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《その後》二人で見た海であなたを待つ
誰より近くに 6
しおりを挟むその後、向井さんや他の同僚たちと、花嫁を囲んで写真を撮ったり、お酒を飲みながらお喋りしたり。楽しい時間を過ごした。入社当時だったら考えられない。男の人も女の人も、たくさんいる人たちの中で、私もちゃんと笑えている。
君は、大丈夫――。
二年前、まだ私と太郎さんが特別な関係ではなかったとき、そう言ってくれた。それを思い出して、胸の中がじんとする。
楽しい時間は、私をほろ酔いにさせた。いつもより少し、多く飲んでしまったみたいだ。二次会が終わったのは、二十二時近くだった。会場の外に出ると、再び雨が降り出していた。午後から降っていた雨は、ちょうどこの会が始まる頃に上がっていたのに。傘を差そうとして、気付く。
「あ……っ」
「どうしたの?」
隣にいた向井さんが私に声を掛けた。
「傘、ここに向かう電車に置いて来ちゃったみたいです」
駅からここまで歩く時には晴れていたから気付けなかったのだ。
「なら、駅まで私の傘に入って行きなよ」
「すみません。ありがとうございます。助かります」
向井さんが差しかけてくれた傘に入り込む。そして二人並んで歩いた。
「家まではどうする?」
「その時止んでいなかったら、コンビニでビニール傘でも買います」
「止んでるといいのにねぇ」
そんなことを話しながら駅に着いた。乗る電車が違うから、向井さんとはそこで別れた。
足早に改札をくぐる。これから電車に乗れば、家には十一時前には着くだろう。
それならまだ、太郎さん起きてるよね――。
早く電話をかけたいと、そんなことを考えていた。
「――糸原さん、待って」
背後から声がしてそれに振り向くと、少し息を切らした田中さんがいた。
「どうしたんですか……?」
田中さんが私の隣まで来ると、息を整えてから私を見た。
そう言えば、会場を出る時に田中さんを見かけなかった気がする。どこにいたんだろう――。
「俺、実家が糸原さんの家と同じ駅でさ。今日は、実家の方に戻るから」
「そうだったんですか?」
田中さんの実家が、私のアパートの最寄り駅と同じだとは初めて聞いた。
「まあな……」
そう言って歩き出した田中さんの後に続く。ホームに入って来た電車に乗り込む。ドア側に立つと、その向かいに田中さんが立った。その顔はどこか緊張気味に窓の向こうを見ていた。田中さんは、言葉はきついところがあるけれど、仕事のことに関しては信頼のおける人だ。いつも、厳しくとも的確に指導してくれる。その横顔が、仕事で見せるものとは少し違って見えた。
「――田中さん、今日はあんまり酔っていないんですね。結構飲んでいたみたいだけど」
「そうか? ああ……確かに、今日はどんなに飲んでも全然酔えなかったな」
首元のネクタイを緩めながら答える。それからは何故か、田中さんは駅に着くまで一言も口を開かなかった。
無言のまま歩く田中さんの後に続いて改札を出る。どうやら、改札の出口も一緒のようだ。外は、まだ雨が降っていた。
「あの」
私はその背中に声を掛ける。
「では、ここで失礼します――」
「傘は?」
頭を下げる私に、鋭い声が飛んで来た。
「そこのコンビニでビニール傘でも買います。じゃあ――」
「そんなの、勿体ないだろ。同じ方向みたいだし、家まで送るよ」
「いえ、大丈夫です!」
私は慌て手を横に振る。田中さんの実家がどのあたりにあるのかは知らないが、そんなことまでさせられない。
「雨が降っていて、傘を持っていない同僚が俺の家の近くに住んでいる。ついでなんだから、この状況なら、誰だって家まで送るだろう?」
その目が私を真っ直ぐに見る。確かに、毎日顔を合せている同僚を必要以上に警戒するのは、自意識過剰だし失礼というものだ。
「……すみません、じゃあ、お願いします」
私は、おそるおそるその傘の中に入った。
