雨の庭で来ぬ君を待つ【本編・その後 完結】

文字の大きさ
126 / 154
《その後》二人で見た海であなたを待つ

誰より近くに 6

しおりを挟む



 その後、向井さんや他の同僚たちと、花嫁を囲んで写真を撮ったり、お酒を飲みながらお喋りしたり。楽しい時間を過ごした。入社当時だったら考えられない。男の人も女の人も、たくさんいる人たちの中で、私もちゃんと笑えている。

君は、大丈夫――。

二年前、まだ私と太郎さんが特別な関係ではなかったとき、そう言ってくれた。それを思い出して、胸の中がじんとする。

 楽しい時間は、私をほろ酔いにさせた。いつもより少し、多く飲んでしまったみたいだ。二次会が終わったのは、二十二時近くだった。会場の外に出ると、再び雨が降り出していた。午後から降っていた雨は、ちょうどこの会が始まる頃に上がっていたのに。傘を差そうとして、気付く。

「あ……っ」
「どうしたの?」

隣にいた向井さんが私に声を掛けた。

「傘、ここに向かう電車に置いて来ちゃったみたいです」

駅からここまで歩く時には晴れていたから気付けなかったのだ。

「なら、駅まで私の傘に入って行きなよ」
「すみません。ありがとうございます。助かります」

向井さんが差しかけてくれた傘に入り込む。そして二人並んで歩いた。

「家まではどうする?」
「その時止んでいなかったら、コンビニでビニール傘でも買います」
「止んでるといいのにねぇ」

そんなことを話しながら駅に着いた。乗る電車が違うから、向井さんとはそこで別れた。
 足早に改札をくぐる。これから電車に乗れば、家には十一時前には着くだろう。

それならまだ、太郎さん起きてるよね――。

早く電話をかけたいと、そんなことを考えていた。

「――糸原さん、待って」

背後から声がしてそれに振り向くと、少し息を切らした田中さんがいた。

「どうしたんですか……?」

田中さんが私の隣まで来ると、息を整えてから私を見た。

そう言えば、会場を出る時に田中さんを見かけなかった気がする。どこにいたんだろう――。

「俺、実家が糸原さんの家と同じ駅でさ。今日は、実家の方に戻るから」
「そうだったんですか?」

田中さんの実家が、私のアパートの最寄り駅と同じだとは初めて聞いた。

「まあな……」

そう言って歩き出した田中さんの後に続く。ホームに入って来た電車に乗り込む。ドア側に立つと、その向かいに田中さんが立った。その顔はどこか緊張気味に窓の向こうを見ていた。田中さんは、言葉はきついところがあるけれど、仕事のことに関しては信頼のおける人だ。いつも、厳しくとも的確に指導してくれる。その横顔が、仕事で見せるものとは少し違って見えた。

「――田中さん、今日はあんまり酔っていないんですね。結構飲んでいたみたいだけど」
「そうか? ああ……確かに、今日はどんなに飲んでも全然酔えなかったな」

首元のネクタイを緩めながら答える。それからは何故か、田中さんは駅に着くまで一言も口を開かなかった。

 無言のまま歩く田中さんの後に続いて改札を出る。どうやら、改札の出口も一緒のようだ。外は、まだ雨が降っていた。

「あの」

私はその背中に声を掛ける。

「では、ここで失礼します――」
「傘は?」

頭を下げる私に、鋭い声が飛んで来た。

「そこのコンビニでビニール傘でも買います。じゃあ――」
「そんなの、勿体ないだろ。同じ方向みたいだし、家まで送るよ」
「いえ、大丈夫です!」

私は慌て手を横に振る。田中さんの実家がどのあたりにあるのかは知らないが、そんなことまでさせられない。

「雨が降っていて、傘を持っていない同僚が俺の家の近くに住んでいる。ついでなんだから、この状況なら、誰だって家まで送るだろう?」

その目が私を真っ直ぐに見る。確かに、毎日顔を合せている同僚を必要以上に警戒するのは、自意識過剰だし失礼というものだ。

「……すみません、じゃあ、お願いします」

私は、おそるおそるその傘の中に入った。

 人通りの多い大通りを歩くけれど、傘に当たる雨音ばかりが耳につく。それくらいに、またも、田中さんは黙ったままだった。

いつも、こんなに無口だっただろうか――。

私も私で、そんなにうまく会話をこなせるタイプではないから、どうしても私たちの間に無言の時間が続いてしまう。

「あの……田中さん、ご実家がこの辺だっていうことは、育ったのもこの辺なんですか?」

無理矢理に会話を引っ張り出して来る。

「ああ、まあな」

それでも、そんな短い答えだけで終わってしまう。すっかり私の中に気疲れが積もる。無言のままのくせに、いつもみたいに速足ではなくて私の歩幅に合わせて歩いている。そして、私の方にばかり傘を差し掛けていて、田中さんの肩が酷く濡れているのに気付いた。

