345 / 893
日常
第三百三十二話 カレーライス
しおりを挟む
「それじゃあ、気を付けてね」
「うん。行ってきます。父さんと母さんも気を付けて」
今日は昼のうちに二人とも仕事に出る。
なんでも晩飯は準備していってくれるらしいのでありがたい話である。
「お、いるいる」
案外よく見えるものである。ベランダに立ってこちらに手を振る二人に手を振り返す。
明るい空の下。十階のベランダが、ひどく遠くにあるように感じた。
窓際の席じゃないと、暇のつぶし方に困る。読む本もないし、教科書も読む気ないし、ぼーっとするにもどこに視線をやればいいものか。窓際だったら外眺めてりゃいいんだけどなあ。
とまあ、そんなことを考えているうちに、咲良がやってくるのだが。
「なんか春都、今日、元気なくない?」
「いつも通りだぞ」
「えー? そうかなあ」
先生が空き教室から拝借してきたらしい、教卓横にある物置状態の椅子。そこにあったプリント類を教卓にのせると、咲良はその椅子に座った。高さがないので、ずいぶん沈んだように見える。
「低いな」
「小学生サイズだよな」
いったいどうしてこのサイズの椅子が高校にあるんだろうか。誰か使ってたんだろうけどなあ。
「元気なさそうに見えるけど」
何とか落ち着く場所を見つけたらしい咲良が、窮屈そうに足を組んで言った。
「そんなことないんだがなあ。まあ、しいて言えば、暇を持て余してはいる」
「うーん、そんな感じじゃないと思うんだよなあ」
「眠いんじゃね?」
そう言って腕を組んで、その腕を咲良の頭の上に置くのは勇樹だ。
「眠いとさ、人って元気なさそうに見えるぜ?」
「えー、そうかなあ」
咲良はまだ納得いかないらしい。別に放っておいてもらっていいのだが。実際、体調が悪いわけでもないし。
「おい。いつまで人の頭の上にいるつもりだ」
「いいじゃん。減るもんじゃなし」
「背ぇ縮みそう」
「気のせい、気のせい」
わちゃわちゃと戯れる二人の騒がしい声を聞きながら、頬杖をついて廊下側の窓の外に視線をやる。人通りの多い廊下の向こうに見える青空には、まっすぐに飛行機雲が伸びていた。
そういや、父さんも母さんもずいぶん遠くに行くって言ってたなあ。やっぱ飛行機とか乗るのかね。
俺は乗ったことないなあ。パスポートも持ってない。
「あ、ほら。やっぱり」
体重をかけてくる勇樹の腕を払いのけながら咲良が俺を見て言った。
「元気ないじゃん」
「あ?」
そう何度も元気がないと言われると自分のことながら疑ってしまう。
「ほんとに俺は元気がないのか?」
「ないね!」
「俺にはいつも通りに見えるけどなあ」
うーん、元気がない、かあ。
「もしかして腹減ってんじゃね?」
咲良はひらめいた、というように手を叩いた。
「なんで俺の元気がないと、空腹だってことになるんだ」
「だって春都、飯食うの好きじゃん」
それは答えになっているんだか、なっていないんだか。
咲良は時計を確認して立ち上がると、プリントを椅子の上に戻した。
「そんじゃ、そろそろ行くわ。移動教室なんだ」
「急げ急げ」
「隣の教室だし、大丈夫だって」
去り際、咲良はにっこりと笑って「なんか食っとけよー」とありがたく言い残していったのだった。
勇樹は自分の席に戻って、宮野にちょっかいを出して返り討ちにあっていた。
なんか食っとけって……なんか持ってきてたっけ。あ、そういやあれが残ってたなあ。クッキー。
安かったからって母さんが買ってきてたんだ。甘いクッキーにサクサクした感じの食感のクリームが挟まったやつ。一口サイズで食べやすいし、何気に腹にたまる。ほんのりすっぱい。
うまいなあ。
……うーん、やっぱり腹減ってたのかなあ。
「お、カレーだ」
母さんが作り置きしてくれていたのはカレーだった。鍋ごと冷蔵庫に入っていたが、ずいぶんな存在感である。
食べる分だけ別の鍋に移して温める。この調子だと明日の朝まで持ちそうだからなあ。