人通りの多い大通りを歩くけれど、傘に当たる雨音ばかりが耳につく。それくらいに、またも、田中さんは黙ったままだった。
いつも、こんなに無口だっただろうか――。
私も私で、そんなにうまく会話をこなせるタイプではないから、どうしても私たちの間に無言の時間が続いてしまう。
「あの……田中さん、ご実家がこの辺だっていうことは、育ったのもこの辺なんですか?」
無理矢理に会話を引っ張り出して来る。
「ああ、まあな」
それでも、そんな短い答えだけで終わってしまう。すっかり私の中に気疲れが積もる。無言のままのくせに、いつもみたいに速足ではなくて私の歩幅に合わせて歩いている。そして、私の方にばかり傘を差し掛けていて、田中さんの肩が酷く濡れているのに気付いた。
「田中さん、肩、濡れてます」
田中さんが持ってくれていた傘の柄に手を添えて、田中さんの方に少し押した。その時、何故か田中さんが勢いよく私から離れた。
「あっ、すみません」
余計なことをしたかもしれないと咄嗟に声を上げた。そして、そこは、ちょうど私のアパートへと向かう路地に入るところだった。人の通りがある大通りと違い、一つ路地を入れば途端に静かになる。
「私の家、この向こうですぐのところなんです。走れば大丈夫なので、ここで失礼します。傘、ありがとうございました」
なんとなくアパートの前まで一緒に行くのは気が進まなかった。田中さんに向かって頭を下げて、そのまま傘から出る。そして、古ぼけた街灯だけが頼りの薄暗い路地へと走り出した。
「糸原さん――っ」
どこか切羽詰まった声に驚いた時には、私の腕が強く掴まれていた。
「田中さん……どうかしたんですか?」
強く引かれた腕に振り返ると、思いつめた表情をした田中さんが私を見つめていた。道路に傘が転がっていることに、何故か気付いて。そんなことに意識が向くほどに、まだこの状況を理解していなかった。ただ不思議に思って田中さんを見上げた私の目を、苛立ったように見ると、そのまま私の腕をさらに強く引いた。
「田中さん――」
「ごめん!」
ーー抱き締められている。
その時ようやく実感する。
「は、離してください――」
雨粒が頬に当たる。ただ混乱する頭の中、離れなければとそれだけを考える。
「さっき言ったことも、その前も、この状況も、全部深い意味がある」
熱にうかされているみたいで、私の声がまるで届かない。その証拠に、最初は恐る恐るだった腕がどんどん力が強くなる。
「田中さん、やめて。お願いです――」
「好きだ」
その短い言葉の意味することに恐ろしさを感じた。
「一体、何を……」
「糸原さんが離婚したと知ってから、毎日、あんたを見て、知って、気付けばあんたばかりを目で追っていた」
「田中さんっ!」
懸命にその腕の中でもがく。雨が身体に当たっているはずなのに、その冷たさをまるで感じない。
「お願いだ。俺と付き合ってくれ。もちろん、軽い気持ちなんかじゃない。結婚を前提にだ。大事にするから!」
「離してください――」
そう叫んだ時だった。
どうして、ここに――。
雨が降る視界の先に、太郎さんがいた。田中さんの肩越しに見えた、スーツ姿で雨の中佇む姿に呼吸が止まる。
「太郎さん……っ!」
身体中で叫ぶ。そうせずにはいられなかった。そうしないと消えてしまいそうに見えて。でも、太郎さんは、私を見ずにただ後ずさる。
「太郎さん、待って」
どうして――?
何も言わずに、そのまま立ち去ろうと身を翻す姿に私の不安と怯えが溢れ出す。
どうして、何も言わずに立ち去るの? どうして、太郎さんが立ち去るの! あなたは、私の恋人なのに――。
「糸原さ――」
「ごめんなさいっ!」
その腕の力が緩んだ隙に、私は目一杯の力で田中さんを突き飛ばした。もう、この目は雨の中消えていく背中しか見えない。
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