「田中さん、肩、濡れてます」

田中さんが持ってくれていた傘の柄に手を添えて、田中さんの方に少し押した。その時、何故か田中さんが勢いよく私から離れた。

「あっ、すみません」

余計なことをしたかもしれないと咄嗟に声を上げた。そして、そこは、ちょうど私のアパートへと向かう路地に入るところだった。人の通りがある大通りと違い、一つ路地を入れば途端に静かになる。

「私の家、この向こうですぐのところなんです。走れば大丈夫なので、ここで失礼します。傘、ありがとうございました」

なんとなくアパートの前まで一緒に行くのは気が進まなかった。田中さんに向かって頭を下げて、そのまま傘から出る。そして、古ぼけた街灯だけが頼りの薄暗い路地へと走り出した。

「糸原さん――っ」

どこか切羽詰まった声に驚いた時には、私の腕が強く掴まれていた。

「田中さん……どうかしたんですか?」

強く引かれた腕に振り返ると、思いつめた表情をした田中さんが私を見つめていた。道路に傘が転がっていることに、何故か気付いて。そんなことに意識が向くほどに、まだこの状況を理解していなかった。ただ不思議に思って田中さんを見上げた私の目を、苛立ったように見ると、そのまま私の腕をさらに強く引いた。

「田中さん――」
「ごめん!」

ーー抱き締められている。

その時ようやく実感する。

 「は、離してください――」

雨粒が頬に当たる。ただ混乱する頭の中、離れなければとそれだけを考える。

「さっき言ったことも、その前も、この状況も、全部深い意味がある」

熱にうかされているみたいで、私の声がまるで届かない。その証拠に、最初は恐る恐るだった腕がどんどん力が強くなる。

「田中さん、やめて。お願いです――」
「好きだ」

その短い言葉の意味することに恐ろしさを感じた。

「一体、何を……」
「糸原さんが離婚したと知ってから、毎日、あんたを見て、知って、気付けばあんたばかりを目で追っていた」
「田中さんっ!」

懸命にその腕の中でもがく。雨が身体に当たっているはずなのに、その冷たさをまるで感じない。

「お願いだ。俺と付き合ってくれ。もちろん、軽い気持ちなんかじゃない。結婚を前提にだ。大事にするから!」
「離してください――」

そう叫んだ時だった。

どうして、ここに――。

雨が降る視界の先に、太郎さんがいた。田中さんの肩越しに見えた、スーツ姿で雨の中佇む姿に呼吸が止まる。

「太郎さん……っ!」

身体中で叫ぶ。そうせずにはいられなかった。そうしないと消えてしまいそうに見えて。でも、太郎さんは、私を見ずにただ後ずさる。

「太郎さん、待って」

どうして――?

何も言わずに、そのまま立ち去ろうと身を翻す姿に私の不安と怯えが溢れ出す。

どうして、何も言わずに立ち去るの? どうして、太郎さんが立ち去るの! あなたは、私の恋人なのに――。

「糸原さ――」
「ごめんなさいっ!」

その腕の力が緩んだ隙に、私は目一杯の力で田中さんを突き飛ばした。もう、この目は雨の中消えていく背中しか見えない。


しおりを挟む
感想 6

あなたにおすすめの小説

結婚相手は、初恋相手~一途な恋の手ほどき~

馬村 はくあ
ライト文芸
「久しぶりだね、ちとせちゃん」 入社した会社の社長に 息子と結婚するように言われて 「ま、なぶくん……」 指示された家で出迎えてくれたのは ずっとずっと好きだった初恋相手だった。 ◌⑅◌┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈◌⑅◌ ちょっぴり照れ屋な新人保険師 鈴野 ちとせ -Chitose Suzuno- × 俺様なイケメン副社長 遊佐 学 -Manabu Yusa- ◌⑅◌┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈◌⑅◌ 「これからよろくね、ちとせ」 ずっと人生を諦めてたちとせにとって これは好きな人と幸せになれる 大大大チャンス到来! 「結婚したい人ができたら、いつでも離婚してあげるから」 この先には幸せな未来しかないと思っていたのに。 「感謝してるよ、ちとせのおかげで俺の将来も安泰だ」 自分の立場しか考えてなくて いつだってそこに愛はないんだと 覚悟して臨んだ結婚生活 「お前の頭にあいつがいるのが、ムカつく」 「あいつと仲良くするのはやめろ」 「違わねぇんだよ。俺のことだけ見てろよ」 好きじゃないって言うくせに いつだって、強引で、惑わせてくる。 「かわいい、ちとせ」 溺れる日はすぐそこかもしれない ◌⑅◌┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈◌⑅◌ 俺様なイケメン副社長と そんな彼がずっとすきなウブな女の子 愛が本物になる日は……

