一条春都の料理帖

藤里 侑

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日常

第三百三十二話 カレーライス

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「それじゃあ、気を付けてね」

「うん。行ってきます。父さんと母さんも気を付けて」

 今日は昼のうちに二人とも仕事に出る。

 なんでも晩飯は準備していってくれるらしいのでありがたい話である。

「お、いるいる」

 案外よく見えるものである。ベランダに立ってこちらに手を振る二人に手を振り返す。

 明るい空の下。十階のベランダが、ひどく遠くにあるように感じた。



 窓際の席じゃないと、暇のつぶし方に困る。読む本もないし、教科書も読む気ないし、ぼーっとするにもどこに視線をやればいいものか。窓際だったら外眺めてりゃいいんだけどなあ。

 とまあ、そんなことを考えているうちに、咲良がやってくるのだが。

「なんか春都、今日、元気なくない?」

「いつも通りだぞ」

「えー? そうかなあ」

 先生が空き教室から拝借してきたらしい、教卓横にある物置状態の椅子。そこにあったプリント類を教卓にのせると、咲良はその椅子に座った。高さがないので、ずいぶん沈んだように見える。

「低いな」

「小学生サイズだよな」

 いったいどうしてこのサイズの椅子が高校にあるんだろうか。誰か使ってたんだろうけどなあ。

「元気なさそうに見えるけど」

 何とか落ち着く場所を見つけたらしい咲良が、窮屈そうに足を組んで言った。

「そんなことないんだがなあ。まあ、しいて言えば、暇を持て余してはいる」

「うーん、そんな感じじゃないと思うんだよなあ」

「眠いんじゃね?」

 そう言って腕を組んで、その腕を咲良の頭の上に置くのは勇樹だ。

「眠いとさ、人って元気なさそうに見えるぜ?」

「えー、そうかなあ」

 咲良はまだ納得いかないらしい。別に放っておいてもらっていいのだが。実際、体調が悪いわけでもないし。

「おい。いつまで人の頭の上にいるつもりだ」

「いいじゃん。減るもんじゃなし」

「背ぇ縮みそう」

「気のせい、気のせい」

 わちゃわちゃと戯れる二人の騒がしい声を聞きながら、頬杖をついて廊下側の窓の外に視線をやる。人通りの多い廊下の向こうに見える青空には、まっすぐに飛行機雲が伸びていた。

 そういや、父さんも母さんもずいぶん遠くに行くって言ってたなあ。やっぱ飛行機とか乗るのかね。

 俺は乗ったことないなあ。パスポートも持ってない。

「あ、ほら。やっぱり」

 体重をかけてくる勇樹の腕を払いのけながら咲良が俺を見て言った。

「元気ないじゃん」

「あ?」

 そう何度も元気がないと言われると自分のことながら疑ってしまう。

「ほんとに俺は元気がないのか?」

「ないね!」

「俺にはいつも通りに見えるけどなあ」

 うーん、元気がない、かあ。

「もしかして腹減ってんじゃね?」

 咲良はひらめいた、というように手を叩いた。

「なんで俺の元気がないと、空腹だってことになるんだ」

「だって春都、飯食うの好きじゃん」

 それは答えになっているんだか、なっていないんだか。

 咲良は時計を確認して立ち上がると、プリントを椅子の上に戻した。

「そんじゃ、そろそろ行くわ。移動教室なんだ」

「急げ急げ」

「隣の教室だし、大丈夫だって」

 去り際、咲良はにっこりと笑って「なんか食っとけよー」とありがたく言い残していったのだった。

 勇樹は自分の席に戻って、宮野にちょっかいを出して返り討ちにあっていた。

 なんか食っとけって……なんか持ってきてたっけ。あ、そういやあれが残ってたなあ。クッキー。

 安かったからって母さんが買ってきてたんだ。甘いクッキーにサクサクした感じの食感のクリームが挟まったやつ。一口サイズで食べやすいし、何気に腹にたまる。ほんのりすっぱい。

 うまいなあ。

 ……うーん、やっぱり腹減ってたのかなあ。



「お、カレーだ」

 母さんが作り置きしてくれていたのはカレーだった。鍋ごと冷蔵庫に入っていたが、ずいぶんな存在感である。

 食べる分だけ別の鍋に移して温める。この調子だと明日の朝まで持ちそうだからなあ。

 冷えたカレーを温めるのは結構時間がかかる、気がする。

 皿にご飯をよそって、時々かき混ぜて。ふつふつしだしたらめっちゃ跳ねるんだよな。気を付けないとすぐ、洋服に斑点模様ができてしまう。

 よし。温まったらご飯にかけて……と。

「いただきます」

 今日は鶏肉だ。

 ピリッと辛いルーは薫り高いスパイスも相まって、ご飯が進むことこの上ない。ルーが辛いとご飯の甘味が分かるなあ。

 ニンジンはほろほろとして、ジャガイモはトロットロだ。ほぼ原形をとどめていないのではと思ってしまうほどである。実際、噛むと溶けるようで、ルーになじんでいるのだ。玉ねぎもしっかり炒めてあって甘い。

 鶏も噛みしめると肉汁があふれる。皮の食感がなんともいえない。

 少し醤油を垂らすと、和風っぽくなるのもいい。そうだ、らっきょう。らっきょうの辛さとさわやかさ、食感が、ルーの風味、口当たりとよく合うのだ。

 カレーうどんにしてもうまそうな味だ。

「……なんか静かだなあ」

 あ、そうか。

 元気がないっていうか、ああ、そっか。

「久しぶりだなあ」

 父さんと母さんが帰ってきたの久しぶりだったからなあ。仕事に行ってしまった後の、この独特の静けさも久しぶりだったんだ。

 このさみしさだけは、おいしいもん食っても紛れないものである。

 ま、時間が経つのを待つしかないか。

 次はいつ帰ってくるんだろうなあ。



「ごちそうさまでした」

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