一条春都の料理帖

藤里 侑

文字の大きさ
415 / 893
日常

第三百九十六話 そうめんのみそ汁

しおりを挟む
 後期課外が始まった。始まって早々悪天候なのは、短い夏休みを惜しむ学生たちの気持ちが空に伝わっているからだろうか。
 そして、今日の天気に負けず劣らず湿っぽい奴が俺の席に座っている。
「おい、そこは俺の席のはずなんだが」
「春都ぉ~、後期課外始まったよ~」
 でろんと机に溶けるのは咲良だ。こないだまでの元気はどこにいったんだか。海に置いて来たか。波にもまれ、流され、小さくなって帰ってきたか。あるいは、遠く海を越えたどこかへ流れ着いたか。
 まあ、そんなことは俺には関係ない。
「始まったのは仕方ない。座らせろ」
 根気よく急かせば、五分ほどしてやっとどいてくれた。
 咲良は緩慢な動きでパイプ椅子を持ってくると、不器用な手つきでそれを広げ、なだれ込むように座った。
「後期課外始まったら体育祭の練習も本格化するし、秋が来るし、寒くなってくるし」
「気が早い。まだ暑い盛りじゃねえか」
「うかうかしてたらなあ、季節なんてあっという間に過ぎていくんだぞ!」
 その理屈は分からんでもないがなあ。
「まあでも、その分楽しみなこともあるけど」
 と、咲良は少しだけうきうきした様子で言った。
「花火大会、今年は晴れるといいなあ」
 なるほど。こいつのやる気は流されたわけでも小さくなったわけでもないらしい。あるにはあるが、それが楽しいことにだけ全振りされている、といったところか。
「そうだな」
 今日提出のプリント類を確認しながら咲良の話に相槌を打つ。咲良は嬉々として話を続けた。
「前の花火大会は冬だったし、夏の花火大会が恋しいんだよな~」
「分かる」
「な? やっぱ花火大会は夏にあってこそだろ」
「冬の花火もきれいだけどな」
「そりゃそうかもしんなきけど、やっぱ、気分ってのがあるじゃん」
 咲良はそこまで言うと「あっ」と何か思い出したらしい。
「も一つ、楽しみあった」
「なんだ」
「料理教室~」
 わざとらしく明るく言う咲良の言葉に顔を上げる。言葉に見合った浮かれた表情が目に入り、少し考えこむ。料理教室……あ、ああ。
「あ~、そうだった。それがあった……」
 今度は俺が机にうなだれる番である。
 レシピは母さんに聞いて準備していたが、海に行ったり誕生日だったりですっかり頭から抜け落ちてしまっていた。
 咲良はからかうような口調で言った。
「頼むぜ~、春都先生」
「うるせえ」
 ああ、こんなことなら受けなきゃよかった。そんなことを今更言ってもしょうがないか。腹をくくるとしよう。
 からあげだぞ、からあげ。元気出せ、俺。

 後期課外は面倒とはいえ、午前中で終わるのはいい。
「いただきます」
 今日の昼飯はそうめんだ。夏の定番で、飽きたと言われがちだが、俺としては何度出てきても飽きないものである。
 冷たい麺つゆにはネギが散らされ、そこに刻みショウガを入れればふわりと花開くように見えるのだ。
 そうめんを麺つゆにくぐらせ、薬味も一緒にすする。
 ネギの風味もさることながら刻みショウガのさわやかさが一気にやってくる。すり下ろしたショウガもいいが、最近は、刻みショウガにはまっている。シャキシャキ食感と、すりおろしたものでは味わえない爽やかさ、丸のままでは味わえないうま味というものがある。
 それを味わっていたら、そうめんなんてあっという間に食べ終わってしまうのだ。
「ごちそうさまでした」
 おかわりもちゃっかりして、食べ終わる。
「ちょっと茹ですぎたかな」
 台所に食器を持って行く。母さんは茹でたそうめんを袋に詰め、冷蔵庫に入れていた。
「夜食べましょ」
「みそ汁?」
「そう。唐辛子、炙ろうか」
 そうめんのみそ汁かあ、それはいい。温かいそうめんは、それはそれでうまいのだ。白だしでもいいが、みそ汁にはみそ汁のうまさがある。
 晩飯も楽しみだな。

 唐辛子を炙るのにも慣れたものである。
 隣では母さんがせっせと天ぷらを揚げている。そうめんのみそ汁に天ぷら浸して食うの、うまいんだよなあ。一日たった天ぷらを浸すのもいい。もともとしなっとしている衣にみそ汁が染みわたっていいんだ。
「さ、食べましょう」
 今日のラインナップは、ピーマンの天ぷら、玉ねぎのかき揚げ、かぼちゃ天、そしてさっぱり要員として焼きナスだ。
「いただきます」
 まずはみそ汁から。
 香ばしい香りが漂っている。そうめんをひとすすり。ああ、これこれ。なんだかやわらかくて、温かい、麺つゆで食べるときののど越しとは違う口当たりが最高だ。味噌の香りが引き立つようで、これでご飯が進むんだ。
 唐辛子を割いて入れてみる。ピリッと味が締まり、よりうま味が増すようである。
 ピーマンの天ぷらを浸す。サクジュワァッとした衣が口いっぱいに広がって幸せだ。ピーマンの苦みが、揚げ物ながら口をさっぱりさせる。
 かぼちゃは食べ応えが増し、玉ねぎのかき揚げはみそ汁を全部吸ってしまいそうだ。かぼちゃ、甘いなあ。玉ねぎも甘い。みそ汁にも味が移って、食べ進めるほどにみそ汁がうまくなっていく。
 ここで焼きナスを食べよう。
「春都、昔は焼きナス食べなかったよね」
 父さんがお酒をちびちび飲みながら言った。
「そうかな。まあ、匂いが苦手だったかな」
「今は?」
「大好き」
 この焦げたような匂いがだめだったんだよなあ。今じゃ、ナスをひたひたと醤油につけて、かつお節も巻き込んで口いっぱいにほおばるのが好きだ。じゅわーっとナスの水分が染み出してきて、これがうまいんだ。
 そうめんをもう一度すする。ん、ちょっと辛かった。でもうまい。
 色々面倒ごとは多いが……うまい飯があって、それをたらふく食えたら、まあ、何とかなる。そうだよな。

「ごちそうさまでした」
しおりを挟む
感想 16

あなたにおすすめの小説

月弥総合病院

僕君☾☾
キャラ文芸
月弥総合病院。極度の病院嫌いや完治が難しい疾患、診察、検査などの医療行為を拒否したり中々治療が進められない子を治療していく。 また、ここは凄腕の医師達が集まる病院。特にその中の計5人が圧倒的に遥か上回る実力を持ち、「白鳥」と呼ばれている。 (小児科のストーリー)医療に全然詳しく無いのでそれっぽく書いてます...!!

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

大丈夫のその先は…

水姫
恋愛
実来はシングルマザーの母が再婚すると聞いた。母が嬉しそうにしているのを見るとこれまで苦労かけた分幸せになって欲しいと思う。 新しくできた父はよりにもよって医者だった。新しくできた兄たちも同様で…。 バレないように、バレないように。 「大丈夫だよ」 すいません。ゆっくりお待ち下さい。m(_ _)m

吊るされた少年は惨めな絶頂を繰り返す

五月雨時雨
BL
ブログに掲載した短編です。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

処理中です...