青い鳥を探して

かほ

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第一章

感謝

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 出血はエーリクの言った通り、きっかり7日で止まった。ノアは真っ白なままの下着を見て、肩の力が抜ける思いがした。エーリクに病気ではないと教えてもらってはいたが、自身の身体に起きた変調に心が追いついていなかったのだ。ノアは自分が心のどこかで安心できていなかったことに、ようやく気が付いた。

 あの時、エーリクに相談して本当に良かった。全てが解決した清々しさに、ノアは素直な気持ちでそう思った。
 もし大事にでもなって、身体を見られたらまずかったのだし。言葉での説明だけで事を済ませられたのは、間違いなくエーリクのおかげだった。

 エーリクは優しい。ルームメイトの不調がそれほど気になるのか、あれこれとよく心配をしてくれるし、体を冷やすと良くないと言って、自分のものを入れるついでにノアにも温かいミルクをお裾分けしてくれることもある。それに。

「ありがとう」

 ノアの渡したプレゼントを抱えて、嬉しそうな笑みを浮かべるエーリクの表情が脳裏に浮かんだ。

 ノアが何かをしたことで、あんなふうに喜んでくれる人がいるなんて、思ってもみなかった。思い出すだけで、ノアの胸の内に温かい幸せな気持ちが湧き上がる。

 勿論、勘違いなどしていない。エーリクがプレゼントに喜んでくれたのは、別に特別なことなんかじゃない。誰があげたプレゼントでも、きっとエーリクは喜んで受け取るのだ。けれど特別じゃなくてもノアは構わなかった。自分にもその当たり前が出来るという、その実感が得られただけで十二分に満足だった。

 エーリクへのプレゼントは、先日掛けた迷惑へのお詫びの気持ちだった。それなのにノア自身がこんなに嬉しくていいのだろうか。ノアは浮足立つような、こそばゆい気持ちで思った。お詫びどころか、こんなのはまた借りを作ったようなものなのじゃないか。


 そうだ。エーリクにお礼をしよう。

 それは単なる思い付きだったが、考えれば考えるほどいい案のように思えた。先日渡したのは「お詫び」だったのだから、それとは別に「お礼」を渡したっていいのではないか?いいや、むしろ、そうすべきだろう。思い返せば、ノアはエーリクに例の件で感謝の言葉を一度だって口にしていなかった。マイナス分を取り戻すのに必死で、他者への感謝を忘れるなんて、なんという未熟さだろうか。これは何としてでも、エーリクが喜ぶような「お礼」をしなければなるまい。