冷えたカレーを温めるのは結構時間がかかる、気がする。
皿にご飯をよそって、時々かき混ぜて。ふつふつしだしたらめっちゃ跳ねるんだよな。気を付けないとすぐ、洋服に斑点模様ができてしまう。
よし。温まったらご飯にかけて……と。
「いただきます」
今日は鶏肉だ。
ピリッと辛いルーは薫り高いスパイスも相まって、ご飯が進むことこの上ない。ルーが辛いとご飯の甘味が分かるなあ。
ニンジンはほろほろとして、ジャガイモはトロットロだ。ほぼ原形をとどめていないのではと思ってしまうほどである。実際、噛むと溶けるようで、ルーになじんでいるのだ。玉ねぎもしっかり炒めてあって甘い。
鶏も噛みしめると肉汁があふれる。皮の食感がなんともいえない。
少し醤油を垂らすと、和風っぽくなるのもいい。そうだ、らっきょう。らっきょうの辛さとさわやかさ、食感が、ルーの風味、口当たりとよく合うのだ。
カレーうどんにしてもうまそうな味だ。
「……なんか静かだなあ」
あ、そうか。
元気がないっていうか、ああ、そっか。
「久しぶりだなあ」
父さんと母さんが帰ってきたの久しぶりだったからなあ。仕事に行ってしまった後の、この独特の静けさも久しぶりだったんだ。
このさみしさだけは、おいしいもん食っても紛れないものである。
ま、時間が経つのを待つしかないか。
次はいつ帰ってくるんだろうなあ。
「ごちそうさまでした」
「うん。行ってきます。父さんと母さんも気を付けて」
今日は昼のうちに二人とも仕事に出る。
なんでも晩飯は準備していってくれるらしいのでありがたい話である。
「お、いるいる」
案外よく見えるものである。ベランダに立ってこちらに手を振る二人に手を振り返す。
明るい空の下。十階のベランダが、ひどく遠くにあるように感じた。
窓際の席じゃないと、暇のつぶし方に困る。読む本もないし、教科書も読む気ないし、ぼーっとするにもどこに視線をやればいいものか。窓際だったら外眺めてりゃいいんだけどなあ。
とまあ、そんなことを考えているうちに、咲良がやってくるのだが。
「なんか春都、今日、元気なくない?」
「いつも通りだぞ」
「えー? そうかなあ」
先生が空き教室から拝借してきたらしい、教卓横にある物置状態の椅子。そこにあったプリント類を教卓にのせると、咲良はその椅子に座った。高さがないので、ずいぶん沈んだように見える。
「低いな」
「小学生サイズだよな」
いったいどうしてこのサイズの椅子が高校にあるんだろうか。誰か使ってたんだろうけどなあ。
「元気なさそうに見えるけど」
何とか落ち着く場所を見つけたらしい咲良が、窮屈そうに足を組んで言った。
「そんなことないんだがなあ。まあ、しいて言えば、暇を持て余してはいる」
「うーん、そんな感じじゃないと思うんだよなあ」
「眠いんじゃね?」
そう言って腕を組んで、その腕を咲良の頭の上に置くのは勇樹だ。
「眠いとさ、人って元気なさそうに見えるぜ?」
「えー、そうかなあ」
咲良はまだ納得いかないらしい。別に放っておいてもらっていいのだが。実際、体調が悪いわけでもないし。
「おい。いつまで人の頭の上にいるつもりだ」
「いいじゃん。減るもんじゃなし」
「背ぇ縮みそう」
「気のせい、気のせい」
わちゃわちゃと戯れる二人の騒がしい声を聞きながら、頬杖をついて廊下側の窓の外に視線をやる。人通りの多い廊下の向こうに見える青空には、まっすぐに飛行機雲が伸びていた。
そういや、父さんも母さんもずいぶん遠くに行くって言ってたなあ。やっぱ飛行機とか乗るのかね。
俺は乗ったことないなあ。パスポートも持ってない。
「あ、ほら。やっぱり」
体重をかけてくる勇樹の腕を払いのけながら咲良が俺を見て言った。
「元気ないじゃん」
「あ?」
そう何度も元気がないと言われると自分のことながら疑ってしまう。
「ほんとに俺は元気がないのか?」