私たちの離婚幸福論

桔梗
ファンタジー
ヴェルディア帝国の皇后として、順風満帆な人生を歩んでいたルシェル。 しかし、彼女の平穏な日々は、ノアの突然の記憶喪失によって崩れ去る。 彼はルシェルとの記憶だけを失い、代わりに”愛する女性”としてイザベルを迎え入れたのだった。 信じていた愛が消え、冷たく突き放されるルシェル。 だがそこに、隣国アンダルシア王国の皇太子ゼノンが現れ、驚くべき提案を持ちかける。 それは救済か、あるいは—— 真実を覆う闇の中、ルシェルの新たな運命が幕を開ける。

冷酷伯爵ディートリヒは、去った妻を取り戻せない

くろねこ
恋愛
名門伯爵家に政略結婚で嫁いだ、正妻エレノア・リーヴェルト。夫である伯爵ディートリヒ・フォン・アイゼンヴァルトは、 軍務と義務を最優先し、彼女に関心を向けることはなかった。 言葉も、視線も、愛情も与えられない日々。それでも伯爵夫人として尽くし続けたエレノアは、ある一言をきっかけに、静かに伯爵家を去る決意をする。 ――そして初めて、夫は気づく。 自分がどれほど多くのものを、彼女から与えられていたのかを。 一方、エレノアは新たな地でその才覚と人柄を評価され、 「必要とされる存在」として歩き始めていた。 去った妻を想い、今さら後悔する冷酷伯爵。前を向いて生きる正妻令嬢。 これは、失ってから愛に気づいた男と、 二度と戻らないかもしれない夫婦の物語。 ――今さら、遅いのです。

遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。

沼野 花
恋愛
私は、夫にも子供にも選ばれなかった。 その事実だけを抱え、離縁を突きつけ、家を出た。 そこで待っていたのは、最悪の出来事―― けれど同時に、人生の扉がひらく瞬間でもあった。 夫は愛人と共に好きに生きればいい。 今さら「本当に愛していたのは君だ」と言われても、裏切ったあなたを許すことはできない。 でも、子供たちの心だけは、必ず取り戻す。 妻にも母にもなれなかった伯爵夫人イネス。 過去を悔いながらも、愛を手に入れることを決めた彼女が辿り着いた先には――

復讐のための五つの方法

炭田おと
恋愛
 皇后として皇帝カエキリウスのもとに嫁いだイネスは、カエキリウスに愛人ルジェナがいることを知った。皇宮ではルジェナが権威を誇示していて、イネスは肩身が狭い思いをすることになる。  それでも耐えていたイネスだったが、父親に反逆の罪を着せられ、家族も、彼女自身も、処断されることが決まった。  グレゴリウス卿の手を借りて、一人生き残ったイネスは復讐を誓う。  72話で完結です。

☘ 注意する都度何もない考え過ぎだと言い張る夫、なのに結局薬局疚しさ満杯だったじゃんか~ Bakayarou-

設楽理沙
ライト文芸
☘ 2025.12.18 文字数 70,089 累計ポイント 677,945 pt 夫が同じ社内の女性と度々仕事絡みで一緒に外回りや 出張に行くようになって……あまりいい気はしないから やめてほしいってお願いしたのに、何度も……。❀ 気にし過ぎだと一笑に伏された。 それなのに蓋を開けてみれば、何のことはない 言わんこっちゃないという結果になっていて 私は逃走したよ……。 あぁ~あたし、どうなっちゃうのかしらン? ぜんぜん明るい未来が見えないよ。。・゜・(ノε`)・゜・。    ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 初回公開日時 2019.01.25 22:29 初回完結日時 2019.08.16 21:21 再連載 2024.6.26~2024.7.31 完結 ❦イラストは有償画像になります。 2024.7 加筆修正(eb)したものを再掲載

15年目のホンネ ~今も愛していると言えますか?~

深冬 芽以
恋愛
 交際2年、結婚15年の柚葉《ゆずは》と和輝《かずき》。  2人の子供に恵まれて、どこにでもある普通の家族の普通の毎日を過ごしていた。  愚痴は言い切れないほどあるけれど、それなりに幸せ……のはずだった。 「その時計、気に入ってるのね」 「ああ、初ボーナスで買ったから思い出深くて」 『お揃いで』ね?  夫は知らない。  私が知っていることを。  結婚指輪はしないのに、その時計はつけるのね?  私の名前は呼ばないのに、あの女の名前は呼ぶのね?  今も私を好きですか?  後悔していませんか?  私は今もあなたが好きです。  だから、ずっと、後悔しているの……。  妻になり、強くなった。  母になり、逞しくなった。  だけど、傷つかないわけじゃない。

身分差婚~あなたの妻になれないはずだった~

椿蛍
恋愛
「息子と別れていただけないかしら?」 私を脅して、別れを決断させた彼の両親。 彼は高級住宅地『都久山』で王子様と呼ばれる存在。 私とは住む世界が違った…… 別れを命じられ、私の恋が終わった。 叶わない身分差の恋だったはずが―― ※R-15くらいなので※マークはありません。 ※視点切り替えあり。 ※2日間は1日3回更新、3日目から1日2回更新となります。

処理中です...