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4   託された望み

・・・

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 山道を走っているのか、緩いカーブが続いている。 
 いつの間にか帳が降り車内は、暗くなっていた。 
 車窓から入り込む商店街や街路灯の灯りもないので、車内は暗くエアコンの音だけが聞こえる。 
 ぼんやりと背もたれを見ていると、車が止まった。 
 エンジンが切られて、静寂に包まれる。 
「ついたの? ててっ」 
 体を起こそうとすると、腰や背中が痛い。 
 狭い場所で子供のように寝ていたので、体のあちこちが攣っているようだ。 
「ここ、降りられる?体が痛いよ」 
 早く広い場所に出て体を伸ばしたくて、シートベルトを外した。 
「まだ、ついてないけど、降りられるよ」 
「・・・え?」 
 腰を擦りながら、上体を起こすと、運転席から声がした。 
「ずいぶん、気持ちよさそうに寝ていたね」 
「あの・・・」 
 振り返って、にっこり微笑まれ、オレはビクンと体を竦ませた。 
 暗闇にさす、一条の光は、鋭い弧の形でオレを射抜く。 
「薫・・・」 
「よかった、また自己紹介からしなきゃいけないかと思ったよ」 
 優しい口調だが、とても怒っている。 
 普段は甘い蜜色をしている瞳が、鋭い琥珀色でオレを呪縛する。 
 怖い! 
 怖すぎる! 
「ごめん」 
 先に謝った。 
「ふーん、悪いことをした自覚があるんだ?でも、何に対してのごめん?」 
 薫はシートベルトを外すと、運転席から体を起こし、後部座席に移ってくる。 
「あ、勝負、行かなくて」 
「そうだね、それもある。でも、それだけ?黙ってさよならしたことは?」 
「ごめん、でもどうして?」 
 オレは確かに、寛さんが運転する車に乗った。浅子さんとも話をしたはずだ。 
「そんなの追いかけたからに決まってる。途中でパトカーと追いかけっこして、やっと寛さんの車に追いついたんだ。寛さん、快く車を交換してくれて。今頃、俺の代わりに、お巡りさんに頭を下げてるかもね」 
「え?そんな・・・寛さんに悪い」 
 狭い後部座席で、オレは扉ギリギリまで追い込まれていた。 
 にこやかに怒っている薫が怖い。 
「悪い?悪いのは、逃げた優だろ?」 
 薫の膝がオレの膝と膝の間に入り、両手がオレの首の横、背もたれをぐっと掴んだ。 
「・・・・・・」 
 オレは逃げている自覚があるだけに、言葉に詰まる。 
「なんで、逃げるんだよ?」 
 オレは完全に薫に囲まれてしまった。 
 もう逃げ場はない。 
「じゃ、どうして追いかけたりするんだよ?」 
「優を手放したくないからだよ」 
「嘘くさ・・・」 
 オレは車外に目を向け、ため息交じりに言った。そして、首の横にある薫の腕を、手で払いのけた。 
「ここどこ?オレ、ひとりで帰るから、どいて」 
 ドアレバーを引いて扉を開けようとした。しかし、レバーに手をかけたオレに、薫は「どこに?」と聞いた。 
「どこに、堂坂の家?佐々木の家?どっち?」 
「・・・・・・」 
 親に捨てられる。もらわれる。 
 いつも感じていた不安と寂寥が押し寄せてくる。 
「どちらにも居場所が見つけられないんだろう?」 
 外の暗闇がオレを呑み込む。 
 条件反射のように、体が震えていた。 
「・・・・・・」 
 真実が知りたいのに、誤魔化されるばかりで。自分が何者かわからなくなる。 
「優の居場所はいつも俺の腕の中で、そこでしか優でいられない。そうじゃないのか?」 
「・・・・・・」 
 オレがずっと思い悩んでいたことを、薫はちゃんと知っていた。 
 オレには薫しかいないって。 
 それなのに、薫は。 
 真っ直ぐ見つめる琥珀色の瞳を、睨みつけた。 
 薫はオレを、ここで完全に壊すつもりかもしれないと思った。それならそれでありがたい。この際、息の根まで止めてくれたら、楽になれるのに。 
「自分が誰かわからないって、思ってるんだろ?」 
 オレを見る薫の視線は鋭くて、言葉はオレを斬りつける。 
