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四章『死別という病』編
第二十話「第一医療棟」-6
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そして、もう二度と振り返ろうともせずに、そのまま、彼は続ける。
「お坊ちゃま、私の言葉など届かぬやもしれませんが、それでも言っておきます。カンバールの次の一手は、恐らく、あなたが思われるよりもさらに深い位置に差される」
「……なんだと? お前、何を知ってるんだ……?」
「知りません、少なくとも、今の彼が考えていることは。しかし、昔の彼のことならよく知っております」
昔の彼。
それを聞いた僕の脳裏に、懐かしい記憶が蘇る。
初めて、リトラが門下生としてスペクター家を訪れた日のこと。
柔らかく、そしてどこか悲しそうに笑う彼は、町外れの教会に住む、心優しくもどこか力強い、そんな青年で――。
「あなたがまだ、彼のことを『リトラ』と呼ぶのを止められないように。私もまた、いつかの後悔に囚われているのかもしれませんな」
「……っ!」僕は、図星を突かれた痛みから逃げるように。「わかってるなら、話せよ! いつだってそうだ、親父もお前も、回りくどくて……!」
詰め寄ろうとした僕を、エイヴァが制する。ポケットに突っ込まれた手は、未だに引き抜かれていない。
「少年、感情に任せて優先順位を見誤るな。今、君がやることは、このご老体を力尽くで屈服させることかい?」
「……うるさい。わかってるよ」
僕が飲み込んだのを確認してから、エイヴァはくるりと背後を振り返る。そして、背を向けたダグラスに呼びかける。
「すまないね、ダグラス。尋ねた理由は、この血気盛んな少年をけしかけるためじゃなかったんだ」
「……ほう、して、何かあったので?」
「ああ、私は今からしばらく、この第一医療棟を留守にする。その間の守りを頼みたい」
「いいのですかな、私に任せてしまって。お坊ちゃまの言う通り、私は主君を守りきれなかった、出来損ないの死霊術師ですぞ」
声に混じった皮肉は、誰に向けたものだったのだろうか。
もう、それを相手にするつもりも、その余裕も僕にはなかった。頭の中がぐちゃぐちゃで、腹の中が滅茶苦茶だ。煮えくり返った腸をどうにか落ち着かせるだけで、精一杯だった。
「私は構わない。ここまでの働きで、あなたのことは信用しているしね。それでも、少年、君が彼を信じられないというのなら――」
「――私も、ここに残ればいいってことでしょ」
僕の、さらに後方。部屋の入り口から聞こえてきた不服そうな声に、僕は驚きを隠せなかった。
見れば、丁度リタが霊安室の扉を開け、中に入ってこようとするところだった。脇腹の傷を押さえながら歩く、彼女の足取りは未だに怪しく、シーナが肩を貸している。
「……リタ、お前」
「何よ、豆鉄砲食らったような顔して。私も気付いたの、今の自分が、万全にはほど遠い状態だってことに」
彼女は見たこともないくらいにしおらしい様子で、そう答えた。
あの、凛々しくて苛烈な最強の姿は、そこにはない。ただ弱々しく、己の身の丈を測ろうとする、少女が一人いるだけだ。
エイヴァはそんな彼女を見下ろしながら腕を組んだ。
「……ふむ、君は最初から、ここに残ってもらうつもりだったがね。しかし、その傷ではダグラスの助けになることは難しかろう」
「ええ、だから、あなたを追いかけてきたの。あなたなら、どうにかできるんじゃないかと思ってね」
「どうもこうもない、君は安静にしているべき患者だ。私の所見はそれで完結して――」
と、そこでリタは、勢いよく手を突き出した。
その指先には、医療術師のバッジが握られている。
「私も医療術師よ、あなたと同じ一級のね」
ニヤリと、不敵な笑みを浮かべたリタは、脇腹を押さえている手を少しだけ浮かせた。
そこには、淡い桃色の光が漂っているのが見える――傷を塞ぐための、医療魔術の光だ。
「私はこれから、自分の傷に絶えず治療魔術をかけ続けるわ。そうすれば、夜明けまでには、ここを守れる程度には戦えるようになるはずよ」
「……それでも、痛みは残るだろう」
「だから、あなたに頼むの。痛みを麻痺させる、なんて、聞くからに毒使いの得意分野じゃない」
堂々と言い放つリタに、エイヴァは初めて感心したような表情を見せた。それから、僅かなシンキングタイムを挟んで、諦めたように首を振る。
「言っても聞かぬようだね、なら、よかろう。ただし、君が戦うのはこの医療棟に危機が迫ったときだけ。それでも構わないかい?」
「ええ、構わないわ。代わりに、ジェイのことは頼んだわよ」
こくりと頷くエイヴァから視線を逸らして、リタは僕に近付いてくる。
しかし、そこで違和感を覚える。彼女の距離が少しだけ、遠い気がした。それがどうしてなのかは分からなかったが、手の届く距離にいるはずの彼女が、何故か、とても。
「……あんたも、気を付けなさい。ここから先、私は守ってやれないんだから」
そう、口にするリタは、どこかよそよそしくて。
「なあ、リタ……」
「言っとくけど!」
遮るように、彼女は声を荒げる。
「あんたの意思で単独行動するんだから、私の仕事の範疇からは外れてるからね。責任は取れないから、そのつもりでいること」
「あ、ああ、そうだな……」
僕は彼女の言葉を聞きながら、それがなんだか、別の意味を持っているかのような感覚を覚えてしまっていた。
別離の意味を。
持っているかどうかなんて、聞き返せるわけもなく。
「よし、ならば各員、夜明けまでに出発の準備を整えたまえ。六時間後、日が昇ると同時に、動き始めるぞ……!」
