119 / 154
《その後》二人で見た海であなたを待つ
君との未来 6
しおりを挟むこの腕の中に、未雨さんがいる。確かにいるのに、不安が足元からこみ上げて来る。
「――ん」
それを追い払いたくて、何度も深く口付ける。絡めた彼女の柔らかかくて熱い舌を離したくなくて、長く激しいキスになる。それでも未雨さんは、一切抵抗しようとしなかった。ただ、必死に、僕の胸のあたりのシャツを握り締めるだけだ。苦しそうに顔を赤くしているのに気付いて、唇を離す。離した唇を、耳たぶに這わせ、首筋に滑らせる。衝動のままに膨らみに手を伸ばそうとして、その手のひらをぐっと握り締める。
「か、すがい、さん……?」
僕を受け入れようとしていた彼女が、掠れた声で僕を呼ぶ。僕は、跳ね上がり続ける心臓が落ち着くのを待つ間、未雨さん首筋に顔を埋めてじっとした。
「ど、したの?」
途切れがちでも、透明な声が僕をうかがう。
「……うん」
今の顔は見られたくない。
「このまま……私は、いいよ……?」
彼女の声が身体に響く。
「ううん、今日はこうしてただ抱き締めていたい」
僕は、その身体を抱き締めた。強く掻き抱く。
「抱き締めさせて」
そう言うと、未雨さんも僕を抱き締め返してくる。
「――いいですよ。いくらでも」
手のひらが僕の背中を優しくさすり始めた。
「私も春日井さんを抱きしめたいから」
そんな風に、僕を想わないで――。
そう思いながら、もっともっと僕を好きになって、何があっても離れられないくらい僕に溺れてと、矛盾する願望を常に抱え続けて。
それでも僕は、君のそばにいたい――。
何もあげられない。むしろ、いろんなものを奪うかもしれない。でも、その分大切にするから、君だけを愛しているから、ずるい僕を許してほしい。
「あの、”未雨さん”っていう呼び方、やっぱりやめませんか……?」
夜、狭い布団で、彼女を腕に抱きながら話をする。抱き合う時間と同じくらい、かけがえのない時間だ。あれ以上何も問い質しては来なかったけれど、この夜は、未雨さんがいつも以上に僕にくっついて来る。きっと、何かを感じて、僕を労わろうとしている。
「どうして?」
未雨さんの長い髪に触れながら、そう尋ねた。
「私の方が年下だし、なんだか落ち着かないんです。”未雨”って呼んでもらいたいな……」
それくらいのお願い、聞いてあげたいと思う。
「分かった。じゃあ、僕のことも名前で呼んで? そうしたら、僕も”未雨”って呼ぶから」
「……え? あ……うん」
困りながらも、嫌だと言えない彼女は、曖昧な返事をする。そんなところも、可愛いと思ってしまう。
「じゃあ、”太郎さん”で、いいですね」
早口でそう言った。
「かす……太郎さんの方が年上だから、私は”さん”を付けてもおかしくないですから」
「そんなに気にするほどの歳の差じゃないだろう? たかが一歳差だ。でも……うん、それでもいいよ」
僕は彼女みたいに、あんまり困らせられないのだ。仕返しをしようとしても、いつも中途半端なものに終わる。
「……ありがとう、ございます。太郎、さん」
あまりにぎこちなく恥ずかしそうに言うものだから、こちらまで気恥ずかしくなる。
「太郎さん、太郎さん、太郎さん……」
「何? どうしたの」
急に、何度も言い続けるから、彼女の頬に手を添えて、その顔をのぞきこむ。
「練習。早く、言い慣れたいから」
大真面目な顔でそんなことを言うから、僕は笑ってしまった。
「練習? じゃあ、僕も練習しないと。未雨、未雨、未雨……。確かに、言い慣れないから、照れくさいな」
「早く、それが自然になれるといいな」
僕を見つめる透き通るような目に、奥底で胸が軋む。
「……そうだね。僕も、頑張って”未雨”と呼ぶよ」
「太郎、さん」
そう呼んで、彼女が僕の胸に顔を埋める。
「大好きだからね。すごく、好き。これから先はずっと、私が一番近くにいるから。だから、太郎さんも、私の傍にいてね。二人でいようね」
「――うん」
胸が詰まって、そう答えるのが精一杯だった。
また、あの場面が現れる。翔太が自分の命を終わらせる場面。その目が僕に訴える。酷く切なそうに哀しそうに、そして、諦めたような目を僕に向けた。早くにいなくなった両親の代わり、僕があいつの親のようなものだった。
”俺が悪いことばかりしていたのは、兄ちゃんがちゃんと見ていてくれなかったから。おまえは、普通の兄弟なんかと違うからな。おまえは、親代わりだったんだから――”
気の毒な兄弟なんかじゃない、むしろ僕は、翔太の一番の保護者みたいなものだった。
”人を殺しておいて、その家族が幸せになるなんて、絶対に許せない”
”一生罪を背負って、生きろ!”