 ノアは使命感に燃える顔でうんと頷くと、今度は何をプレゼントしようかと悩み始めた。そう、ノアは生来真面目過ぎる性分であり、また思い込みも強かった。


*******

「あれ、こないだの坊ちゃんじゃねえか」

 週末を待たずして、ノアは先日マフラーを購入した雑貨屋を訪ねていた。店主はノアのことを覚えていたようで、意外そうに目を丸くする。

「そういや、この間買ってったプレゼントはもう渡したのかい?」
「はい。…その、喜んでもらえました」
「はっはっは!そりゃよかったな!」

 ノアが少し頬を赤らめて言うと、気のいい店主は豪快に笑ってノアの肩を叩いた。その力強さにノアは思わずよろめいた。

「で、今日は何を買いに来たんだ?」
「これを」

 店主の問いかけに、ノアはメモ用紙を差し出す。その手つきは心なしか自慢げである。店主は虚を突かれたように瞬くと、渡されたメモ用紙をまじまじと読み込んだ。


 ==================
        買い物リスト
   ・  腕時計
   ・  帽子(黒)
   ・  ノートセット
   ・  タオル
   ・  靴下(紺色)
   ~~~~~~~~~~~~~
   ・  インク
   ・  石鹸
   ・  電球
 ==================


「今日は自分の買い出しってわけかい?うーん、消耗品類はうちでは扱ってないんだがなあ…」
「いえ、今日もプレゼントです」
「は?」
「前回、プレゼントは実用的なものが無難と学びましたので、相手の部屋の買い替えた方が良いだろうと思ったものをリストアップしてきました」

 自信ありげにそう話すノアに、店主は信じられないというような顔をした。前も薄々感じていたことだが、この子は相当に変わっていると店主は確信を得る。

「…正直に言うぞ。その発想はやばい。気持ち悪い」

 予想外の店主の台詞に、今度はノアが目をぱちくりとさせる。

「へ?」
「まだ上の4つ、ぎりぎり5つはわかる。が、それ以下はだめだ。これは単なる消耗品。人にもらってうれしいものじゃあないし、そもそも自分の持ち物の状態を他人に詳らかに知られているっていう状況を歓迎するやつなんてまずいないからな。もし靴下を渡すにしても、穴が開いていたから買ってきたとか、死んでも口に出すなよ。絶対にどん引かれるからな」

 言いながら、店主は赤いマーカーでノアから手渡されたメモ用紙、その5行目から下に大きくバツ印をつける。ノアはその様子を眉を下げながら黙って見守った。

「ここまではいいな」
「は、はい」
「帽子っていうのも悪くはないが、頭のサイズ、好みの形、色。結構人によって分かれるからな、これはやめといたほうがいい」
「あっ。好みの帽子の形はわかっています。黒地につばのついた…」
「それは、相手がもうもってるやつのことだろう。とりあえず黙って聞いてろな。…ノートセットっていうのも学生らしくていいっちゃあいいが、貰ってうれしいかと言われれ微妙な線だろうな…」

 ノアは自分の意見が一蹴されて心がぽっきりと折れてしまった。バツ、バツ、バツ。店主はぶつぶつと考えを口にしながら容赦なくノアのメモにバツ印を入れていく。ノアは候補すべてにバツを入れられてしまうのではないかとハラハラしながらその様子を見守った。

「…ってことで、この中なら腕時計か…、まあ無難どころとしてタオルかハンカチなんかが妥当だろうな。俺としては腕時計を推すぜ。ま、うちでは扱ってないがな」

 店主はそう言って、メモ用紙をノアの方へ突っ返してきた。

「じゃあ、腕時計を…って、扱っていないんですか?」
「ああ。腕時計を買うなら、向かいの角を曲がった先の店がお勧めだぜ」
「え?でもそれじゃあ貴方の利益にはならないのでは?」
「まあ、偉そうにアドバイスしちまった手前、嘘つくわけにもいかないしな」

 店主が気まずそうに頬をかく。

「じゃあ、タオルをひとつ頂きます」
「いいよいいよ。それより、店の常連になってくれるほうがありがたい」
「でも…」
「人の親切は素直に受け取っておけ。な?」
「いえ、タオル1枚くらい大した金額じゃないので、買います」

 頑固なノアの反応に、店主は呆れたようにため息をつく。

「このぼんぼんめ…」
「ありがとうございます。タオルは買いますけど、また来ます」
「あいよ。じゃあプレゼント選びがんばれよ」
「はい」


 親切な店主に会釈して、腕時計を買いに勧められた店に足を運んだ。雑貨店の店主に勧められたと言えば、時計屋の主人は快くプレゼント選びに付き合ってくれた。エーリクの持っている腕時計のベルトが大分傷んでいたため候補に挙がった腕時計だったが、同じようなものを買えばいいわけではないということだったので、結局はハーフハンターの懐中時計を選んだ。

 ころんとした小さな箱に入った時計を、ノアはきらきらとした目で眺める。これをあげたら、エーリクはまた喜んでくれるだろうか。そんな期待が胸を満たした。



「これ、あのときのお礼。今までちゃんと言ったこと、なかったから。ありがとう」
    
 部屋に帰るなりノアは待ちきれなくて、エーリクにプレゼントを差し出した。

「え、」

 突然のことに目を白黒とさせるエーリクを、ノアは期待を込めた瞳で見上げる。

「あ、ありがとう」
「開けてみて」
「お、おう」

 エーリクがおずおずと包装をとくのを、ノアはどきどきしながら見守った。ぱかり、箱が空いて懐中時計の姿が現れる。

 ひと目で上等のものだとわかる、その輝き。

「これ、」
「どう?気に入った?」

 ノアはエーリクをみつめながら、そう尋ねた。もちろん良い反応を期待してである。…にも関わらず、ひやりと嫌な予感が背筋を走ったのは、あまりにもノアが失望するのに慣れていたからだったかもしれない。

「…これ、結構高かっただろう。流石に受け取れない」

 困ったような声と態度だった。

「そんなことはない、けど…」
「いや、流石にわかるよ。有名なところのだろう、これ」
「…」
「ノア?」

 身体中を駆け巡っていたふわふわとした感情が、ぺちゃんこにつぶれるのがノアにはわかった。突然冷水を浴びせられたように、冷静になる。

 何を思い上がっていたのだろう。エーリクの手の中にあった箱を、ノアはさっと取り上げた。

「…わかった。お礼はまた、別のにする」
「いや、この間のマフラーで十分だって」
「そんなわけには、いかない」

 食い下がりながら、ノアは努めて何も考えないよう、頭を空白で埋め尽くそうとする。今、自分が落胆していることを、実感したくなかった。心を遠くにやってしまえば、負った傷も痛くはないはずだった。

「別にそんなに大したことしてないだろ」
「そんなことない」
「じゃあ、どんなことだよ」
「…」  

 すぐに答えられなかったのは、自分のことで精一杯で話に集中できていなかったためだった。しかし、エーリクはその間を別の意味だと受け取ったらしかった。
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