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第六章 秋雨
三
しおりを挟む竹下通りには普段見たことのないような店が並んでいて、そのつもりはなくてもついつい視線が止まってしまう。そのたびに春日井さんは嫌な顔一つせず、私の興味の向くものに付き合ってくれた。
「こんなの、普段している人なんているのかな……」
ヘアアクセサリーが所狭しと陳列されている店内で、私は無意識のうちにひとり言を零していた。そこに並んでいたのは、大きな花が連なったカチューシャだった。お花畑から出て来たお姫様でもなければ、自然に着こなすというのは難しいと思う。ピンクや黄色、水色の花が頭を囲うように並んでいるデザインだった。
どんなシチュエーションの時に使うんだろう――?
手に取りながら、真剣に悩んでいた。
「――可愛い。まるで、花畑で遊んでる女の子だ」
「え……?」
突然耳に届いた春日井さんの声に、咄嗟に後ろを振り返る。
「え? あっ、か、勝手に!」
近くにあった姿見に私の姿が映し出されている。私の頭にはたくさんの花が並んでいた。背後から春日井さんにそのカチューシャをつけられていたのだ。
「私、こんなに可愛らしいもの絶対似合いませんから!」
「可愛いよ」
「そんな真顔で言っても無駄です。それに、私は女の子なんて歳じゃありません!」
”可愛い”
冗談でも、子どもに言うみたいなものでも、そんなことを言われれば大人げなく顔を赤らめてしまうだろう。それを知られたくなくてすぐに俯いた。
「可愛いものは可愛いんだよ」
そう言って、春日井さんは笑う。
「竹下通りって、そんなに距離はないと思っていたけど、結構時間かかったね」
竹下通りを抜けて、明治通りに出た。
「あの人ごみの中を掻き分けるには、時間もかかるし体力もいるんだと知りました」
人の中に埋もれるというのは、ただそれだけで疲労を感じる。でも、その疲労は心地よかった。
「確かに少し疲れたし、早めに昼飯にしようか」
いつの間にか私の腕から離れていた春日井さんの手が、お腹に当てられていた。
「さっきクレープ食べたのに、もう腹が減ってる」
「じゃあ、お昼にしましょう」
私が頷くと、春日井さんがにっと口角を上げる。
「お昼の場所なんだけど、ここで提案いい?」
「あっ! 私も、食べたい場所があるんです!」
つい、勢いよく言ってしまった。この日したいことリストの一つに挙げてあるのだ。
「あ……でも、春日井さんの行きたいところでいいですよ」
「いや、ここはお互いにちゃんと提案して協議しよう。平等に『せーの』で一緒に言おう」
春日井さんが額の汗を拭いながら私を見る。
「はい。じゃあ、せーの――」
お互い向き合って、口を開く。
「ファストフード!」
「ファストフード!」
言い終えて、つい見つめ合ってしまった。
「同じ?」
「同じ、ですね」
春日井さんと同じことを考えていた。それがまた可笑しくて。
「なら、協議は必要ないな」
また、二人で笑ってしまう。
一番近くにあったチェーンのファストフード店に入った。やはりここも客で一杯だった。席を見つけるのも一苦労だったが、少し待っていたら運よく二人用の席が空いた。注文を終えて席に戻り、向かい合って座る。
「高校生とか、放課後こういうところに来てお喋りしているじゃないですか。そういうこと、学生時代にせずに終わってしまったから、どこか憧れがあったんです」
ハンバーガーの包み紙を慎重に開く。
「……分かる。僕も同じ」
何故だろう、春日井さんの目がほんのわずか歪んで見えた。でも、それは気のせいだったかもしれない。すぐに春日井さんは笑顔を見せてくれた。
「せっかくのデートで、食事の場所がファストフードなんてどうかなと思ったんだけど。君も同じこと考えてくれていて良かった」
「私も、いい大人なのにって思ったんですけど、良かったです――」
「――えーっ、何それ!」
私たちの会話に、隣の席にいる女の子の高い声が飛び込んで来た。耳だけを隣に意識を向け、ついじっと聞き耳を立ててしまう。
「ダメ?」
「ダメダメ、そんなの」
その子たちも二人組だった。私服だからはっきりはしないけれど、濃いメイクの割にどことなく幼さもあるから高校生くらいだろうか。
「竹下通り歩いて、一緒にクレープ食べて、お昼はファストフード? いまどき、中学生ですらそんなベタでおこちゃまみたいなデートしないわ」
思わず、向かいに座る春日井さんと目を合わせる。
「だって、初めてで思い浮かばないんだもん。とにかく、デートに誘い出すのに必死で。失敗は許されないの!」
どうやら、好きな男の子と初めてデートをする女子高生が、友人にそのデート内容を相談しているらしい。
「なおさらそんなのダメでしょ。人ごみの中で一緒にいるのを耐えられる男女なんて超ラブラブの時だけ。そういう時は何やったって笑ってられるからね。でも、そうじゃなきゃ明らかに失敗する」
「そうなの?」
「あたりまえじゃん。相手の男、絶対不機嫌になるよ」
なんだろう、このいたたまれなさ。ちらりと春日井さんの表情を盗み見ると、口元に指をやり苦笑いしていた。
結局、私たちは黙々と食べることに専念し早々に店を出た。その途端に、春日井さんが笑いを零した。
「僕たちのデート、中学生以下らしいね」
「なんだか恥ずかしいですね」
本当に、恥ずかしい。何だかよくわからないけれど、無性に恥ずかしい。
「大人だって、ベタで子供っぽいデートをしたっていいだろう。昔、叶わなかったことを大人になってしたっていい」
どこか遠くを見るように笑う春日井さんの表情が、胸の中にひらりと落ちる。
昔、叶わなかったこと――もしかしたらこれは、春日井さんが好きな人としたかったことなんじゃないか――。
そうふと思って頭を振る。たとえそうだとしても、春日井さんが笑えるなら私は喜んでその追憶の身代わりになる。今、春日井さんと笑い合えるならそれで十分だ。
「――さて、次はどうしましょうか?」
だから私も春日井さんに笑いかける。
「君のしたいことは?」
曇り空の下、柔らかな前髪を湿気をはらんだ重い風が少し揺らす。露わになるその目は、あまりに綺麗で私には眩しすぎる。暗く哀しい過去をその奥に抱えて、それを時おり透き通らせるように瞳が仄暗くなる時がある。でも、こうして、ちゃんと温かい眼差しも春日井さんの中に残っている。春日井さんが笑うたび私は嬉しくなるのだ。
「じゃあ、図書館に行きたいです」
「図書館? 君、いつも来てるじゃない」
きょとんとした目を私に向ける。
「誰かと一緒に行きたかったんです」
また、あの頃みたいに春日井さんと図書館で過ごしたいと思った。春日井さんが一瞬、瞳を揺らす。
「……分かった」
私の意図に気付いたのだろうか。その答えは分からない。特にそれ以上の理由を私に問うことはせず、近くにある図書館を探してくれた。
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