顔のパーツがない人間たちが急に僕の周りに集まって来る。みんなが、口々に言う。その中に一人だけ、顔のある人間がその真ん中に立つ。
”一人息子を失った。あの子は一生戻って来ないんです。あなたがいくら謝りに来たって、もう戻って来ない!”
僕は――。
”兄ちゃん、俺、寂しいよ。どうして、俺をもっと見ていてくれなかったんだよ――っ”
「翔太……っ!」
「春日井さん?」
思い切り開いた目の中に、彼女の顔が飛び込んで来た。
「大丈夫ですか?」
彷徨っていた僕の手を、彼女の手が強く掴む。両手でぎゅっと包込んでくれていた。
「弟さんの夢を、見たんですか?」
「あ……」
二人で暮らしていた頃、一度だけ、彼女に見つかったことがあったか。
「うん。でも、大丈夫」
不安そうに見つめる彼女の顔を手のひらで包む。安心させたくて、微笑んで見せた。
「……ごめんね、起こしちゃって」
「そんなこといいの。そんなことより、辛い時は、無理しないで私に頼って。私じゃ何の力にもなれないかもしれないけど、でも、春日井さんの辛さを知りたい。私も――」
「呼び方、戻ってるよ?」
僕を必死に見つめる彼女を抱き寄せた。
「あ……っ、でも、今はそんなことじゃなくて――」
「ありがとう。苦しい夢を見て目覚めたら、こうして隣に君が眠ってくれてる。それだけで、僕は救われてるから。ありがとう」
君はこんなにも僕を大事に想ってくれている。それに僕は甘えている。甘えているんだよ――。
次に目覚めた時には、きちんと朝になっていた。隣に眠る彼女の頬に、そっとキスをする。そして、静かに立ち上がると、壁にかかるカレンダーが目に入った。
十一月最後の日曜日のその日付を見つめる。一年に一度やって来るその日は、僕が死ぬまで向かい合わなければならない日だ。
1
あなたにおすすめの小説
結婚相手は、初恋相手~一途な恋の手ほどき~
馬村 はくあ
ライト文芸
「久しぶりだね、ちとせちゃん」
入社した会社の社長に
息子と結婚するように言われて
「ま、なぶくん……」
指示された家で出迎えてくれたのは
ずっとずっと好きだった初恋相手だった。
◌⑅◌┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈◌⑅◌
ちょっぴり照れ屋な新人保険師
鈴野 ちとせ -Chitose Suzuno-
×
俺様なイケメン副社長
遊佐 学 -Manabu Yusa-
◌⑅◌┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈◌⑅◌
「これからよろくね、ちとせ」
ずっと人生を諦めてたちとせにとって
これは好きな人と幸せになれる
大大大チャンス到来!
「結婚したい人ができたら、いつでも離婚してあげるから」
この先には幸せな未来しかないと思っていたのに。
「感謝してるよ、ちとせのおかげで俺の将来も安泰だ」
自分の立場しか考えてなくて
いつだってそこに愛はないんだと
覚悟して臨んだ結婚生活
「お前の頭にあいつがいるのが、ムカつく」
「あいつと仲良くするのはやめろ」
「違わねぇんだよ。俺のことだけ見てろよ」
好きじゃないって言うくせに
いつだって、強引で、惑わせてくる。
「かわいい、ちとせ」
溺れる日はすぐそこかもしれない
◌⑅◌┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈◌⑅◌
俺様なイケメン副社長と
そんな彼がずっとすきなウブな女の子
愛が本物になる日は……
私たちの離婚幸福論
桔梗
ファンタジー
ヴェルディア帝国の皇后として、順風満帆な人生を歩んでいたルシェル。
しかし、彼女の平穏な日々は、ノアの突然の記憶喪失によって崩れ去る。
彼はルシェルとの記憶だけを失い、代わりに”愛する女性”としてイザベルを迎え入れたのだった。
信じていた愛が消え、冷たく突き放されるルシェル。
だがそこに、隣国アンダルシア王国の皇太子ゼノンが現れ、驚くべき提案を持ちかける。
それは救済か、あるいは——
真実を覆う闇の中、ルシェルの新たな運命が幕を開ける。
冷酷伯爵ディートリヒは、去った妻を取り戻せない
くろねこ
恋愛
名門伯爵家に政略結婚で嫁いだ、正妻エレノア・リーヴェルト。夫である伯爵ディートリヒ・フォン・アイゼンヴァルトは、
軍務と義務を最優先し、彼女に関心を向けることはなかった。
