一条春都の料理帖

藤里 侑

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第六百八十話 バナナスコーン

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 さっそく、翌日の放課後から作成に取り掛かる。視聴覚室は放送組が練習していたり、大会の準備をしていたりとてんやわんやなので、和作法室を使わせてもらっている。
 畳張りのささやかな一室で、障子を閉めて中庭が見えないようにしてしまえば、ここが学校だということを忘れてしまいそうだ。
「大体の骨組みは、先生が考えたんだっけ?」
 と、咲良が書類を眺めながら言う。先生が今朝、渡してきたものだ。思いついたアイデアを書き連ねているらしい。
「なんか、こういう話がいいなーっていうのはあるらしい」
「じゃ、それを元にいろいろ付け加えていけばいいのか」
 ふむ、と朝比奈は昨日撮った写真を眺める。
 咲良はいったん書類から視線を上げると、少し気だるげな表情を浮かべて言った。
「てかさー、俺らの脚本が見たいとか言って、結局先生の案じゃんね?」
「まあ、顧問の意見も入るもんだろ」
「……出されたのはアイデアだけで、肉付けするのは俺らだからなあ」
 先生からアイデアを渡されたとき、一から作らなくていいのかと拍子抜けする半面、それとなく道しるべができたことにほっとした。先生はそれも思って、アイデアを提供してくれたのかもしれない。どうだろう。
「先輩、それ、一緒に見てもいいですか」
 後ろからのぞき込んで来たのは青井だ。なんか、昨日あたりからずいぶん懐いてんだよな。慣れたのか。なんか、近所の野良猫が近寄ってきた感覚だ。
「ん、いいぞ。ほれ」
「ありがとうございます」
 先生のアイデアが書かれたメモは、脚本組三人分しかない。青井にも見えるように書類をずらしてやると、いそいそと隣にやってきて正座をする。
「あ、太一だけずるい。僕にも見せてください!」
 そう言って反対側の隣に滑り込んで来たのは橘だ。青井がネコなら、橘は犬っぽい。
 二人に見えるように書類の位置を移動させる。二人は食い入るようにアイデアを眺めると、パッと顔を上げた。
「イメージボード、作ってみたいね」
「俺も思った」
「イメージボード?」
 その言葉に反応したのは百瀬だ。
「いいねえ、作ろっか」
「イメージボードってなんだよ」
 咲良の問いに百瀬が答える。
「まー、文字通りイメージだよ。どんな作品にすんのか、何枚か絵を描いてみるんだ。重要なシーンを抜粋して」
「おー、なんか本格的」
「やっぱ文字だけじゃわかんないことあるからねー」
 そう言いながら、百瀬は何やら銀色の箱を取り出した。なんか見たことある。あ、おかきとかが入ってる箱だ。画材でも入ってんのか?
「ま、とりあえずさ。みんなお腹空かない?」
 百瀬の唐突な問いに、皆がきょとんとする。百瀬はにっこりと笑った。
「まずは腹ごしらえ。甘いもの食べながら、話そうよ」
 百瀬は輪の中心にその箱を置いた。みんなの視線がそれに集中したのを確認して、百瀬は「じゃーん!」と蓋を開けた。
 箱の中にはクッキー……いや、スコーンが山のように入っていた。パステルカラーの敷布のおかげで、なんか、外国のピクニックのようだ。
「バナナのスコーンだよ。あ、苦手な人はこっちね」
 プレーンもあるから、と百瀬はもう一箱取り出した。その中には、いちごジャムとマーマレードジャムが入っている。
「すげえ、でも、口乾かねえ?」
 咲良が言うと、朝比奈も控えめに頷いた。すると百瀬はどこか得意げに笑い、どこからかポットと紙コップを出してきた。
「紅茶があるよ」
「用意周到かよ」
 抜かりの無さに、思わず笑ってしまう。百瀬はお茶の準備をしながら言った。
「まー、これは借りものだけどね。今年の茶道部は、明治時代風の喫茶店をやるんだって。練習は食堂でやるらしいけど、和作法室使うって言ったら一つ貸してくれたんだ」
 人脈広いなあ、百瀬。
「さ、食べよ」
 いつの間にやら、紙皿も用意してある。完全にお茶会の様相だ。打ち合わせはどうした、打ち合わせは。
 ……まあ、深いことは考えまい。
「いただきます」
 じゃあ、バナナの方から。結構大振りだなあ。
 さくさく感は控えめで、どちらかといえばしっとりしている。これはバナナを混ぜているからだろうか。ふうっと鼻に抜けるのは、甘い香りとバナナの風味。へえ、バナナのスコーンって、うまいんだな。
 バナナってちょっと苦手だと思っていたが、この間のバナナジュースといい、うまいのはうまいんだなあ。
「これ、おいしいです。どうやって作るんですか?」
 橘が聞くと、百瀬はにこにこと愛想よく笑って答えた。
「簡単だよー、ホットケーキミックスと混ぜてね……」
 ああ、この風味はホットケーキミックスだったのか。どこかで食べたことのある味だと思った。小麦粉っぽいというより、ちょっと甘めで……
 プレーンにはジャムをつけるらしい。あ、こっちはちょっとサクッとしてる。半分に割って、まずはマーマレードジャムから。
 オレンジの風味が爽やかで、シンプルな味わいのスコーンとの相性がいい。このジャムもうまいなあ。まったく、百瀬のお菓子に対する熱にはかなわない。
 いちごジャムは甘くて、疲れた脳に染みるようだ。
「中学の時にスコーン作りにはまってね~。山のように作ったから上達したんだよ。ね、貴志!」
 話を振られた朝比奈は、まるで、今飲んでいる紅茶がとても渋いというような表情で頷いた。
「……毎日、俺のおやつはスコーンだった」
「あはは、巻き込まれたのか」
 と、咲良が笑う。
 それまでずっと聞き役に徹していた青井が、ふとこちらを見上げたのを感じた。視線って、分かりやすいもんなんだなあ、と思いながら青井を見る。
「どうした?」
「あの、先輩たちの中学時代って、どんな感じだったんですか?」
 その問いに、二年生同士、視線を交わす。
「どう……って、そんな、別になあ」
「朝比奈と百瀬は同じ学校だっただろうけど、俺と春都は違うもんな」
「今とあんま変わんないよー。まあ、多少変わったとこもあるかなあ?」
「まったくない、ってことはないだろう……」
 ふと見れば、橘も青井も、きらきらと期待に満ちた目をしている。
「それでも、聞きたいです!」
 橘の言葉に、青井はうんうんと頷いた。そんなに気になるのかなあ。なんか変な感じだ。自分が先輩だ、ってうっすらと自覚する。
 甘いバナナスコーンをほおばり、紅茶を飲む。薫り高い紅茶は市販のものだが、十分、気分を華やがせてくれる。
「まあ、話せそうなことを思い出したら話すよ」
 言えば三人も頷いた。一年生二人はそわそわしながら、スコーンをほおばった。
 さて、糖分も補給したし腹も満たされた。作業を再開するとしよう。

「ごちそうさまでした」
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