一条春都の料理帖

藤里 侑

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第六百七十八話 弁当

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 休みというものはあっという間に過ぎていくものである。そして、休みの日の朝に限って、ぐっすりと眠れ、今寝たら気持ちいいんだろうなあ~、という気分で目が覚めるのだ。
「休みの日は起きられるのに……」
 そうぼやくと、母さんは笑って言った。
「十二時まで寝てたって、ばあちゃんから聞いたけど?」
「一日だけね」
「寝られるときに寝ておいたほうがいいよ、ほんとに」
 そう言うのは父さんだ。二人ともいつも通りの荷物を抱え、玄関に向かっている。しかしまだ時間があるとはいえ、もうすぐ登校時間だ。何となく気乗りがしない。長期休みの後の、特有の気だるさって厄介だな。
二日なんて、あっという間だ。じっと荷物を見ていると、父さんが空いた方の手で頭をなでた。ちょっと力加減が強いのは、反対の手に重い荷物を抱えているからだ、と前に言っていたのをなんとなく思い出す。
「またすぐ帰ってくるから、な?」
「ん、んー」
「あ、いけない。テーブルに置くはずで包んだのに、危ない危ない」
 母さんは抱えた荷物のうちの一つ、見慣れた弁当袋を差し出してきた。
「たくさん荷物持ってるといけないね。春都の昼ご飯、持ってっちゃうところだった」
 受け取った弁当袋は、慣れた重みと温度だった。あー、でも、自分で作ったときとやっぱなんか違うなあ。
「ありがとう」
 足元にいるうめずが、すんすんと鼻を寄せてくる。
「これは俺のだぞ」
「わう」
「何を張り合ってるの」
 父さんと母さんは笑うと、時計を見た。
「それじゃあ、行ってきます」
「行ってらっしゃい。気を付けて」
「春都も、無理しないようにな」
 バタン、と扉が閉まると、途端に静かになる。耳鳴りにも似た静寂の音を久しぶりに実感しながら、居間に戻った。ま、あと少しのんびりしてもいいだろう。無駄なあがきではあるが。
 ベランダに出て、父さんと母さんを見送ろうかという時、スマホが震えた。あれ、電話?
「もしもし? 母さん、忘れ物?」
『違うよ、支度して、下においで』
「え?」
『お迎え来てるよ』
「……分かった」
 思わず苦笑が漏れる。
 リュックサックと学校指定の鞄、そして弁当袋を抱え、うめずに留守番を頼み、エレベーターで下に降りる。と、父さんと母さんの姿のほかに、スマホをいじりながら壁に寄りかかる咲良の姿が見えた。
「あ、来た来た」
 父さんと母さんはにこにこと、なぜか嬉しそうに笑いながら手を振った。それに気づいたらしい咲良が玄関ホールを見る。さっきまでスマホを見ていたから焦点が合わないのか、しばらくぼんやりした後、パッと笑った。気の抜ける笑みだ。
「春都! おっはよー!」
「声がでかい、おはよう。何で来た」
「ゴールデンウィーク中にあったことを話そうかと思って」
 父さんと母さんの姿は少し遠いが前方に見え、その後ろを咲良と連れ立って歩く。なんか、変な感じだ。
「学校でもいいんじゃないか」
「だって、待ち遠しいじゃん」
 屈託のない笑みを向けられ、そう言われれば返す言葉もない。ただ、「なんだそれ」というほかない。
「けっこー長くなるからさ、昼は教室に来るからな」
「長くなるのか」
「うん、長いよ」
「俺は構わんが、お前、補習とかないだろうな?」
「思い当たる節はないよ、今のところ」
 今のところ、ってなんだろう。
 まあいいや。どっちにしたって、今日は騒がしく過ごすことになりそうだ。耳鳴りみたいな静寂とは、しばらくさよならだな。

 連休中、割とあっちこっち行ってるやつが多いらしい。朝もそうだったが、お土産合戦があちこちで巻き起こっている。
「賑やかだねー、どの教室も」
「おう、咲良」
「春都もなんか貰ったの?」
 慣れた様子で椅子に座りながら咲良が聞いてくる。
「何も」
「そっか、じゃあ俺が一番乗りだな。ま、飯食おうぜ」
 一番乗り、ってなんだろう。聞いても、「まあまあ」とはぐらかすばかり。まあ、いいか。
 咲良が持ってきたのは、食堂で通年売っているチキンカツ弁当だ。ご飯の上にキャベツが敷かれ、上に、ザクザクと切られたチキンカツ、ソースがかかって、香ばしい香りがする、
 俺は、母さんが作ってくれた弁当。
「いただきます」
 ……ああ、これこれ。卵焼きの黄色にプチトマトの赤、うっすらと焼かれたハムのピンクに、それに挟まるマヨネーズの薄黄色ときゅうりの緑、からあげの茶色、ご飯の白とふりかけの彩り。
 目になじむ、弁当の姿だ。
 まずはご飯を一口。ひんやりとしたご飯は、ぎゅうぎゅうに詰まっているから箸で切るようにして食べる。もちもち、とはまた違う、冷えたご飯特有の食感と温度。しんなりとしたふりかけ。これぞ、弁当。好きなんだ。
 からあげは朝、揚げてくれたんだ。だから朝飯は揚げたてのからあげを食った。いや、まあ、こないだ食ったばっかりだけど、ほら、母さんのからあげ、次はいつ食えるか分かんないし。食いたかったし。
 ジュワッと脂が染み出す衣、身はほろっと、ニンニク控えめの醤油味。噛みしめるほどにうまみが出てきて思わず顔がほころぶ。
 ハムときゅうりは相も変わらず黄金コンビだ。ハムの塩気ときゅうりの青さとみずみずしさ、そこに、マヨネーズのまろやかさ。なんとなく、運動会を彷彿とさせる。それは、運動会の時、親の仇のごとく弁当に入っていたからだろう。ま、全部食ったけど。
 プチトマトは甘い。これは当たりのやつを買ってきたなあ。おいしい。
 そんで、卵焼き。表面が少し焦げていて、しっかりと焼けたやつ。ふわふわ、うーん、何といえばいいのか、この食感。甘くて、じゅわっとして、ほっとする。
「はい、春都、これ」
 半分ほど食って腹が落ち着いたのか、咲良が何かを渡してきた。
「なんだ?」
「お土産~、といっても、近所の道の駅に売ってたやつだけどな」
 犬の形をしたクッキー。ごま、おから、ナッツの三種類か。うまそうだ。ああ、一番乗りって、お土産の話か。
「ありがとな……でも、俺、何も買ってきてないぞ」
「いーのいーの、俺が春都に買いたいなーって思って買ってきたやつだし」
「……そうか」
 何となく落ち着かない気分を紛らわすために、ご飯を口に突っ込む。ドッグランが併設されてるから、こういうクッキーが売られてんのかな、なんて思いながら。
「……これ、犬用じゃないよな?」
 そう言ってみるが、言葉を間違えたか、と思う。しかし咲良はなぜか得意げに親指を立て、にやりと笑った。
「大丈夫、ちゃんと見て買った」
「売ってたのか、犬用」
「おう、いろいろあったぜ~。あ、今度一緒に行こうや、また」
「ああ」
 春は過ぎ、梅雨の気配がしだす頃。
 まだまだ雨雲には負けてたまるかと、太陽は眩しく輝いていた。

「ごちそうさまでした」
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