一条春都の料理帖

藤里 侑

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日常

第六百三十五話 炒飯

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 なかなか寝付けない夜。月明かりでうすぼんやりとした部屋で、ベッドに横になり、天井を見つめる。傍らに眠るうめずの規則正しい鼻息ばかりが聞こえる。
 薄暗い部屋にいると、目を開けているのか閉じているのか分からなくなってくる気がする。目を閉じていても天井が見える気がするし、目を開けていても何も見えていないような気もする。
 頭の中を同じイメージがぐるぐる回って、眠れそうなのに眠れない。
 寝る前の些細な出来事が、時として夜中の俺を悩ませる。
 損な苦悩などつゆ知らず、うめずが何か夢を見ているのか、うぞうぞと動く。俺のベッドなのに、俺が追いやられている。
「うめず、狭い、狭いよ」
 俺も負けじとうめずを追いやる。うめずは気持ちよさそうに眠ったままだ。
 いっそのこともう起きておこうか。そう思うと眠くなり始める。人って厄介だ。起きなきゃいけないときに限って、今寝ると気持ちがいいのにって状況だし、起きなくてもいいときに限って、すごく目が冴えている。
 明日も早いから、いい加減、寝たい。
 でもさっきからどうしても頭をよぎるものがある。
 ああ、寝る前に読んだ本のせいだ。まったく、寝る前に見るんじゃなかった。
「炒飯食いてぇ……」

 学校って時々、早く帰れる日がある。理由はよく分からないけど、なんかうれしい。
 午後二時。帰りのホームルームが終わると、今日は部活もないから大勢が昇降口に押し寄せる。タイミングが悪いと靴箱に近づけないんだよなあ。
 うちのクラス、今日はちょっとホームルーム終わるの遅かったし、少し時間ずらしていこう。
 人が減り始めた教室から、外を眺める。この教室からは昇降口がよく見える。
 ぞろぞろと絶え間なく流れ出てくる人波、冬服だから黒々としていてなんか重い感じがする。駐輪場から自転車が次々と姿を消し、バイクも走り去っていく。
 校内の人影がまばらになると、生垣を隔てた向こう側の道路に人が増える。ちょうど近くの幼稚園のお迎え時間とも重なったのか、実に賑やかだ。
 さて、昇降口の方はそろそろ落ち着いてきたところか。帰ろう。
 校門には生徒指導の先生が立っていて、何人かの生徒と話をしていたので、その横をするりと通り抜けてさっさと立ち去る。
 この時間のこの町は、とても静かだ。小学校の方から子どもの声がうっすらと聞こえ、建ち並ぶ家々からは午後のワイドショーやドラマの音声がこぼれてくる。
 ほのかに暖かい日差しの中を歩いていると、なんとなく気分がいい。ずいぶん遠いものだと思っていたが、うかうかしていたら、春なんてあっという間に通り過ぎて行ってしまいそうだ。
「今年は桜、いつごろ咲くかな~……」
「いつ頃だろうねぇ」
「……!?」
「やあ、一条君」
 びっくりした……なんだ、山下さんか。見ればずいぶんと気の抜けた格好をしている。オーバーサイズのジャージを着ていて、でもそれが妙に似合っているのだから不思議だ。こういうの、似合う人と似合わない人の違いって、何だろう。
「……こんにちは」
「はい、こんにちは。もう帰り? 早いねえ」
 そう言って山下さんはにっこりと笑った。手に持ったコンビニの袋がかさかさと音を立てる。
「今帰りってことは、ご飯は学校で食べてきたんだ?」
「あ、はい。昼ご飯食べて、帰る、みたいな」
「それ一番めんどいよね~。どうせすぐ帰るなら、家で食いたいって俺は思っちゃうな」
 まったくもって山下さんの言うとおりである。朝課外無しでちょっとずつ短縮授業で、昼飯食って帰る。正直、よく分からない時間編成だ。
 まあ、学校の方にも事情というものがあるのだろう。面倒極まりないが。
 ところで山下さんは何をしていたのだろう。気になるが、どう切り出せばいいか分からないでいると、山下さんの方から話し始めた。
「ま、俺は君らが学校で頑張っている間、気ままに散歩してたわけだけど」
「あはは……」
 山下さんはふと思い立ったようにコンビニの袋の中に手を入れると、ごそごそと何かを探し始めた。あ、ホットスナックの袋。何買ったんだろう。
「ん、手ぇ出して」
 言われるがまま右手を差し出す。と、山下さんの手から、小さな四角が落ちてきた。
「これは」
「チョコレート。いっぱい買い過ぎちゃったんだよね~、よかったら食べて」
「あ、ありがとうございます」
 ヌガー入りのビターチョコレート。これ、うまいんだよな。
 ほんのり甘い匂いのするチョコレートだったが、どこかアメリカンドッグのような香ばしい香りがしたのは、黙っておくとしよう。

