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第六章 秋雨
二
しおりを挟む「――日曜日の原宿は、難易度高いな」
東京の中でも人でごった返している場所の一つ、原宿の竹下通りの前に私たちは立っていた。道路に描かれた横断歩道も人で埋め尽くされて隠れているし、目の前に伸びる竹下通りも人の姿しか分からない。
「すみません、私、来たことがなくて。一人で来るような場所でもないし、これまでまったく縁がなかった場所なんですけど、でも、一度来てみたかったんです」
繁華街は、私の生活の中で一番不要で一番近付いては行けない場所だった。大学時代ですら、親しくしていた友人はいなかったから誰かと来るという機会もない。樹にも、無駄に出歩くなと言われていた。それに、人で溢れた場所に身を置けば、より一層孤独を感じそうで怖かったのもある。
「よし、行こう。僕たちも東京に住んでいるんだ。原宿くらい、緊張せずに来られるようにならないとな」
「はい!」
私が『原宿の竹下通りに行きたい』と提案した時、一瞬春日井さんが躊躇うような表情をしたのに気付いた。もしかしたら人の多い所は嫌なのかもしれないと気になったけれど、目の前の春日井さんの笑顔に安堵する。
「ここ、左側通行らしいんだ。だから、こっち」
「は、はいっ」
通りに足を踏み入れた時にすぐに人とぶつかりそうになった私を心配そうに振り返る。二人並んで歩くのも困難だ。とにかく、春日井さんを見失わないように必死だった。
「あっ、ご、ごめんなさい――」
誰かを避けたと思ったら、また別の人にぶつかる。そのたびに春日井さんの背中が離れそうになって余計に焦る。その時、私の腕が掴まれたのに気付いた。
「ごめん。こんなところではぐれると大変だから」
離れてしまいそうだと思っていた春日井さんが私のすぐ前にいて、振り返ってくれた。
「い、いえ。ありがとうございます」
掴まれた腕に緊張すると共に、触れられた場所からじんと温かくなる。
「本当にすごい人ですね! 東京に何年も住んでるのに、ここまで人に埋もれたことはないかも!」
手を繋いでいるわけじゃない。あくまでもはぐれないために腕を掴まれているだけ。それなのに妙に恥ずかしくて、それを誤魔化すように饒舌になる。
「もしかしたら、僕は君よりもっとかもしれない。僕の職場は歩いて行けるところだから」
「なるほど!」
妙に恥ずかしいのに、やっぱりそれより嬉しさの方が勝る。
「行きたい店が出て来たら遠慮なく言って。僕が、この人の波の中責任もって誘導する」
冗談ぽく大袈裟に、そして何故か得意げに春日井さんが言った。だから笑ってしまった。
「実は私、特に見たい店があったわけじゃないんです。ただ、この通りを歩いてみたかったの」
「――じゃあ」
春日井さんが意味ありげな視線を私に寄こす。
「これから、無謀な提案していい?」
「提案? あっ……してみたいことですか?」
この日のデート一つ目の提案は、私がしたものだ。次は春日井さんの番だ。
「そう。僕がしてみたかったこと」
「何ですか?」
その質問には答えずに、私の腕を強く引いた。そうして春日井さんが足を止めた場所は、女子中高校生らしき人が列をなしているクレープ屋だった。
「クレープ?」
春日井さんとクレープがまったく結びつかない。
「一度やってみたかった。外で歩きながらソフトクリームを食べること。さすがに、男が一人でそれをやったら怪しい気がして」
「で、でも、ここクレープやさん……」
「この際、クレープでもいい」
そう言って笑う春日井さんに、私は吹き出してしまう。
「本当に無謀ですよ。この人ごみの中でクリームたっぷりのクレープを食べ歩くなんて!」
「だろ? でも、都会で生きて行くには必要なスキルだと思わない? 君も一緒にそのスキルを手に入れよう」
さっさと列の最後尾に並び出す春日井さんに腕を引かれる。そして早速メニュー表を目を凝らして見ながら、「どれにしよう」なんて言って大真面目に迷っている。
「私は、ビターチョコレートにします」
一番シンプルなチョコレートだけを包んだクレープだ。
「え? もう決まったの?」
「もうって、春日井さんまだ決まってないんですか? 並び始めて十分は経ってますよ」
「そんなに? 困ったな。あんなに種類があるのに一つに決めるとか、絶対無理だろ」
「だったら、二つに絞ったらどうですか? そのうちの一つは私が頼むので、そうしたら二種類食べられますよ?」
私は特にこれが食べたいと選んだものじゃない。だったら春日井さんが食べたいものを選べばいいと自然にそう言葉にしていた。
「い、いや、それじゃあ君に悪い。大丈夫、僕だって一つに決めることくらいできるさ」
何故か春日井さんが焦ったようにそう言うと、すぐさま数ある中から指さした。
「僕はホイップカスタードブルーベリーチーズケーキにする。どうせならすごいのを食べたい」
そう宣言した春日井さんが、やっぱり可笑しくて笑ってしまう。
「これ……明らかに、選んだもの、君と僕で反対のものに見えるよね」
私たちの手元にクレープが届いて、お互いに見合わせる。春日井さんが苦笑した。春日井さんの手には、可愛らしい生クリームの絞りにブルーベリーソースがかかりその横にはチーズケーキまで載っている。ボリュームたっぷりで、見た目は、ただただ可愛らしい。その点、私のクレープと来たら、ただのクレープの生地が巻かれているだけのもの。溶けたビターチョコレートは全て生地に隠れている。
「今時、男らしいとか女らしいとか、ないですから……っ」
「そう言いながら、君、さっきからずっと笑ってるじゃないか」
春日井さんが怒ってみせる。
「いえ、笑ってないです。笑ってない――」
「ほら!」
私が必死に口元を押さえていると、春日井さんも結局笑った。春日井さんが甘いものが好きだということも、実は優柔不断だということも。そんな、これまで知らなかったことを一つ一つ知ることが出来たのが嬉しくて。自然と笑顔になってしまうのだから、仕方がない。
「食べましょうよ。美味しいですよ」
すぐ目の前は人の波が動いて。注意しないと誰かの服にクリームを付けてしまいそうになる。だから、私たちは身を寄せ合ってクレープを頬張った。
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