エイヴァの号令も、どこか遠く。
僕は、ただ、わかるはずもない言葉の意味を考え続けていた。
「お坊ちゃま、私の言葉など届かぬやもしれませんが、それでも言っておきます。カンバールの次の一手は、恐らく、あなたが思われるよりもさらに深い位置に差される」
「……なんだと? お前、何を知ってるんだ……?」
「知りません、少なくとも、今の彼が考えていることは。しかし、昔の彼のことならよく知っております」
昔の彼。
それを聞いた僕の脳裏に、懐かしい記憶が蘇る。
初めて、リトラが門下生としてスペクター家を訪れた日のこと。
柔らかく、そしてどこか悲しそうに笑う彼は、町外れの教会に住む、心優しくもどこか力強い、そんな青年で――。
「あなたがまだ、彼のことを『リトラ』と呼ぶのを止められないように。私もまた、いつかの後悔に囚われているのかもしれませんな」
「……っ!」僕は、図星を突かれた痛みから逃げるように。「わかってるなら、話せよ! いつだってそうだ、親父もお前も、回りくどくて……!」
詰め寄ろうとした僕を、エイヴァが制する。ポケットに突っ込まれた手は、未だに引き抜かれていない。
「少年、感情に任せて優先順位を見誤るな。今、君がやることは、このご老体を力尽くで屈服させることかい?」
「……うるさい。わかってるよ」
僕が飲み込んだのを確認してから、エイヴァはくるりと背後を振り返る。そして、背を向けたダグラスに呼びかける。
「すまないね、ダグラス。尋ねた理由は、この血気盛んな少年をけしかけるためじゃなかったんだ」
「……ほう、して、何かあったので?」
「ああ、私は今からしばらく、この第一医療棟を留守にする。その間の守りを頼みたい」
「いいのですかな、私に任せてしまって。お坊ちゃまの言う通り、私は主君を守りきれなかった、出来損ないの死霊術師ですぞ」
声に混じった皮肉は、誰に向けたものだったのだろうか。
もう、それを相手にするつもりも、その余裕も僕にはなかった。頭の中がぐちゃぐちゃで、腹の中が滅茶苦茶だ。煮えくり返った腸をどうにか落ち着かせるだけで、精一杯だった。
「私は構わない。ここまでの働きで、あなたのことは信用しているしね。それでも、少年、君が彼を信じられないというのなら――」
「――私も、ここに残ればいいってことでしょ」
僕の、さらに後方。部屋の入り口から聞こえてきた不服そうな声に、僕は驚きを隠せなかった。
見れば、丁度リタが霊安室の扉を開け、中に入ってこようとするところだった。脇腹の傷を押さえながら歩く、彼女の足取りは未だに怪しく、シーナが肩を貸している。
「……リタ、お前」
「何よ、豆鉄砲食らったような顔して。私も気付いたの、今の自分が、万全にはほど遠い状態だってことに」
彼女は見たこともないくらいにしおらしい様子で、そう答えた。
あの、凛々しくて苛烈な最強の姿は、そこにはない。ただ弱々しく、己の身の丈を測ろうとする、少女が一人いるだけだ。
エイヴァはそんな彼女を見下ろしながら腕を組んだ。
「……ふむ、君は最初から、ここに残ってもらうつもりだったがね。しかし、その傷ではダグラスの助けになることは難しかろう」
「ええ、だから、あなたを追いかけてきたの。あなたなら、どうにかできるんじゃないかと思ってね」
「どうもこうもない、君は安静にしているべき患者だ。私の所見はそれで完結して――」
と、そこでリタは、勢いよく手を突き出した。
その指先には、医療術師のバッジが握られている。
「私も医療術師よ、あなたと同じ一級のね」
ニヤリと、不敵な笑みを浮かべたリタは、脇腹を押さえている手を少しだけ浮かせた。
そこには、淡い桃色の光が漂っているのが見える――傷を塞ぐための、医療魔術の光だ。
「私はこれから、自分の傷に絶えず治療魔術をかけ続けるわ。そうすれば、夜明けまでには、ここを守れる程度には戦えるようになるはずよ」
「……それでも、痛みは残るだろう」
「だから、あなたに頼むの。痛みを麻痺させる、なんて、聞くからに毒使いの得意分野じゃない」
堂々と言い放つリタに、エイヴァは初めて感心したような表情を見せた。それから、僅かなシンキングタイムを挟んで、諦めたように首を振る。
「言っても聞かぬようだね、なら、よかろう。ただし、君が戦うのはこの医療棟に危機が迫ったときだけ。それでも構わないかい?」
「ええ、構わないわ。代わりに、ジェイのことは頼んだわよ」
こくりと頷くエイヴァから視線を逸らして、リタは僕に近付いてくる。
しかし、そこで違和感を覚える。彼女の距離が少しだけ、遠い気がした。それがどうしてなのかは分からなかったが、手の届く距離にいるはずの彼女が、何故か、とても。
「……あんたも、気を付けなさい。ここから先、私は守ってやれないんだから」
そう、口にするリタは、どこかよそよそしくて。
「なあ、リタ……」
「言っとくけど!」
遮るように、彼女は声を荒げる。
「あんたの意思で単独行動するんだから、私の仕事の範疇からは外れてるからね。責任は取れないから、そのつもりでいること」
「あ、ああ、そうだな……」
僕は彼女の言葉を聞きながら、それがなんだか、別の意味を持っているかのような感覚を覚えてしまっていた。
別離の意味を。
持っているかどうかなんて、聞き返せるわけもなく。
「よし、ならば各員、夜明けまでに出発の準備を整えたまえ。六時間後、日が昇ると同時に、動き始めるぞ……!」
エイヴァの号令も、どこか遠く。
僕は、ただ、わかるはずもない言葉の意味を考え続けていた。
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