雨の庭で来ぬ君を待つ【本編・その後 完結】

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《その後》二人で見た海であなたを待つ

君との未来 7

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 その日の仕事を終えてスマホを見ると、一件のメッセージが届いていた。

(いつもの海にいます。仕事帰りに寄ってください)

未雨さんからのものだった。結局、未雨さんは、図書館には姿を見せていない。朝から夕方まで、一人で時間を潰すのは結構大変だろうと思う。申し訳なさを感じながら、そのメッセージに返信する。

(今から、向かいます)

スマホをバッグにしまい、職員用の駐輪場に置いてある自転車に跨った。

「春日井さん……っ」

まさにペダルを漕ごうとした時、呼び止められた。

「はい」

その声に振り返ると、清水さんが立っていた。清水さんは、僕よりもかなり早く仕事をあがっていたはずだ。まだ帰っていなかったのかと、不思議に思って彼女を見つめる。

「何か……?」

黙ったままで突っ立っている清水さんに、僕は怪訝な目を向けた。特に用がないのであれば、早くここを立ち去りたい。海岸で、未雨さんが待っている。

「あの人……」
「あの人?」

躊躇いをそのまま表情に表したように、俯きながら、何度か口を開こうとしては噤むということを繰り返している。
そして、突然顔を上げた。

「あの人は、やっぱり、春日井さんの――」

でも、そこまで口にしたところで、清水さんはまた俯いた。

「あの人って、誰のことですか?」
「いや……やっぱり、いいです。すみません」
「え……っ?」

勢いよく頭を下げたかと思うと、次の瞬間には僕の前から消えていた。

一体、何だ――?

最近の清水さんの言動は、よく分からないことが多い気がする。北川さんの言っていたことを思い出し、言いようのない不安が湧き上る。考えてもしょうがない。そう自分に言い聞かせ、自転車を走らせた。

 海岸線の途中にある敷地に自転車を止め、砂浜に下りていく。何人かいる人たちの中に、未雨さんを探す。
 相変わらず夕焼けが目に沁みる。そこにある景色すべてをオレンジ色に変えている。波が寄せる音と、人の声。吹き抜ける風が、僕の襟元と前髪を激しく揺らした。
 砂の上は歩きづらい。一歩一歩踏みしめるように歩きながら、彼女を探した。

あ――。

長い髪を一つに束ねた後姿を見つける。

「未雨――」

声を掛けようとした時、彼女の優しく微笑む横顔を見る。

「おねえちゃん、ありがと」
「どういたしまして」

小さい女の子の視線に合わせるようにしゃがんで、未雨さんが優しい微笑みを浮かべていた。その子に帽子を手渡している。僕に見せるのとも少し違う、柔らかくて優しい慈愛に満ちた笑み。

「すみません。ありがとうございました」
「いえ」

母親らしき人が頭を下げるのに、それ以上に未雨さんが頭を深くおろして。

「ばいばーい」
「バイバイ」

手を引かれて帰って行く小さな女の子を、未雨さんが手のひらを振って見送っていた。僕はその姿を、少し離れたところで見ていた。風に揺れる束ねた髪と背中も、オレンジ色がかる。その背中があまりに長い間、微動だにせず立ち続けているから、僕は不安になって彼女の元に駆け寄った。

「未雨」
「あ……っ、かすが、じゃなくて、太郎さん」

振り向くなり、満面の笑みを向けて来た。

「どうしたの?」
「え? ああ、うん。女の子の帽子がね、飛んで行っちゃって、一緒に捕まえたんです」
「……そう」

そのオレンジ色がかった笑みが、僕の目に何故か沁みる。

「女の子、可愛かったー」
「……うん。君、すごく優しい顔してたよ」
「……見てたの?」

彼女の視線に、少し気まずくなりながら答える。

「ごめん。見ていたくなるくらい、君がいい顔してたから」

本当にだ。きっと君は、母親になったら、あんな風に笑うんだろう――。

「そうですか? なんか、ちょっと恥ずかしいですね」

はにかむ彼女の、少し目を伏せた笑みに見入る。

「……子供、好き?」

そう聞いてしまってから、僕は後悔する。

「うーん、そうだな……」

未雨さんは、少し考えるような顔をして僕を見た。

「外で小さい子を見かけると可愛いなって思うんです。今も、女の子とお喋りしていたら、凄く可愛くて。子供っていいなって。いつか、自分も欲しいなって、単純に思うけど――」

きらきらとした目を、少しだけ翳らせた。

「でも、怖くもあります」
「どうして……?」
「私、あんな風に母親とどこかに遊びに行ったりしたこともなければ、手を繋いでもらった記憶もないんです。そんな私が、子どもを可愛がることが出来るのかなって。ちゃんとした愛情を注いであげられるのか。そもそも、親が当然のように自分の子どもに注ぐ愛情がどんなものなのか私は知らない。そんな私が、親になっていいのかって――って、すみません。私、こんな話するつもりじゃなくて――」
「馬鹿だな」