言葉も、視線も、愛情も与えられない日々。それでも伯爵夫人として尽くし続けたエレノアは、ある一言をきっかけに、静かに伯爵家を去る決意をする。
――そして初めて、夫は気づく。
自分がどれほど多くのものを、彼女から与えられていたのかを。
一方、エレノアは新たな地でその才覚と人柄を評価され、
「必要とされる存在」として歩き始めていた。
去った妻を想い、今さら後悔する冷酷伯爵。前を向いて生きる正妻令嬢。
これは、失ってから愛に気づいた男と、
二度と戻らないかもしれない夫婦の物語。
――今さら、遅いのです。
遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。
沼野 花
恋愛
私は、夫にも子供にも選ばれなかった。
その事実だけを抱え、離縁を突きつけ、家を出た。
そこで待っていたのは、最悪の出来事――
けれど同時に、人生の扉がひらく瞬間でもあった。
夫は愛人と共に好きに生きればいい。
今さら「本当に愛していたのは君だ」と言われても、裏切ったあなたを許すことはできない。
でも、子供たちの心だけは、必ず取り戻す。
妻にも母にもなれなかった伯爵夫人イネス。
過去を悔いながらも、愛を手に入れることを決めた彼女が辿り着いた先には――
復讐のための五つの方法
炭田おと
恋愛
皇后として皇帝カエキリウスのもとに嫁いだイネスは、カエキリウスに愛人ルジェナがいることを知った。皇宮ではルジェナが権威を誇示していて、イネスは肩身が狭い思いをすることになる。
それでも耐えていたイネスだったが、父親に反逆の罪を着せられ、家族も、彼女自身も、処断されることが決まった。
グレゴリウス卿の手を借りて、一人生き残ったイネスは復讐を誓う。
72話で完結です。
☘ 注意する都度何もない考え過ぎだと言い張る夫、なのに結局薬局疚しさ満杯だったじゃんか~ Bakayarou-
設楽理沙
ライト文芸
☘ 2025.12.18 文字数 70,089 累計ポイント 677,945 pt
夫が同じ社内の女性と度々仕事絡みで一緒に外回りや
出張に行くようになって……あまりいい気はしないから
やめてほしいってお願いしたのに、何度も……。❀
気にし過ぎだと一笑に伏された。
それなのに蓋を開けてみれば、何のことはない
言わんこっちゃないという結果になっていて
私は逃走したよ……。
あぁ~あたし、どうなっちゃうのかしらン?
ぜんぜん明るい未来が見えないよ。。・゜・(ノε`)・゜・。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
初回公開日時 2019.01.25 22:29
初回完結日時 2019.08.16 21:21
再連載 2024.6.26~2024.7.31 完結
❦イラストは有償画像になります。
2024.7 加筆修正(eb)したものを再掲載
15年目のホンネ ~今も愛していると言えますか?~
深冬 芽以
恋愛
交際2年、結婚15年の柚葉《ゆずは》と和輝《かずき》。
2人の子供に恵まれて、どこにでもある普通の家族の普通の毎日を過ごしていた。
愚痴は言い切れないほどあるけれど、それなりに幸せ……のはずだった。
「その時計、気に入ってるのね」
「ああ、初ボーナスで買ったから思い出深くて」
『お揃いで』ね?
夫は知らない。
私が知っていることを。
結婚指輪はしないのに、その時計はつけるのね?
私の名前は呼ばないのに、あの女の名前は呼ぶのね?
今も私を好きですか?
後悔していませんか?
私は今もあなたが好きです。
だから、ずっと、後悔しているの……。
妻になり、強くなった。
母になり、逞しくなった。
だけど、傷つかないわけじゃない。
身分差婚~あなたの妻になれないはずだった~
椿蛍
恋愛
「息子と別れていただけないかしら?」
私を脅して、別れを決断させた彼の両親。
彼は高級住宅地『都久山』で王子様と呼ばれる存在。
私とは住む世界が違った……
別れを命じられ、私の恋が終わった。
叶わない身分差の恋だったはずが――
※R-15くらいなので※マークはありません。
※視点切り替えあり。
※2日間は1日3回更新、3日目から1日2回更新となります。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる