雨の庭で来ぬ君を待つ【本編・その後 完結】

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《その後》二人で見た海であなたを待つ

君との未来 6

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 この腕の中に、未雨さんがいる。確かにいるのに、不安が足元からこみ上げて来る。

「――ん」

それを追い払いたくて、何度も深く口付ける。絡めた彼女の柔らかかくて熱い舌を離したくなくて、長く激しいキスになる。それでも未雨さんは、一切抵抗しようとしなかった。ただ、必死に、僕の胸のあたりのシャツを握り締めるだけだ。苦しそうに顔を赤くしているのに気付いて、唇を離す。離した唇を、耳たぶに這わせ、首筋に滑らせる。衝動のままに膨らみに手を伸ばそうとして、その手のひらをぐっと握り締める。

「か、すがい、さん……?」

僕を受け入れようとしていた彼女が、掠れた声で僕を呼ぶ。僕は、跳ね上がり続ける心臓が落ち着くのを待つ間、未雨さん首筋に顔を埋めてじっとした。

「ど、したの?」

途切れがちでも、透明な声が僕をうかがう。

「……うん」

今の顔は見られたくない。

「このまま……私は、いいよ……?」

彼女の声が身体に響く。

「ううん、今日はこうしてただ抱き締めていたい」

僕は、その身体を抱き締めた。強く掻き抱く。

「抱き締めさせて」

そう言うと、未雨さんも僕を抱き締め返してくる。

「――いいですよ。いくらでも」

手のひらが僕の背中を優しくさすり始めた。

「私も春日井さんを抱きしめたいから」

そんな風に、僕を想わないで――。

そう思いながら、もっともっと僕を好きになって、何があっても離れられないくらい僕に溺れてと、矛盾する願望を常に抱え続けて。

それでも僕は、君のそばにいたい――。

何もあげられない。むしろ、いろんなものを奪うかもしれない。でも、その分大切にするから、君だけを愛しているから、ずるい僕を許してほしい。



「あの、”未雨さん”っていう呼び方、やっぱりやめませんか……?」

夜、狭い布団で、彼女を腕に抱きながら話をする。抱き合う時間と同じくらい、かけがえのない時間だ。あれ以上何も問い質しては来なかったけれど、この夜は、未雨さんがいつも以上に僕にくっついて来る。きっと、何かを感じて、僕を労わろうとしている。

「どうして?」

未雨さんの長い髪に触れながら、そう尋ねた。

「私の方が年下だし、なんだか落ち着かないんです。”未雨”って呼んでもらいたいな……」

それくらいのお願い、聞いてあげたいと思う。

「分かった。じゃあ、僕のことも名前で呼んで? そうしたら、僕も”未雨”って呼ぶから」
「……え? あ……うん」

困りながらも、嫌だと言えない彼女は、曖昧な返事をする。そんなところも、可愛いと思ってしまう。

「じゃあ、”太郎さん”で、いいですね」

早口でそう言った。

「かす……太郎さんの方が年上だから、私は”さん”を付けてもおかしくないですから」
「そんなに気にするほどの歳の差じゃないだろう? たかが一歳差だ。でも……うん、それでもいいよ」

僕は彼女みたいに、あんまり困らせられないのだ。仕返しをしようとしても、いつも中途半端なものに終わる。

「……ありがとう、ございます。太郎、さん」

あまりにぎこちなく恥ずかしそうに言うものだから、こちらまで気恥ずかしくなる。

「太郎さん、太郎さん、太郎さん……」
「何? どうしたの」

急に、何度も言い続けるから、彼女の頬に手を添えて、その顔をのぞきこむ。

「練習。早く、言い慣れたいから」

大真面目な顔でそんなことを言うから、僕は笑ってしまった。

「練習? じゃあ、僕も練習しないと。未雨、未雨、未雨……。確かに、言い慣れないから、照れくさいな」
「早く、それが自然になれるといいな」

僕を見つめる透き通るような目に、奥底で胸が軋む。

「……そうだね。僕も、頑張って”未雨”と呼ぶよ」
「太郎、さん」

そう呼んで、彼女が僕の胸に顔を埋める。

「大好きだからね。すごく、好き。これから先はずっと、私が一番近くにいるから。だから、太郎さんも、私の傍にいてね。二人でいようね」
「――うん」

胸が詰まって、そう答えるのが精一杯だった。



 また、あの場面が現れる。翔太が自分の命を終わらせる場面。その目が僕に訴える。酷く切なそうに哀しそうに、そして、諦めたような目を僕に向けた。早くにいなくなった両親の代わり、僕があいつの親のようなものだった。

”俺が悪いことばかりしていたのは、兄ちゃんがちゃんと見ていてくれなかったから。おまえは、普通の兄弟なんかと違うからな。おまえは、親代わりだったんだから――”

気の毒な兄弟なんかじゃない、むしろ僕は、翔太の一番の保護者みたいなものだった。

”人を殺しておいて、その家族が幸せになるなんて、絶対に許せない”
”一生罪を背負って、生きろ!”

顔のパーツがない人間たちが急に僕の周りに集まって来る。みんなが、口々に言う。その中に一人だけ、顔のある人間がその真ん中に立つ。

”一人息子を失った。あの子は一生戻って来ないんです。あなたがいくら謝りに来たって、もう戻って来ない!”

僕は――。

”兄ちゃん、俺、寂しいよ。どうして、俺をもっと見ていてくれなかったんだよ――っ”

「翔太……っ!」
「春日井さん?」

思い切り開いた目の中に、彼女の顔が飛び込んで来た。

「大丈夫ですか?」

彷徨っていた僕の手を、彼女の手が強く掴む。両手でぎゅっと包込んでくれていた。

「弟さんの夢を、見たんですか?」
「あ……」

二人で暮らしていた頃、一度だけ、彼女に見つかったことがあったか。

「うん。でも、大丈夫」

不安そうに見つめる彼女の顔を手のひらで包む。安心させたくて、微笑んで見せた。

「……ごめんね、起こしちゃって」
「そんなこといいの。そんなことより、辛い時は、無理しないで私に頼って。私じゃ何の力にもなれないかもしれないけど、でも、春日井さんの辛さを知りたい。私も――」
「呼び方、戻ってるよ?」

僕を必死に見つめる彼女を抱き寄せた。

「あ……っ、でも、今はそんなことじゃなくて――」
「ありがとう。苦しい夢を見て目覚めたら、こうして隣に君が眠ってくれてる。それだけで、僕は救われてるから。ありがとう」

君はこんなにも僕を大事に想ってくれている。それに僕は甘えている。甘えているんだよ――。

 次に目覚めた時には、きちんと朝になっていた。隣に眠る彼女の頬に、そっとキスをする。そして、静かに立ち上がると、壁にかかるカレンダーが目に入った。
 十一月最後の日曜日のその日付を見つめる。一年に一度やって来るその日は、僕が死ぬまで向かい合わなければならない日だ。








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