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《その後》二人で見た海であなたを待つ
君を守るということ、君を愛するということ 6
しおりを挟む一月には一緒に暮らすことになっていた。あんなにも楽しみにしていた。それなのに、それが不可能になっても、未雨は何も言わなかった。それはきっと、僕を気遣ってのことだ。僕によけいな心労をかけまいとしている。
それだけじゃない。外を歩く時は、念のため周囲に気を付けるように伝えた。そんな風に、僕といる以上、未雨に不自由を強いることになる。
出勤しても、特に同僚たちに変わった様子はなかった。警戒していたが、清水さんは約束を守ってくれているようだ。仄暗い秘密を共有していることに、複雑な気持ちになる。
どう考えても、画期的な解決方法なんて見つからない。結局、未雨とは親密な関係ではないと突っぱねるしかない。あの記者にそんな論理が通用するとは思えないが、そうするしか選択肢がなかった。これまでなら、僕はただ姿を消せばそれでよかった。そうできない以上、突っぱね続けるしか方法がない。それを続けることでもし職場の人間に知られてしまったら、ここをやめるしかない。
でも、未雨は?
僕では埒があかないと知ったら、未雨を探し当てるだろう。
その時僕はどうやって未雨を守る?
未雨を連れて、どこかに――?
そう思ったところで頭を横に振る。自分の無力さに頭が痛くなる。思わず額に手を当て、書棚に頭をもたれさせる。あの記者が現れてから、身体中が重い。肩に常に大きな石でも載せられているかのような苦しさがある。
与えられた時間は少ない。そもそも、あの記者は僕に逃げる時間を与えているつもりはないのだ。横たわる問題と、周囲の様子に神経を研ぎ澄まし続けていることから、仕事を終えた頃にはもう身体はぐったりとしていた。足を引きずるように駐輪場へと向かう。
「春日井さん」
自転車の鍵に手を掛けたところだった。僕を呼ぶ声に、肩をびくつかせる。振り返ると、少し離れたところから心配そうに僕を見ている清水さんがいた。
「もし、何も打開策がなければですけど、私が、あなたの恋人のふりをするというのはどうですか」
「――え?」
周囲に同僚はいない。だからそんなことを言い出したのだろうか。
「記者に、付き合っているのは私だと伝えたらどうでしょうか。私なら、何も失うものはないので何も困ることはありません」
酷く緊張しているかのように震えた声で、そんなことを僕に言う。ある意味で清水さんは、一番僕の苦しみを知っている人だろう。だから、ただの同僚でしかない僕に肩入れしようとしているのかもしれない。
――恋人のふり。
その言葉に、苦笑する。いつか自分も、そんなようなことを言い出したことを思い出す。傷付けられて幸せとは程遠い状況の未雨を放っておけなかった。心のそこから幸せになってほしいと思った。未雨が幸せになるためなら何だってしようと思った。でも、それだけではなかった。どんな立場でも限られた時間でいいから未雨の近くにいたいと、そう望んでしまった。清水さんに僕のような気持ちがないことは分かっていても、その提案に乗ろうとは思えなかった。
「――心配してくれてありがとう。でも、それはやめておきます」
「どうしてですか? 彼女と別れたくないんでしょう? このままだとああいう記者はどこまでも追いかけてきますよ? 彼女と一緒にいるために、私を利用すればいいと言っているんです」
少し離れていた清水さんが、僕の真正面に来る。
「今日一日、あんなに辛そうにしていたじゃないですか。追い詰められて、苦しんでるんでしょう? そんなに苦しんだって、彼女を選びたいんでしょう? だったら――」
「僕は、これ以上何かを抱える余裕なんてない。清水さんを利用したとして、その先に起こることであなたに対して責任を取ることはできない」
「責任なんて、取ってほしいと思ってません。私は、ただ春日井さんの力になりたいだけです」
僕は、改めて清水さんを見る。
「人を利用するということは、それ相応の代償が必要だ。僕はそんな代償は払いたくない。だからもう、清水さんもそんなこと言わないでください。心配してくれるのはありがたい。でも、清水さんに何かしてもらうつもりは一切ない。清水さんも、自分をもっと大切にしてください」
そう告げて立ち去ろうとした。自転車のハンドルを握り直す。
「本当に、私のことなんでどうでもいいんです。春日井さんのためになるなら……っ!」
どうしてそこまで――。
清水さんもこれまでたくさんの辛い経験をしてきたのかもしれない。自分の身に置き換えると、放っておけないのだろう。
「清水さんのために言っているんじゃないんです。僕は、ただでさえ彼女を苦しませている。これ以上彼女を苦しませるようなことは何一つしたくない。例え嘘だとしても、これ以上哀しい顔をさせたくない」
未雨の、いつも僕に向けてくれていた何の混じりけもない笑顔が浮かぶ。
”太郎さんが大好きです”
いつも僕にそう言う。駆け引きも恥ずかしさも、そんなもの彼女の中にはない。いつだって、僕に真っ直ぐに伝えてくれる。あの笑みをこれ以上曇らせたくない。清水さんは唇を噛みしめるみたいに押し黙ったあと、呟くように言った。
「……春日井さんは、本当にあの人のことが大切なんですね。あなたにそんな風に想ってもらえて、羨ましくてたまらないです。でも――」
僕の目を見上げて来る。
「そんなに大切なら、そんなに愛しているなら、やっぱりあなたはあの綺麗な人を手放すべきです。この生活がどれだけ苦しいか、春日井さんが一番知っているくせに。何の重荷も背負っていない人にわざわざ大きすぎる重荷を背負わせるなんて。それが結局、この先、一番彼女を哀しい顔にさせることになるんじゃないですか?」
鋭い視線で僕を射抜くように見て、そして僕の横をすり抜け走り去って行った。
――何の重荷も背負っていない人にわざわざ大きすぎる重荷を背負わせるなんて。それが結局、この先、一番彼女を哀しい顔にさせることになるんじゃないですか?
清水さんの言葉が僕の身体を動けなくさせる。
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