一条春都の料理帖

藤里 侑

文字の大きさ
212 / 893
日常

番外編 漆原京助のつまみ食い①

しおりを挟む
 面白い生徒がいる。

 正直、教育にはめっぽう興味がない俺だ。生徒の模範になるつもりもなければ、教え諭す気もない。

 だが、図書館とはそういう場所だろうと俺は勝手に思っている。

 誰に強要されるでもなく読みたい本を読む。学校の中にあるが学校ではない、いうなれば治外法権的な場所だ。そこで本を読んで自分を顧みるも、ただ没頭するもそいつ次第だ。そこに俺の意思は必要ない。

 だから基本的には生徒にはノータッチだ。向こうが求めれば応えるし、委員会の仕事というものも一応こなす。最低限そうしないとうるさいやつがいるからな。まあ、図書館で暴れまわるとかいうことになったら話は別だが。

 でも、そんな中にも、俺から関わりに行きたくなるような、そんな面白い生徒が何人かいる。

 去年から図書委員をやっている一条春都という少年。

 ずいぶん飄々と、淡々とした少年のようで、たいてい一緒にいる井上咲良という少年は冷たくあしらわれていることが多い。だが、いい関係は築けているらしい。去年は同じクラスで一緒に図書委員をやっていたしな。

 一条君は基本、単独行動だ。喋るとなれば饒舌だが、好んで自分から話に行くことはない。本人は自分のことを「目つきが悪くて愛想のないやつ」と評している。まあ、パッと見そうだが、俺から見てみればかわいいもんだ。

「おや」

 桜も散って新緑が芽吹き始めるころ、放課後になって早々、一条君がやってきた。

「こんにちは」

「やあ、こんにちは。今日は早いな」

「そうですかね。まあ、ホームルームが終わるの早かったですから」

 一条君はカウンターの中にやってきて椅子に座った。当番制のカウンター業務、彼がさぼったことは一度もない。

「利用者が来るまでここで課題やってもいいですか」

「おお、構わんよ」

 黙々と予習、復習を進める少年の横顔はまだ幼く、到底、一人暮らし同然の日々を過ごしているとは思えない。

 大人ですら自炊はなかなか骨が折れるというのに、よくできるなと思う。

 図書館の利用者は正直いって少ない。通い詰める生徒が一定数はいるが、たいていは部活動で忙しく、あるいは読書に興味がない。

 興味がないというか、他に楽しいことがあるという感じだな。

 昔っから俺は本ばかり読んでいたから、娯楽と言われて真っ先に思い浮かぶのは読書だ。そんな俺からしてみれば本を読まない生活など考えられない。

「ふう」

 頬杖をつき、利用者のいまだ現れないがらんとした図書館を眺めていたら、一条君が息をついたのでそちらに視線を向ける。

「終わったか?」

「はい。すっかり」

 一条君は周囲を見回して言った。

「人が来ませんね」

「そうだなあ。ま、ゆっくりできるからいいんだけどな」

「なんか本、読んでいいですか」

「存分に読め。ここは図書館だからな」

 そう答えれば一条君は「よっしゃ」と小さくつぶやくと嬉しそうに笑った。そうして立ち上がって本を探しに行こうとした矢先、がらりと出入り口の扉が開いた。その途端に顔が曇る。なんとまあ分かりやすいことか。申し訳ないが、微笑ましい。

 しかし出入り口に立っていたのは井上君だったものだから、一条君は一度おろしかけた腰を再び浮かせた。

「なんで来た。今日は当番じゃないだろ」

「いいじゃんか~、そんなつれないこと言うなよ。今日は俺、バス遅らせて帰る」

 ぶつぶつ言いながらも一条君は井上君を突っぱねるようなことはしない。

 なんだかんだいって楽しそうな二人だ。



 自家用車で帰路につく。並ぶヘッドライト、車内に流れる気に入りの音楽。薄暗い夜道はどこか物寂しい。

「晩飯どうするかな……」

 基本自炊をする俺だが、たまには何もしたくない日もある。そういう時は決まって、一度家に帰った後、ぼちぼち歩いて行きつけの居酒屋に向かう。

 年季の入った、メニューもない店だ。ほとんどが常連客で、隣にはイタリアンレストランがあるのだが、そっちは大将の息子夫婦が経営しているらしい。

「らっしゃい」

「やあ……お、なんだ、お前も来ていたのか」

 カウンターに見覚えのある人影があった。石上だ。この店は俺たちが学生の頃から通っている店だ。安くてうまいが、なかなか初見じゃ入りにくい。だからこそ落ち着くのだがな。