 もう、オレは言葉を返す気力も失せていた。だけど、 
「おまえは、優だよ」 
 肩を揺すられた。 
 何も見えなくなりかかっていた両目に、薫の顔が再び映る。 
 井戸の底から、天空を仰ぎ見たような感覚だった。 
「俺の可愛い優だ」 
 目元を優しくした薫が、窮屈そうに体をかがめると、温かな掌がオレの頬をなぞる。そっと目じりに唇を寄せ、薫はオレの頭を抱き寄せた。 
 どっぷりとタールの中に浸かっていたような体が、ふわりと軽くなる。 
「俺の大切な優だよ」 
 ふわふわと温かく、オレはやっぱり薫の腕の中が一番落ち着くと思わされた。 
 オレが薫の腕の中に落ち着くと、薫は「もう悩むのはよそう」と言った。 
「馬鹿な親たちが、自分たちの都合で子供をペットのように扱って、自分たちの意思を押し付けているんだよ」 
 オレは弾かれたように、顔を上げた。 
「薫は知ってるの?」 
 狭い後部座席で、オレは必死に聞き出そうと薫に迫っていた。 
 薫はその迫力に、微苦笑を浮かべる。 
「知ってる・・・と言っても、全部を知ったのは優がお正月に来たあと、ほんの数か月前だよ」 
「教えて、オレにちゃんと教えてよ」 
 薫は眼差しを優しくして、ドアを開けた。 
 冷えた空気が流れ込み、興奮して火照っている頬を冷やしてくれる。 
 薫は車外に出た。 
 オレがもう逃げないと思ったのだろう、薫はオレに手を差し出して「おいで」と呼んだ。 
「薫・・・」 
 オレは迷うことなく薫の手を取り、車から降りた。 
 やっと広い場所に出て、体が伸びる。 
 新鮮な空気が、陰鬱に淀んだオレの頭を活性化させていた。 
「薫!」 
 向かい合う形で、オレは薫の前に立った。 
 薫はまっすぐオレを見る。 
 とても真剣な眼差しだ。そして、大きく息を吐き出し「初めに謝らなきゃいけない」と前置きをした。 
「俺も悩んだんだ。悩み過ぎて、優を余計に苦しめた」 
 ごめん。 
 薫は真っ直ぐオレを見て、真剣に謝ってきた。 
「薫、そんな・・・」 
 オレに頭を下げる薫を初めてみて、オレは狼狽える。 
 薫はそんなオレを見て、少し微笑んだ。 
 そして少しだけ躊躇って、オレを引き寄せた。 
 頬が、胸が、お腹が薫に触れる。 
 背中に廻された手が優しくオレを抱きしめる。 
「好きが止まらなくて、暴走する気持ちを止めることができなかった。優が欲しくて肉欲のまま引き裂きそうだったんだ。真実を知って俺は避けることしかできなかった」 
 薫の手も胸もすべて温かい。 
 オレを見る瞳の色も蜜色で、囁く声は深みのあるバリトンだ。 
 微笑んだ月光からは、蜜色の細雨が降り注ぎ、オレと薫を包み込んでくれる。 
「優の言うとおり、逃げたのは俺自身だ。迷っていたとはいえ、立ち向うことを避けていた。その結果、優を追いつめて、傷つけた。いっぱい後悔したよ」 
「薫・・・」 
「どのみち傷つけるなら、一緒に棘の道を歩けばよかったって」 
 とても真剣なまなざしで見つめられた。 
「もう一度、優の隣にいさせてくれる?」 
「薫・・・」 
「ずっと抱きしめていたいんだ」 
 ドクンと胸が跳ね上がる。 
 薫の触れている場所から、薫の愛が湧き出して、オレの中に吸い込まれていくみたいだった。 
 薫に対しての疑心が消えていく。 
「薫、好き」 
 抱きしめていたいのはオレの方だ。 
 薫がいないとオレは干からびてしまう。 
 オレは薫のことを、いっぱい抱きしめた。 
 頬も胸もお腹も、隙間がなくなるくらい、しっかりと密着して薫を感じた。 
 薫の腕がオレをしっかり抱き込む。 
 ずっと抱きしめあっていたいのに、薫は少しだけ腕の力を抜いて、オレの額にコツンと額をあてた。 
「優・・・」 
「ん?」 
「仲直りだよね」 
 愁いを帯びた眼差しで確認され、オレは最高の笑みで薫に答えた。 
「うん」 
 ほっとしたように微笑んだ薫は、そのままオレにキスをくれた。 
 照れくさくなるほど、優しいキスを。 
 

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