慌てるように、表情を強張らせる彼女を抱きしめた。

「大丈夫だ。君なら大丈夫だよ。君は本当に心が綺麗なんだ。いろんな痛みをそのまま受け入れて来た。だから、絶対に大丈夫。君は、君の親と同じにはならないよ」

その身体を抱きしめながら僕はそう言っていた。

「……ありがとう。そんな風に言ってくれて」

彼女の声が少しだけ濡れていた。勝手にこの心が痛むから、僕は抱き潰してしまいそうになるほど抱きしめる。親の愛情を知らない彼女だからこそ、きっと、温かい家庭を作りたいと思うだろう。彼女こそ、温かい家庭を作るべき人間だ。そして、その温かい家族に囲まれて生きてほしい。

「あっ、そうだ!」

腕の中で声を上げると、彼女がぱっと笑みを浮かべて僕を見上げた。

「今日、この砂浜でしたいことがあったの!」
「したいこと?」

今ある空気を払拭するかのように彼女がはしゃいだ声を出す。

「二人で、写真、撮りましょう!」

そう言うと、スマホを取り出した。

「私、今だに二年前にここで撮った写真を見てるんです。でもこの写真の私と太郎さんは、お互いの気持ちを知らない。だから、今の二人の写真が欲しいんです」

そう言って表示させた僕と彼女の写真は、今より二年分若い。

「はい、太郎さんこっち見て!」

僕を逃がさまいと、僕の肩をがっしりと掴み、腕を目いっぱいに伸ばしてスマホを僕らに向けていた。

「笑ってくださいよ。それと、ちゃんとカメラ目線で」
「あれこれと、注文が多いね」
「だって、いい写真が欲しいんです! はい、行きますよ!」

カシャリと、電子音が鳴る。彼女が嬉しそうに画面を確認した。

「あーっ、もう一度撮ってもいい?」

その笑みが消えて、両手を合わせて来る。

「どうして。ちょっと、見せてごらん」
「だめです。私の顔が変なんです。だから、もう一枚」
「確認してから、僕が判断するよ。いいから見せて」
「あ、でも――」

無理矢理、彼女のスマホを奪ってそこに写る二人を見る。

「――どこが変なの。とってもかわいいよ」
「そう言いながら、笑ってる」
「これは笑っているんじゃなくて、微笑んでるの。すごく可愛い。僕は、絶対にこの写真がいい」

風がその瞬間に吹いたのか、未雨さんの前髪が全開になって額が露わになっていた。それに驚いたような困ったような表情。作った笑みより、よっぽど彼女の可愛さを切り取っている。

「その写真、僕にも送って」
「は、はい……。でも、これ、本当に、私、変なのに」
「今すぐ送って」
「はい」

ぶつぶつと言う彼女に念を押すように言うと、観念してスマホを操作し始めた。

「――じゃあ、私、そろそろ帰ります」
「え……? あ、ああ、そうか。今日は日曜日だったな」

このまま帰るつもりで、彼女は砂浜にいたのだ。本当はもう少し引き留めたい気持ちがあったけれど、翌日のことを考えれば無理も言えない。
 海岸線沿いの歩道に出て、僕は自転車を押し、その隣を彼女が歩く。

「太郎、さん」
「ん?」

歩きながら呟くように僕を呼んだ。

「今は、図書館で一緒に働いている人とは、仲が良かったりするんですか?」
「……え?」

思いもしない話題に、思わず僕は彼女の方を向いてしまった。

「あ、ほらっ、あの東京に住んでいた時の図書館では、あんまり付き合わないようにしてたでしょ? だから、今はどうなのかなって思って」
「ああ、まあ、基本的にはあんまり変わらないかな。ただ、この前も話した上司だけは、こっちの様子お構いなしに勝手に絡んで来るタイプだから、気付くとそのペースにのせられてるんだけどね」
「そうなんだ……。同い年くらいの人、とは?」
「同年代? 全然、だな。というか、その上司以外とは仕事の話しかしないよ」
「でも……」
「ん?」

下を向いたまま歩く彼女を不思議に思う。

「どうした? 何か、気になることでもある?」
「い、いえ。違います」

僕の方を見てそう言った。

「そう?」
「はい。じゃあ、ここで」

気付けば、駅の前に着いていた。

「うん。じゃあ、また」

僕から離れ、改札へと向かう姿を見送る。

「――太郎さん」

消えて行こうとした背中が不意にこちらを向いた。

「この週末も、一緒に過ごせてとっても楽しかった!」

僕にくれる笑顔に、一瞬、表情が歪みそうになって慌てて笑った。

「僕もだよ。ほら、早く行かないと。電車、来そうだよ」
「あっ、本当だ。じゃあ、さよなら」
「ああ」

君が笑顔をくれるおかげで、僕は、許された気持ちになる。君といることを、これでいいんだと思えるんだ――。

スカートの裾を翻しながら、笑って手を振る姿を、次会う日まで心の中に焼き付ける。

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