「ないね!」
「俺にはいつも通りに見えるけどなあ」
うーん、元気がない、かあ。
「もしかして腹減ってんじゃね?」
咲良はひらめいた、というように手を叩いた。
「なんで俺の元気がないと、空腹だってことになるんだ」
「だって春都、飯食うの好きじゃん」
それは答えになっているんだか、なっていないんだか。
咲良は時計を確認して立ち上がると、プリントを椅子の上に戻した。
「そんじゃ、そろそろ行くわ。移動教室なんだ」
「急げ急げ」
「隣の教室だし、大丈夫だって」
去り際、咲良はにっこりと笑って「なんか食っとけよー」とありがたく言い残していったのだった。
勇樹は自分の席に戻って、宮野にちょっかいを出して返り討ちにあっていた。
なんか食っとけって……なんか持ってきてたっけ。あ、そういやあれが残ってたなあ。クッキー。
安かったからって母さんが買ってきてたんだ。甘いクッキーにサクサクした感じの食感のクリームが挟まったやつ。一口サイズで食べやすいし、何気に腹にたまる。ほんのりすっぱい。
うまいなあ。
……うーん、やっぱり腹減ってたのかなあ。
「お、カレーだ」
母さんが作り置きしてくれていたのはカレーだった。鍋ごと冷蔵庫に入っていたが、ずいぶんな存在感である。
食べる分だけ別の鍋に移して温める。この調子だと明日の朝まで持ちそうだからなあ。
冷えたカレーを温めるのは結構時間がかかる、気がする。
皿にご飯をよそって、時々かき混ぜて。ふつふつしだしたらめっちゃ跳ねるんだよな。気を付けないとすぐ、洋服に斑点模様ができてしまう。
よし。温まったらご飯にかけて……と。
「いただきます」
今日は鶏肉だ。
ピリッと辛いルーは薫り高いスパイスも相まって、ご飯が進むことこの上ない。ルーが辛いとご飯の甘味が分かるなあ。
ニンジンはほろほろとして、ジャガイモはトロットロだ。ほぼ原形をとどめていないのではと思ってしまうほどである。実際、噛むと溶けるようで、ルーになじんでいるのだ。玉ねぎもしっかり炒めてあって甘い。
鶏も噛みしめると肉汁があふれる。皮の食感がなんともいえない。
少し醤油を垂らすと、和風っぽくなるのもいい。そうだ、らっきょう。らっきょうの辛さとさわやかさ、食感が、ルーの風味、口当たりとよく合うのだ。
カレーうどんにしてもうまそうな味だ。
「……なんか静かだなあ」
あ、そうか。
元気がないっていうか、ああ、そっか。
「久しぶりだなあ」
父さんと母さんが帰ってきたの久しぶりだったからなあ。仕事に行ってしまった後の、この独特の静けさも久しぶりだったんだ。
このさみしさだけは、おいしいもん食っても紛れないものである。
ま、時間が経つのを待つしかないか。
次はいつ帰ってくるんだろうなあ。
「ごちそうさまでした」
25
あなたにおすすめの小説
月弥総合病院
僕君☾☾
キャラ文芸
月弥総合病院。極度の病院嫌いや完治が難しい疾患、診察、検査などの医療行為を拒否したり中々治療が進められない子を治療していく。
また、ここは凄腕の医師達が集まる病院。特にその中の計5人が圧倒的に遥か上回る実力を持ち、「白鳥」と呼ばれている。
(小児科のストーリー)医療に全然詳しく無いのでそれっぽく書いてます...!!
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
大丈夫のその先は…
水姫
恋愛
実来はシングルマザーの母が再婚すると聞いた。母が嬉しそうにしているのを見るとこれまで苦労かけた分幸せになって欲しいと思う。
新しくできた父はよりにもよって医者だった。新しくできた兄たちも同様で…。
バレないように、バレないように。
「大丈夫だよ」
すいません。ゆっくりお待ち下さい。m(_ _)m
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる