいま――」
「ああ、おかえり」

ちょうど玄関先にいた春日井さんが、すぐに私に顔を向けた。

「今日は朝から騒がしくてごめんね」
「い、いえ……。もう、お帰りになったんですか?」

躊躇いつつも、そう聞いた。

「ああ。あの子、ここの家主の娘でね。昔からの知り合いなんだ」
「そう、だったんですか……」

――昔からの知り合い。

その言葉の意味をどう解釈すればよいだろうか。東京では、少なくとも春日井さんは人と関わろうとしていない。まったくと言っていいほど。そんな春日井さんが心を許している人。きっと、私の知らない春日井さんをたくさん知っている人――。

「糸原さん……? どうしたの?」
「すみません。なんでもないです」

考え込んでしまっていた私を不思議そうに見つめる目と視線がぶつかり、慌てて目を逸らした。

「玄関先で引き留めて悪かったね」

そう言うと、春日井さんは自分の部屋へと入って行った。その背中を見送りながら溜息を吐く。

樹とのことを、春日井さんに言うべきか――。

指輪がなくなった左手薬指を見て、またも溜息を吐く。この状況が報告するべき段階にあるのか、溜息ばかりが浮かぶ。
 一方的に別れを告げた日から、樹からは何の音沙汰もない。それをそのまま理解していいのか。どうしても私の中の不安は消えない。

こんなに簡単に終われるはずはない――。

樹にも言われた言葉だ。その言葉が私に重くのしかかる。



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