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第一章 それは終わりから始まった

23. パウラ、悪くないと言われる

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名乗りもしないで、アルヴィドは「どーぎ」の袖に指をかける。
彼もヴォーロフ公家の聖紋オディラ持ち公子であったはずなのに、淑女に対してこの扱いはどうだろうと思う。

「ふ…ん。
厚い生地だな。
木綿か。
かなりしっかり縫い取りがしてあるが、これは生地を強くするためか」

「どーぎ」がかなり気になるらしい。

そういえば、彼は超ド級の魔術騎士だったと思い出す。
水、火、風、地の4属性の最上位魔法をなんなく使いこなした上、独自の調合魔術による攻撃魔法を複数扱える。
それに加えて、剣技も卓越していた。
並の魔術騎士であれば、物理攻撃にはどうしても弱くなるものだが、アルヴィドは違う。
剣士としての技量も、すばらしい。
加えて彼の佩く細身の剣には、「永久凍土」の魔法がかかっている。
触れるものすべてを凍てつかせ、瞬時に粉砕してしまう恐ろしい魔法剣の使い手である。

黄金竜の泉地エル・アディでも、今目の前にいる彼と同じ黒と銀の騎士服を着ていたはず。
聖使ともなれば護衛の騎士が常について、アルヴィド自ら剣をふるうことなど滅多にないというのに、彼は騎士服を脱ぐことをしなかった。
なぜかと理由を聞いたのは、前世のエリーヌ・ペローだった。
いかにも無邪気な様子で、

「尊い身分の聖使様なのに、どうして騎士の衣装を着てるんですか?」

だめだ…。
思い出しただけで、イライラする。
泡の弾けるソーダ水のような明るい緑の瞳をうるうるさせて、アルヴィドの顔を覗き込んでいたあの様子が鮮明によみがえる。
そこはスルーして良いところ。
脳内で不快な映像と音声データを削除して、その先のアルヴィドの応えの部分だけを思い出さなければ。

「動きやすい」

確か、それだけだった。
怒ってはいなかったけれど、喜んでもいないまるで無表情で。


動きやすい。
そんな単純な理由ではないだろうけれど、アルヴィドは暇さえあれば剣の訓練をしていたから、「稽古」とか「鍛錬」の言葉には反応するのかもしれない。
「どーぎ」は稽古着だから、注意をひいたのか。

「柔術の稽古着でございます」

「稽古」にアクセントをおいて、説明する。
頭は下げたまま。
まだアルヴィドは名乗っていないし、頭を上げて良いとの許しもないから、仕方ない。

「じゅーじゅつ。
武術か?」

反応が早い。
柔術に食いついたのが、予想どおりでなんだかおかしい。

「そうですわ。
場所をお借りできましたので、これから朝の稽古をつけてもらうところです」

「それは良いな。
俺も見たい」

今すぐにでも見せろくらいの勢いで、アルヴィドは歩き出す。

「何をしている。
行くぞ。
この先の森を、俺もよく使う」

振り返って急かす口調は、珍しく早口で、それに口数も多い。
こんな子供っぽいところは、前世にも見たことがない。
よほど柔術に興味があるのだろう。

(なんだかかわいらしいわ)

下を向いて笑いを隠すと、既にかなり先を行くアルヴィドの背を追った。



ヴォーロフ城から続く森は、正しくは城の敷地内にある。
確かに建物から少しばかり離れてはいるが、これはどうやら一般的な城の仕様ではないのかと、パウラは思った。
似たような森は、ヴァースキーにもあったから。
ヴォーロフの森には、北の大陸で多く見られる尖った葉をもつ樹々が多かった。
城内の森であれば、自然に見えてさにあらず。
わざとらしくならないように気を遣いながら、きっちり人の手が入っている。
整備された森の小道、樹々の間隔、それに高さや枝ぶりも。
どれだけの人手をかけたのだろう。
これもまた、ヘルムダールにはない贅沢だと感嘆のため息をつく。

「ここでよろしいでしょう」

サークル状に開けた場所に着いたところで、ナナミが稽古開始の合図を出した。
外での稽古だから、ハラばいは難しいとしてウチコミと腹筋、背筋くらいはできるはず。
しっかり身体をあたためて身体の筋を伸ばしてから、腹筋を始める。
背筋、腕立て伏せと続いて、ウチコミ。
適当な太さの木の幹に木綿のひもを縛り付けて、ひきつけて身体を返す。
また繰り返す。

「左を強く!」

強い調子でナナミの声が飛ぶ。
それを黙ったまま、じっとアルヴィドはただ見ていた。

100回のウチコミ終了後、ランドリに入る。
技を教わってから、これがけっこう面白い。
師匠のナナミ相手に、実戦形式で組んで技をかける稽古のことだ。

たくさんある技のうち、「この技をかけろ」というスキを、ナナミはわざと作ってくれる。
それをすかさず攻めなければ、だめ。
技のかかりが浅いと、厳しい叱責が飛ぶのはいつものことだ。

「左が効いていないから、かかりません」

とか

「遅い。
そんなじゃ案山子も投げられません」

とか、とにかく怖い。

アルヴィドが見ていることなど、すっかり意識の外に追いやられていた頃になって。

「なぜこんなことをする?
おまえには、護衛騎士がつくだろうに」

アルヴィドの声には、柔術を見たいと言い出した時の弾みはない。
心底不可解だと思っているようだ。

「ヘルムダールの女子は、いつか飛竜騎士になります。
そのためですわ」

稽古の手をとめて、パウラははっきりと答えた。
ヘルムダールの銀の騎士、パウラの憧れである。
母のように、シルバードラゴンに騎乗して。
17才までになら、その機会はあるはずだったから。

「一撃目さえかわせれば、詠唱が間に合います」

「騎士になりたいのか?」

「はい」

「そうか」

針葉樹の緑の瞳が、にじむように柔らかくなる。
薄い唇の端が機嫌よく上がった。

「悪くない」

くるりと踵を返して森の出口へ向かいながら、ほんのわずかの間、足を止めた。

「アルヴィド。
俺の名だ」

背中越しに投げられた声に、良い感じを受けたのは気のせいか。
気のせいではない…多分。
そうだったら良いとパウラは思った。

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