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第16章 迷走の果てのため息

No,179 広橋君のこと

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【これは30歳前後のお話】

 昔、勤めていた会社に好きな後輩がいた。
 決してモテるようなタイプではなく、むしろモサッとした感じの彼だったけれど、俺にはたまらなく可愛らしく見えて「先輩として何かしてあげたい」なんて、勝手に思い込んでしまっていたのだ。
 でも直属の後輩ではなかったので理由も無く近づく事も出来ず、いつも遠くから彼を意識していた。

──この好きな後輩と言うのが広橋君だ。
 俺が29歳の4月、広橋君は新卒として入社して来た。
 一撃の一目惚れだった。

 過去、俺の方から一方的に熱を上げた片想いの相手としては高校時代の平田、そして大学時代のサトシについで三人目だ。
 そして「三度目の正直」と言うことわざが相応しいかどうかは別として、とにかく俺の恋愛脳は前の二人とは比べられないほど爆裂した。

 が、しかし──
 俺はその広橋君とは、例えば平田とのように親しく友愛を深められた訳でもなく、サトシに対してのように周りを気にせずがんがん世話焼きに夢中になれた訳でもなく、結果として何も出来ず、何も残らなかった。
 全くもって手も足も出せなかったのである。

──なぜなら、そこは会社内だった。
 これを読む社会人の方なら、ここに多くを語らずとも理解していただけるものと頼りたい。
 学校と会社では全く状況が違うのだ。学生の時のように自由には振舞えない。会社員ともなると複雑なしがらみが多岐に渡る。

(おい理久!ここは会社だ!しかも父と繋がりのある会社だ!トラブれば家族にまで伝わる危険があるんだぞ!)
 と、きつく自分を戒めた。

 でも俺は、燃え盛る片想いに自分をセーブするのが難しかった。とにかく俺の好みのど真ん中なのだ。
 何となくモサッとした重い髪型。自信無さげに伏せ目勝ちになるうつろなまなこ

 初対面の挨拶からしておどおどと要領の得ない口調とくれば、これはもう、何から何まで俺が面倒見て支えて上げなければ駄目な奴じゃん!って、俺は一気にのぼせ上がった。
 俺の胸は激しい動悸に襲われ、広橋君を見ているだけで息が上がった。

(ああ!どうして広橋君は営業部なんだ?!部所違いで手も足も出ないじゃないか!)
──それからは毎日毎日、広橋君を目で追う日々が始まった。

 大体、営業部と言うのがおかしかった。誰がどう言う面接をしたのか知らないが、どこからどう見ても営業なんて向かないじゃないか!
 会社って言ったって中小の設計事務所だ。広めのワン・フロアの一番奥で図面を引きながらも、対局に置かれた営業部の様子は伺える。

(あ!また叱られてる!……今度は何をやらかした?)

 もう僕は気が気じゃない。気になって気になって仕方がない。

(好き!好き!だ~い好き!)

 今にして思えば、あの頃は完全に常軌を逸していた。
 ある日、同僚に言われた。
「おい歴野、そんなに広橋が気になるか?」
「え?何ですか?」
「だから何ですか?はこっちのセリフだよ。歴野、いつでも広橋の事ばかり見てるだろうが、何かあったか?」
 って、ええっ?!
 俺、そんなに露骨?!
 これは自重しなければ……と、自分を制御するのに必死だった。

 時々行われる飲み会でも、部所違いでは交ぜて貰うにも気を使った。
 それまで接点の薄かった営業課長なんかに接近したりして、どうも俺は怪しげな行動を取るようになった。

「歴野、この頃やけに絡んでくるな?おまえ本当は営業がやりたいのか?」
 って課長。
「課長、俺、この頃思うんです。机にかじりついていても本当に顧客の求める仕事ができるのかな?って。今度こちらの飲み会にも誘って下さい。色々勉強したいんです」
 なんて心にも無い──。

 で、取って付けたような理由をこねくり回して何とか飲み会にもぐり込んでも、結局広橋君とは何も話せない。
 この図々しいと悪評の歴野理久が、意中の広橋君の前ではまるで借りてきた猫のよう。
 目も合わせられない。口も利けない。もちろん広橋君の方から声を掛けてくれるなんて有り得ない。
 空しく会費だけがパタパタと飛んでいく。

「広橋く~ん。広橋く~ん」
 と、夜な夜な変な声を出して悶え苦しむ俺は変態だった。
「いっそゲイだとバレてもいいか!」
 なんてやけっぱちにもなりかけた。

(そうだよ!これが会社内だから悩んでるんだよ!)

 俺は悔し涙も随分流した。
──トラブル起こして会社を辞めれば、縁も切れる……。


 どうする?理久──!


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