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第一章 それは終わりから始まった

5. パウラ、母はアブナイと思う

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ヘルムダール公国では、どの家門もほぼ女性が当主である。
貴族階級であれば領地の管理や運営、平民階級なら家業を支えること、それらを主にこなすのは女の仕事だった。

男性当主がないわけではないが、女性当主が立たない場合の例外である場合が多い。
それはヘルムダールが黄金竜の竜后の生国として、崇め敬われてきた長い歴史によるいわば慣習のようなもの。
例外のない厳格な一夫一婦制を守り、側室や愛妾といった言葉は辞書にさえない。
ヘルムダールが、5公家中最も黄金竜の血に近いことが理由である。

竜族は情が深く、生涯にただ1人の伴侶を持ち大切に愛おしむ。
黄金竜オーディとその竜后オーディアナに近い竜族であれば、生涯ただ1人の妻、夫だけ。
それ以外の者には、そもそも反応しないはずである。
それゆえの厳格な一夫一婦制であるため、側室や愛妾が表沙汰になれば、その家の名誉は地に落ちる。
そんなことができるのは、竜ではないからである。

例外のない一夫一婦制は、当然ヘルムダール大公家にも適用される。
当代大公アデラ・ヘルムダールは、その意味でとても模範的な当主であった。
夫テオドールと「いまだ蜜月」だと国中どころか、他の4公家にさえ知れわたっている。

「ご夫君が羨ましい」

冗談混じりの社交辞令は、半ば以上本心である。
4公家の公子の多くはテオドールと己を引き比べ、なぜヴァースキーの次男風情がと内心では妬ましく思っているようだ。
まるで人気歌劇役者のファンクラブのような、崇拝者たちである。




4聖使にどうやって好かれるか。
それを訊ねる2番目の指導者、母アデラの執務室へ、パウラは向かっている。
正午を少し回ったあたり、おそらく母は執務室で仕事をしている最中であろう。
ライ麦の薄いパンとチーズ、それにコーヒー。
普段なら義務的にそれらを胃に流し込み、午後2時まではデスクワークをするはずだった。


昼食時に母を訪ねると、あらかじめパウラから母の補佐官に伝えたところ、彼女はとても喜んでくれた。

「ああ、それはありがたいことです。
パウラ様がおいでになれば、陛下もきっとご機嫌よく召し上がるでしょう」

だからパウラは、堂々と母の職場へ行ける。
忙しい母に、きちんとお昼ご飯を食べてもらうために。


「パウラ様がおいでになりました」

執務室を警護していた近衛の女騎士が、扉の向こうに声をかける。
両開きの大きな扉が内側へ開いて、窓際のデスクから母が立ち上がるのが見えた。

「パウラ、お誕生日おめでとう」

艶やかな薔薇が咲いたような微笑を、母はパウラに贈ってくれた。


大公付きの補佐官がしつらえた昼食のテーブルには、母とパウラ2名分にはいささか多すぎる料理が並んでいた。

「誰がこんな量を食すのだ?
無駄なことは止めよ」

いつもならば美麗な眉をおもいっきり顰める母も、愛娘の誕生日であれば何も言わない。
こんがりと均一に焦げ目のついたローストビーフ、コンソメのジュレ、赤や緑の野菜のサラダ、白いふかふかのパン、焼きたてのチキンのパイ、白身魚のフライに虹色のソース、赤身の魚のカルパッチョ…。
これでもかと並ぶ。
デザートのケーキは、また後から出てくるのだろう。
サクランボで飾られた大きなチョコレートケーキや黄桃のゼリー、白いふわふわのエンゼルケーキが、木製のワゴンに控えている。

「本当なら今夜は、パウラの誕生パーティを開かねばならないところなんだがな。
うーん、間の悪いことだ。
実は黄金竜の泉地エル・アディに呼ばれていてね。
夕方にはこちらを出なければならない。
許しておくれ、パウラ」

金ボタンのついた青い騎士服の母アデラが、すまなさそうに言った。

(許しておくれ…って。
お母様、アブナイ魅力があり過ぎますわ)

前世には気づかなかったけれど、6+数千年の人生を生きた今のパウラには、母の崇拝者たちの気持ちがよくわかる。
これは何と言うのだろう。
男装の麗人?
女とわかっていても、ときめいてしまう凛々しい美しさ。
禁欲的な騎士服姿が、かえってドキドキする。
大公付き侍女職の抽選倍率がかなり高いのも、頷けるというもの。

「ん?
どうした、パウラ」

まじまじと母を見つめるパウラに、母は薄く紅を刷いた唇を少しだけあげて微笑む。

「私に話があるんじゃないのか?」

ああ、そうだった。
父ではあるまいし、見惚れている場合ではないと思いなおす。
実の母に聞くのにはかなり恥ずかしい質問だが、飼殺しの未来を防ぐためだ。
恥ずかしいだのと言っている場合じゃない。

「わたくしも6歳になりましたわ。
そろそろヘルムダールの女子として、みりょくてきなじょせいにならなければと思っておりますの」

ここまでは父に言ったのと同じ口上だから、問題ないだろう。

「おかあさまに、お教えいただきたいのですわ。
おかあさまは、どうやっておとうさまのお心をえられましたの?」

今度は母がまじまじと、パウラをみつめる番のようだ。
数秒の沈黙の後、母アデラは声をあげて笑った。

「どうした、パウラ。
好きな男の子でも、できたのか?」

その反応が普通だろうと、パウラも思う。
だが子供だましの初恋談義で終わらせてはならないとも。

「そのような方、まだ今のところは。
でもおとうさまのようなすてきな方を、好きになるかもしれませんでしょう?
きっときょーそーりつが高いと思いますの」

「テオドールみたいな…か。
それはそうだな。
競争率は、高かったぞ」

当然だと頷く母を見て、ああこの夫婦は本当に面倒くさいとパウラは思う。
父ほどダダ漏れではないが、母も父が大好きには違いない。
娘の前で盛大に惚気て、恥じることもない。

「だが…。
そうだな。
パウラもヘルムダールをいつか継ぐ身だからね。
話しておいた方が良いだろうか。
少しだけ、真面目な話になるけれど」

微笑をおさめた母の顔は、ヘルムダール公国大公のそれへと変わっていた。
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