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第十四章 軽はずみで切ない嘘の果て

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「柚季に出会った時、何の事情もしがらみもないただの一人の男として君の前にいられたらって何度も思った。だから、君と最初から、ありふれたどこにでもある恋からやり直したいと思った!」

目の前に立つ和樹さんが、一息に捲し立てた。

「本当は、もっと君のレストランに通い詰めようと思った。君が少しずつ心を開いてくれるようになるのを待って、その次は店の外で個人的に会ってくれるように、君に僕を好きになってもらえるようにって。大学時代、バイト先で君に出会った頃に戻れたとしたら、こんな風にあの手この手で君にアプローチしただろう」

和樹さんがそこで言葉を止めると、声を絞り出すように言った。

「やっと会えたから……君を間近で見て、言葉を交わしたらもう無理だった。そんな作戦、全部すっ飛ばしていた。スマホを忘れたのもわざとだ」

私にそう告げた後、どこか困ったように笑う。

「女性を口説くのは初めてで、あんまり上手くはなかったかもしれない……」

泣いているわけでもないのに、和樹さんの微笑みはどこか泣いているようにも見えた。そんな和樹さんの表情を見ていたら、込み上げてくるありとあらゆる感情が脳裏を駆け巡る。

和樹さんに片想いしていた時のこと、
契約結婚をしていた時のこと、
二人で本当の夫婦として暮らしていた時の幸せな時間、
そして、和樹さんから離れた時のこと――。

勝手に溢れて来る涙を必死に拭う。

 和樹さんと本当の夫婦になれた二度目の結婚の後も、結局私たちの間にはお姉さんがいた。
 どれだけ和樹さんに優しくしてもらっても、幸せを感じられても、私の目の前には常にお姉さんの影があった。その影から、私は最後まで逃れることができなかった。

和樹さんは、そんな私の気持ちをわかっていてくれた――。

だから、こんな風に私の前に現れてくれたのだ。二人の間にもう誰の影も見ることのないように。

「……ちょっと怪しく感じて、怖いかもしれませんね。お店に来てくれたのはまだ二度目だし。普通なら、少し引いてしまうかも」

拭っても拭ってもこぼれ落ちる涙を手のひらで隠しながら、和樹さんを見上げた。

 和樹さんも大学の時に私に惹かれたのだと教えてくれていたのに、今頃になって実感するなんて。和樹さんの深い想いに、心の奥の奥にしまってきた感情がその蓋を押し上げて飛び出そうとしてくる。 

「確かに、好かれるどころか敬遠されるな。でも――」

ふっと笑った和樹さんが、その目を切なげに歪めて私に言った。

「時期を待っていられないくらい、スマートにアプローチできないくらいに、君が好きでたまらないんだ。僕と、付き合ってもらえませんか……?」

もう涙を拭うのを放棄する。

「……私には、子供がいます。大切な人との間に生まれた、大切な大切な子供です。それでも、いいですか?」

冗談めかしたくても、胸が詰まってうまくできない。しゃくり上げるように言葉にした途端、この身体が懐かしい腕に包まれる。そして、きつく抱きしめられた。

「柚季……」

苦しげに吐かれた久しぶりに私の名前を呼ぶ声に、私の感情は決壊した。

「和樹さん、ごめんね」

いろんな感情が押し寄せて、言わなければならないことはたくさんあるのに、溢れる言葉はそれだった。

「和樹さんの想いを分かっているつもりだった。でも、私は強くなりきれなかった……っ」

和樹さんには心のままに生きてほしいと思った。和樹さんが、本当に心の優しい人だと知っていたから。でも、本当は、私自身も怖かったのかもしれない。

「いいんだ。柚季は悪くない」

優しくて大きな手のひらが、私の背中を何度もさする。

「柚季、ここから始めよう。そしていつか、三人で本当の家族になりたい」
「はい」

お互いの存在を確かめるみたいに何度も抱きしめ合う。

「この一年ずっと、柚季に会いたかった。柚季のことばかり考えていた。柚季のそばにいて、同じ毎日を過ごしたかった……だから、その分これからは僕のそばにいてくれ――」

和樹さんの声に胸が震える。会わないでいた一年分の思いが、そこに溢れているみたいだった。

「……あっ、すみません。私、もう行かないと」

抱きしめられている腕の中で、声を上げた。

「子供のお迎えに」
「あぁ、そう、だよな」

今の今まで、感情のままに抱きしめあっていたのが嘘のように、どこかぎこちなくお互いの身体を離す。

「ごめんなさい……」

どうしよう、これからどうするべきか――。

「――本当は、このまま君について行きたくてたまらないけど、」

次の言葉が出ない私の肩を優しく掴み、和樹さんがふっと笑う。

「強引なのは良くないし、さっきここから始めようと言ったばかりだ。だからと言って、もういつまでも待てるほど余裕もない。今度の君の休みの日に、三人で会えないかな……?」

どこまでも優しくて、どこまでも私の気持ちを汲もうとしてくれる和樹さんに、申し訳ない気持ちになる。光樹は、和樹さんの子でもある。

「もちろんです。会いにきてください」

真っ直ぐに和樹さんを見上げた。

「……うん。柚季とゆっくり話がしたい。君と僕の子に、会いたくてたまらない」

やっぱり、優しげな目元が光樹にそっくりだ。

 休日に会う約束をして、私は保育園へと急いだ。


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