「まあな。今日は何もする気が起きん」

「奇遇だな。俺もだ」

 石上とは一つ間を開けて座る、

「とりあえず、いつもの焼いてもらえるか?」

「はいよ」

 飲み物は言わずとも、芋焼酎のお湯割りが出てくる。

 むせかえるような酒の香りが、やっと夜が来たということを教えてくれる。

「お前、相変わらずだってな」

 石上はジョッキを煽るとこちらに視線を向けた。

 さっそく焼けた鶏もも肉の串。あっさりと塩で食うのがいい。

「何の話だ」

「今日も言われたぞ。うちの学校の司書は教師らしくない、どうにかできないのかってな」

「誰に」

「分かるだろ」

 俺のような存在を快く思わない教師陣は少なからずいる。

 生徒たちはともかく、教師陣は保守的というか頭の固い人らが多い。俺たちが通っていたころからさほど変わらないようにも思える。まあ、いい加減な人間ばかりでは学校は立ち行かないのだから仕方のないことか。

「で、俺にどうしろと? 今更性格は変えられんぞ」

 鳥皮はたれがいい。少し焦げた甘辛さがいいんだ。

 石上は「別に」と言うと、ビールから焼酎に移行した。

「俺は仕事さえしてくれればあとはどうでもいい」

「仕事はしているさ」

「だったら言うことは何もない。それがお前だからな」

 いわゆる腐れ縁ともいえるこいつは、表向きはくそ真面目なお堅い野郎に見えるが、実際は結構適当だ。仕事はちゃんとするし約束も破らないが、自分が嫌いな奴はとことん嫌いだし昔ほどではないが態度に出やすい。

「お前にしては、ずいぶんゆっくりなペースで飲んでいるんだな」

 石上は基本、飲むペースが速い。だが、顔色にも出なければ次の日に響くこともない。

 俺もなかなか飲める口だとは思うが、俺はちまちまやるタイプだからなあ。

「さすがにな。本来ならもうちょっと飲みたいところだ」

 一度、家で一緒に飲んだときは瞬く間に焼酎が減っていったんだよな。こいつと飲むときは、酒を持参してもらわなきゃあ、財布が危篤状態になってしまう。

 この店は持ち帰りもできる。透明のパックに入れて、新聞紙に包んでくれる。焼きたてとはいかないが、あれはあれで味があって、酒を飲まないときでもよく頼む。米にも合うんだ、これが。

「なにもやりたくないが、仕事がある」

「そりゃそうだ。お前もようやっと自制というものを覚えたか」

「うるさい」

 こういう何もやりたくない日が、生徒たちにもあるのだろうか。あるだろうなあ。

 大それた志も、崇高な目標も何もないが、がんじがらめの学校の中でほんの少しでも緩んでいられるような場所。少なくとも俺は、図書館がそうあってほしいと思っているし、図書館をそういう場所にできるように俺はやっていきたいと思っている。

 そうだ。今度、一条君にこの店のことを教えてみようか。

 一度食べてもらいたいなあ。きっと気に入るぞ。



「ごちそうさん」

しおりを挟む
感想 16

あなたにおすすめの小説

月弥総合病院

僕君☾☾
キャラ文芸
月弥総合病院。極度の病院嫌いや完治が難しい疾患、診察、検査などの医療行為を拒否したり中々治療が進められない子を治療していく。 また、ここは凄腕の医師達が集まる病院。特にその中の計5人が圧倒的に遥か上回る実力を持ち、「白鳥」と呼ばれている。 (小児科のストーリー)医療に全然詳しく無いのでそれっぽく書いてます...!!

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

大丈夫のその先は…

水姫
恋愛
実来はシングルマザーの母が再婚すると聞いた。母が嬉しそうにしているのを見るとこれまで苦労かけた分幸せになって欲しいと思う。 新しくできた父はよりにもよって医者だった。新しくできた兄たちも同様で…。 バレないように、バレないように。 「大丈夫だよ」 すいません。ゆっくりお待ち下さい。m(_ _)m

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

身体の繋がりしかない関係

詩織
恋愛
会社の飲み会の帰り、たまたま同じ帰りが方向だった3つ年下の後輩。 その後勢いで身体の関係になった。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

吊るされた少年は惨めな絶頂を繰り返す

五月雨時雨
BL
ブログに掲載した短編です。

処理中です...