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第三章 シモンの章(シモンEDルート)

40. あなたじゃなくて本当に良かった

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 前世のパウラは、黄金竜の郷エル・オーディを見たことがない。
 黄金竜オーディの意思を伺わなければならない場面では、黄金竜の泉地エル・アディの神殿に啓示があった。
 仕事以外で黄金竜オーディを必要とするなど、パウラにはありえないことだったから、彼とその妻の住む場所にはかけらの興味もない。
 けれど今、これまでの因縁を断ち切るために向かう地となれば、話が違う。
 こんなことなら、前世に少しでも見ておくのだった。

「なーんにもないとこだよ」

 パウラの思いを感じたのか、淡い緑の瞳がパウラを見下ろしていた。

「権威とか権力とか?
そんなのに興味があれば、特別な場所に見えるんだろうけど」

 こんなところも好きだなあと、パウラは思う。
 シモンは本当に興味がないのだ。
 権威とかそれに伴う力とか、シモンも彼に及びもしないながらパウラも、十分すぎるほど持っていた。
 パウラに限って言えば、もしそれらが彼女にとって価値のあるものだったなら、最期にやり直しを望むはずもない。
 
「行こう。
まずヴァースキーの神殿へ戻るよ」

 青銀の微粒子が、きらきらと辺りを染める。
 視界がぼやけ、滲んで歪み、気づけば神殿の回廊だった。

 

 瞬時に移動した後、黄金竜の泉地エル・アディへ通じる転移の間に、至極当然のようにシモンは入った。
 神殿内の誰にも止められることなく、固く錠のかかった扉は、シモンが触れると自ら開く。

「ここから?」

 転移の間が、黄金竜の郷エル・オーディにつながっているなど、聞いたこともない。

「今の僕に、できないことはないよ」

 不敵な笑いを口元にためて、シモンはその指で魔法陣を描いた。
 青銀の光がぱぁっと輝いて、幾重にも重なった複雑な紋様が目の前の空間に現れる。
 その端からじわじわと空間が歪み、やがてぼうっと白い道が浮かび出る。

「さぁ」

 促されて手を引かれた。

「怖がらないで。
 大丈夫だから」

 怖くないと言えば噓になる。
 けれど逃げては通れない道であることも、わかっていた。
 差し出された手に左手を預けて、パウラは足を踏み出す。
 あきらめて生きるのは、もうやめると決めたから。
 それなら戦わなくてはならない。

「怖くありませんわ」

 少しの虚勢と、半ば以上は本心と祈り。
 それでも緊張で指先が震えた。

「言ったよね?
僕がついてる。
僕がきっとパウラを守るから」

 きゅっと握られた指先から、シモンの想いが伝わってくる。
 必ず守ると言ってくれるシモンに、ただかばわれているのは嫌だ。

「おもいっきりぶん殴って差し上げましょう。
これまでの分もあわせたら、相当になりますわね。
二人分ですもの」

 パウラが胸の内を表明すると、くしゃっと表情を崩してシモンが笑う。

「ずるいよ、パウラ。
君はいつもそうだ。
大真面目に僕の心を鷲掴みにする」

 ふいっと顔を背けたシモンの耳が赤く染まっているように見えたのは、パウラの気のせいか。

「参りましょう。
どこまでもご一緒いたします」

 震えは止まっている。
 今度こそ、本当に怖くはなかった。
 黄金竜とその妻に、悪態の一つくらいはついてやる。
 他人の人生を都合よく振り回したその罪は、たとえ黄金竜オーディといえども償うべきだと思うから。



 高い山がいくつも見えた。
 頂には雪を抱いて、重なるように連なる山がぐるりと辺りを囲む。
 煙のようにたなびくのは、灰色の雲。

 白く開いた空洞の道の先にあったのは、風の吹き抜ける平原だった。
 振り返ると、神々しい気に満ちた白亜の宮がある。
 張り詰めた思いでシモンを振り仰ぐと、彼は頷いた。

「黄金竜の宮だよ」

「そう……ですの」

 煩くない程度に施された彫刻や、滑らかに整えられた円い石柱は、どっしりとした格式を保ちながら清らかに洗練されていた。
 竜の長が住まう宮に、ふさわしい。
  
「残念ですわ。
もう少し趣味が悪ければ、笑ってやれましたのに」

「趣味?
ああ、宮の様子のこと?」

 鼻先で笑って、シモンは冷たい声で続けた。

「これ、初代の黄金竜オーディが建てたものだよ。
それを変える気概が、やつらにあるもんか」
 
「よろしいの?
そんなことおっしゃって。
聞いているかも……というより、多分聞いていますわよ?」

「ふ……ん。
いまさらだよ。
やつオーディには何もできない。
わかってるから、手を出してこないんだよ」

 黄金竜オーディはこの世のすべてを支配する。
 全能の神だと、子供のころから教わってきた。
 その黄金竜オーディが、ひどい言われようだ。

 行くよと声をかけられて、パウラは宮の正面入り口を見上げる。
 ヴァースキーの神殿を思わせる長い石段が続いて、これを全部上るのかと憂鬱になっていると。
 次の瞬間、既に神殿の長い廊下に移動していた。

「招待してくれたようだよ」

 シモンが口にするとほぼ同時に、二人の正面にある大きな扉が、ぎぃと重い音をたてて左右に開く。
 金色のまばゆい輝きが辺りを照らし、目がくらむ。
 ようやく薄く目を開けて、輝きの源を探す。

