雨の庭で来ぬ君を待つ【本編・その後 完結】

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《その後》二人で見た海であなたを待つ

誰より近くに 7

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「太郎さん!」

強くもなく弱くもない中途半端な雨足の中を走る。薄暗い路地へと消えて行ったその姿を懸命に追いかけて、夜の闇に溶けてしまいそうなその黒い人影を捕まえた。

「どうして、行っちゃうんですかっ!」

傘をさしているのに、ただその傘を持っているだけみたいで。どうでもいいみたいに濡れた身体を勢いのままに抱き締める。どうしてここにいるのかとか、聞きたいことは他にもたくさんあるのに、私はそう叫んでいた。

「私のところに来てくれたんですよね? なのに、どうして何も言わずに行っちゃおうとするの? 私の恋人は太郎さんなのに! 何やってるんだって言ってよ――」

その背中を懸命に捕まえながら訴える。分かっている。私が、どれだけ勝手なことを言っているか。でも、気付かれないようにそのまま去ろうとした太郎さんの姿が、哀しくて仕方がなかった。

「そうしたらちゃんと説明できる。何でもないって言えるのに。太郎さん、どうして――」

必死に抱きしめても、その身体は強張ったままで何も言わない。

「太郎さん、何か言ってください。お願いです」

この声が震える。すがりつくみたいに、後ろから太郎さんの胸を強く掴んだ。

「私は、太郎さんしか見てない。だから、私を信じて」

傘に当たる雨粒の音が大きくなる。

「……未雨」

雨の音で簡単にかき消されそうな声が零れ、太郎さんの胸のあたりの上着を掴む私の手に冷たい手のひらが重なった。

「太郎さん――」
「手が冷たいな」

私の手を掴んだままで、ゆっくりと私の方に身体を向けてくれる。

「髪も肩も濡れてる」

そして太郎さんが持っていた傘で私の身体をすっぽりと覆った。

「太郎さん……っ」

やっと私の顔を見てくれた。でも、その安心感に緩みそうになった私の顔がそのまま固まる。太郎さんの、いつもの、私を包み込むみたいな優しい微笑みを無理に作ろうとして、それでいて出来ない。そんな表情に、引き裂かれるみたいに胸が痛い。濡れた前髪のせいでしたたる雫が、泣いているように見せる酷く歪んだ笑みに、私は胸が痛んで仕方がなかった。

「太郎さん、ごめんなさい、私……」

太郎さんにそんな顔をさせている――。

「ごめんなさい」

口をついて出た『ごめん』という言葉に、太郎さんが頭を横に振る。隠し切れない感情をそれでも押し隠し微笑もうとする太郎さんに、私はたまらなくなる。

「ごめんね。私が不注意だった。あんなの、本当に――」
「未雨、いいんだよ。分かってる。君の気持ちは、ちゃんと分かってるから」

太郎さんの言葉に、思わず声を上げた。

「だったら……」

どうして、太郎さんは――。

「ごめん、未雨」

さっきとは全然違う、太郎さんの感情がそのまま表れたみたいな腕が私の背中に回された。力のままに抱き寄せられて触れる太郎さんの身体は、微かに震えていた。その時、傘が濡れた路面に落ちる音がする。

「……太郎さん、何か、あった?」

そうだ。この日、太郎さんは用事があると言っていた。ここに来る予定にもなっていない。一度は会いたいと言ったけれど、二次会があると伝えたら太郎さんはすぐに分かったと頷いた。それなのに、太郎さんはここに来た。何の連絡もなしに、突然会いに来るなんて初めてのことだ。

きっと、何か――。

「太郎さん、今日の用事って――」
「ごめん……未雨っ」

絞り出された呻くような声と共に、抑え込んだ感情をぶつけるみたいな唇が落ちて来た。



「――んっ」

狭くて閉ざされた薄暗い空間に、私と太郎さんの二人だけしかいない。太郎さんの激しく荒々しい手が、私を性急に求める。私の濡れたコートを引き剥がされると、部屋の壁に押さえつけられ、手首は頭の上にまとめられ、貪るように唇は犯されて。もう片方の手が、現れたワンピースのサテン生地の上から這いずり回る。言葉は何もない。私のアパートの部屋には、互いの吐息が充満して、雨の匂いと濃密な空気が漂っていた。生地の上を荒っぽく滑っていた手が、ワンピースの肩を勢いよくずらした。こぼれおちた膨らみに雨に濡れた前髪が触れる。

「あ……んっ」

獣みたいに乳房に強く吸いつく。

「た、ろう、さん……」

これほどまでに貪るように私を抱く太郎さんを見たことがない。いつもどこか、欲望を抑え込んで私に触れる。ただ、私を満たそうとそればかりを優先して。それはまるで、自分が快感を得ることを拒否するみたいに。
 でも、今私を抱く太郎さんは、衝動のままに感情のままにすべてをぶつけてくれている気がする。何がそうさせているのかは分からない。激しくぶつけて来るようでどこか哀しみを帯びた行為を、この瞬間はただ受け止めたい。そう思った。
 いつの間にか自由になっていた両手で、太郎さんを抱きしめる。食べ尽されそう――そう思うほどに、激しく唇を這わせ、ところどころに甘い痛みを感じる。その激しさに、朦朧とする。

「太郎、さ――」

私にはもう、その名前を呼ぶくらいしか出来なくて。与えられ続ける激しく甘い刺激に、息を乱れさせた。私の身体から唇を離そうとしない。あちこちへと滑らせながら、濡れたスーツの上着を脱ぎ去って、白いシャツ姿になった太郎さんが、私の唇を再び塞ぐ。立っていられなくなって、思わずその濡れた髪に手を差し入れ、太郎さんにしがみつく。荒っぽいその手つきさえ、すべて快感に裏返る。いつも穏やかな太郎さんの見せるその激しさに、私は恥ずかしいほどに感じていた。

もっと激しく私を求めてほしい――。

「ごめん……今日は、優しくしてやれない。ごめんな――」
「いいです、太郎さんの、好きにして……っ」

ようやく吐かれた言葉は、苦しそうに掠れて、胸の奥が軋んで痛い。衝動のまま抱いてしまえばいいのに、太郎さんは、切なげに顔をしかめて私に言う。
 着乱れたワンピースが下半身にまとわりついたままの私を、一息に貫いた。私の身体の上で激しく動くその濡れた身体に、懸命にしがみつく。そうしたら、太郎さんの目が一瞬見開かれて、そしてすぐに唇を重ねて来た。激しく身体を揺さぶる中で彷徨う手のひらを、太郎さんはしっかりと捕まえて握りしめてくれる。情欲をこらえるみたいに、太郎さんが身体を強張らせた。
 どんなに衝動に駆られても、結局、気遣わずにはいられない。簡単に自分の欲望なんてどこかに押しやってしまう。きっとそれが、太郎さんの無くせない素の人柄なのだ。それが、私を無性に不安にさせる。

もっと自分本位に生きてくれればいいのに――。

「太郎さん、私は、大丈夫です。辛くないよ。すごく、気持ちいい。だから、もっと――」

もっと、あなたを私に見せて。

「私も、太郎さんに触れたい」

私を見下ろす太郎さんの、黒いネクタイの結び目を無我夢中で解く。雨に濡れたせいで太郎さんの素肌にうっすらと張り付いた白いシャツをはだけさせ、中に隠れていた濡れた胸が現れる。私は引き寄せられるみたいに、その胸に唇を寄せた。


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