 今日は父さんも母さんも忙しそうだから、晩飯は俺が作ろう。冷蔵庫の中身は何でも使っていいと言っていたからなあ……とすると、あれ一択だな。
 まずは豚肉を炒めて別皿に。それと、冷凍のサラダ用茹でえびを湯通ししておく。
 ご飯に卵を割り入れ、しっかりと混ぜる。卵は三個くらいでいいだろうか。釜の中でご飯と卵が混ざっていく様子はなんだかおもしろい。
 フライパンに油を熱し、そこに卵を混ぜたご飯を投入する。炒めづらいんだよなあ、これ。もっとうまいやり方があるのかもしれないが、まあ、頑張ろう。
 ちょっとぱらっとしてきたかな、というところで豚肉とえびを入れる。あらかじめ火を通しておいたから、調理しやすい。塩こしょうとうま味調味料、醤油で味付けをし、ねぎを入れて炒めたら完成だ。
 豆腐とわかめの味噌汁も作った。多めに作ったから、明日の朝も食べられそうだ。
 炒飯を皿に盛り付け終わった頃、父さんと母さんが居間にやって来た。
「いいにおいがするんだけど」
「作ってくれたのか?」
「あー、うん。今食べる?」
 聞くと二人とも食い気味に「食べる」と言った。この様子だと、昼もろくに食ってないな。
 三人揃ったことで、うめずも尻尾を振って大喜びだ。器にご飯を盛ると、パタパタとしっぽを大きく振りながら行儀よくお座りする。
「いただきます」
「わうっ」
 さて、本を参考にしながら作った料理、味はどうかな。だいぶ材料変えたしなあ。
 うんうん、これはなかなか、というか、かなりうまいな。調味料とかちゃんと量ってないから同じ味は再現できないだろうけど。程よい塩加減に醤油の香ばしさ。ごま油とかオイスターソースとか使ってないから、ほんのり和風って感じだな。
 豚肉は噛むほどにうまみが滲み出し、香ばしい。チャーシューでもいいが、この味付けなら豚肉がいいな。
 えびはちょっと小さくなったか。でも、うまい。
 一回茹でたから、臭みはない。プリプリ、というよりしっかりとした噛み応えである。しっかり火の通ったえびって好きなんだよなあ。えびの風味は控えめだが、それがいい。醤油と塩こしょうの風味がよく合うんだなあ。
 それにしても、今日はうまいことパラパラに仕上がったな。卵も、ふわふわしつつも米全体に行き渡っている。
 そして和風だから、みそ汁がよく合う。つるんとしたわかめ、フルフルの豆腐、うま味たっぷりの出汁。
「おいしいね~。お昼、ほとんど食べられてないから、嬉しい~」
 と、母さんが言う。やっぱり、あんまり食べてなかったんだ。
「みそ汁があったまるなあ」
 父さんが実にゆるんだ笑みを浮かべる。
「そりゃよかった」
 あ、今度は中華定食でも作ってみようか。餃子も一から作るとうまいんだよなあ。
 洋食とどっちがいいかな。ああ、悩むなあ。

「ごちそうさまでした」
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