「よく来たね、竜妃オーディアナ。
いや、今はまだ、パウラ・ヘルムダールだったか?」

 この声。
 忘れるはずもない。
 前世の最期に聞いた、名ばかりの夫、黄金竜オーディの声だった。




 広間の中央には、端に金のラインの入った深紅の絨毯が敷かれ、その先に大きな金色の玉座とその主があった。
 主は神々しいばかりの美青年で、一目でそれが目指す相手、黄金竜オーディなのだとわかる。
 黄金色の髪はややうねって長く、彼の腰までを覆っている。
 新雪の汚れない肌に、切れ長の目を金色の長いまつ毛が重そうに隠す。
 やはり金色の瞳が、こちらを面白そうにじっと見ていた。

「顔を合わせるのは、初めてだったね。
2度目の時はどうだい?」

 どうしたものだろうかと、パウラは戸惑った。
 相手は黄金竜オーディ、この世で最高に尊いとされる存在なのだから、最敬礼をもって挨拶をするべきだ。
 本来なら。
 けれどそうしたくなかった。
 パウラ自身の人生をいいようにされた恨み。
 言いだせばきりがないほどたくさんあったが、さらにシモンにも、歴代の4竜たちにも同じようなことをしていたと聞いて、どうして崇め奉ることができるだろう。

 でも挨拶くらいはすべき?

 そう悩んでいると、隣に立つシモンにぐいと抱き寄せられた。

「久しぶりだね、黄金竜オーディ。
あぁ、もう知ってると思うからこれは警告だけど。
竜妃なんて胸くそ悪い名で、僕のパウラを呼ばないでね。
2度目はないよ?」

 水竜じゃなく、氷竜の間違いではないか。
 辺りの空気を凍らせる超低温の声に、ぞくりとする。

「僕の……か。
それを私が許すとでも?」

「許してくれなくていいよ?」

 熱のこもった光が、シモンと黄金竜オーディの身体からゆらめき立ち上ったのは、ほぼ同時。
 金色のオーラと青銀の光のオーラが、広間のほぼ中央でばちんと音をたててぶつかる。
 どちらも譲らずしばらくは均衡を保っていたが、やがて青銀のゆらめきが金色を押し返す。

「ね?
もうわかってるはずだよ。
今の僕に、あなたは敵わない」

「水竜の継承はまだのはずだが、力もそのまま遡ったか。
さすが……だが、禁忌を知った上でヘルムダールの姫を望むか」

「禁忌ね。
別に忌まわしいことでもないと思うけど。
忌まわしいのは、黄金竜オーディにとってだけだよね」

「この世の、長く続いたこの世の理は、そのように軽んじて良いものではない。
いやしくも竜である者が。
己の行いを恥じるが良い」

 黄金竜オーディは見るものを魅了する、美しい微笑を浮かべている。
 至高の己を、信じて疑わないのだろう。
 今こうして力を押し戻されてなお、彼は変わらない。
 その自信の根拠は何なのか。
 
「あなたは良いのか?
こんなことをすれば、あなたの故国ヘルムダールは亡くなるよ」

 婉然と微笑むその金の瞳が、パウラに向けられる。
 
「あなたの最期の願いを聞き届けたのは、初代黄金竜が竜妃オーディアナと結んだ約束だからだよ。
生涯にたった一つだけ、どんな願いでも聞き届けると。
それを私は果たした。
その私に、あなたは叛くのか?」

 これがこの男の本性か。
 身体中の血が逆流するような怒りを、パウラはなんとか抑えた。
 冷静さを失ったら負けだ。
 負けられない。
 ヘルムダールを質にするなどという外道に、下げる頭はないのだから。

「あなたじゃなくて、本当に良かった」

 冷めた声で応えた。

「竜妃、側室、2番目の妻でしたかしら。
ヘルムダールを質にとるような男、竜后には申し訳ないけれど、わたくしごめんこうむりますわ」

「パウラが申し訳なく思う必要はないよ」

 パウラを抱いたままのシモンが、パウラの唇を指で塞ぐ。

「パウラに面倒を押し付けて、ここでのうのうと暮らしていた女だよ?
君は優しすぎる」

   パウラの胸にじわりと、温かい塊がこみ上げる。
 シモンの方こそ、どうしてこんなに優しいのだろう。

 心の内に浮かんだとしても、口に出せば醜くなる感情は抑え込むように努めてきた。
 竜后へ言いたいことは、当然ある。
 山ほど、この黄金竜の郷エル・オーディを囲む高い山ほどたくさん。
 けれどそれを口にすれば、恨みつらみ、果ては嫉妬などという醜い感情が根底に入るのを止められない。
 そんな自分をさらすことは、パウラの誇りが許さない。
 意地っ張りで見栄っ張りのパウラを、シモンは心ごとすくいあげてくれるようだ。
 シモンがわかってくれている。
 それだけでふわふわと心は柔らかく浮き立って、幸せだった。
 
「死にたいようだ」

 低い声が響く。
 ほぼ同時に金色の光の矢が、シモンの上に暴風雨のように降り注いだ。
 青銀の光の盾で難なくかわして、シモンは笑う。

「竜后を侮辱されればそうなるよね。
あなたは竜だ。
当然のことだよ。
だけど僕も竜だよ?
なら、最愛を威した相手をどうするか。
わかるよね?」

 青銀の微粒子が、シモンの身体からゆっくりゆっくり流れ出す。
 同心円状に拡がって、部屋を満たしたその瞬間。
 パアンと乾いた音がして、辺りの光がすべて消えた。
 
 
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