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四章『死別という病』編
第二十話「第一医療棟」-8
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僕はその言葉を、聞き流すことができなかった。
「……何が主だ、お前の主はもう、いないだろうが」
恨みのこもった僕の言葉を受けても、もう、彼は眉を寄せるようなことはしなかった。
ただ、淡々と。ある意味ではいつも通りの彼のテンポを崩さずに、そのまま続ける。
「ええ、しかし、まだスペクター家には坊ちゃまがいらっしゃる」
「ふざけるなよ、僕は、お前の主じゃない」
「私ほど年季の入った執事ともなれば、仕える相手は自分で選ばせていただきます、ご迷惑とは存じておりますとも」
これ以上は無駄だ、と僕はそこで話を切ることにした。
いつだってこいつはそうだった、僕のことなど子供扱いで、口で勝てた試しがない。それはどうやら、ここまで来ても変わらないようだった。
「……仲が良いようで何よりだけど」リタが、ジトッとした目で僕らを見つめる。「私は彼……ダグラス氏とここを守ればいいのよね? あなたたちが帰ってくるまで」
「ああ、その予定だ。私たちは施設奪回後、シーナを【壁の街】に向かわせてまた戻って来る。そうしたら、助けが来るまで全員で籠城の続きというところだな」
籠城の継続。
それが僕たちが取り得る行動の中で、最も成功率が高い作戦だ。リタが全力で戦えない今、リトラたちを討ちに向かっても、返り討ちに遭う公算が高い。
であれば、近隣の街から衛兵が応援に来るのを待つべきだと考えたのだ。街一つを占拠するなどという大がかりなことをしでかしたのだ、援軍の規模も、決して小さくはないだろうと期待できる。
「……というか、患者たちだけでも先に逃さなくていいのか? ほら、地下道を使えば、駅のすぐ側までは行けるわけだし」
前に、シーナも言っていた。あの道を使って患者たちを避難させる計画があったと。
籠城を続けるのであれば、そちらの手は使わないのだろうか?
そう、疑問を抱いた僕に、エイヴァは首を傾げた。
「ふむ、それは無いな。衛生的にも、避難が必要なほど切迫している患者を逃がせるような道ではないし、そもそも、この医療棟を離れては治療ができない者も多い。加えて、今は恐らくあの道も、屍者に埋め尽くされているだろう」
「……そうか、そうだよな」
僕は少しだけ違和感を覚えながらも、それ以上の追及はしなかった。
ひとまず、ブリーフィングで確認しておきたいのはそこまでだ。後は出たとこ勝負、やれることをやるしかない。
「……ねえ、ジェイ」
不意に、リタが声をかけてくる。
やはり、普段とは違う、どこか弱々しい声色だ。芯の通った目の光は、今や見る影もなく揺らいでしまっている。
その様子に、僕は少しだけ、心拍数が上がるのを自覚した。
「何だよ、改まって。まさか、お前ともあろう奴が、戦いの前に緊張してるのか?」
茶化すように言った僕だったが、彼女はいつものように突っかかってはこなかった。
ただ、僕の方をじっと見つめている。もはや何も見透かすことのない、大きな瞳で。
「あの……あの、ね。私、今回の件が片付いたら、あなたに話さなきゃいけないことがあるの」
「……話さなきゃいけないこと?」
何だろうか。話さなきゃいけないも何も、ついこの間【壁の街】で、お互いのことについてはある程度決着をつけたつもりだ。
そうでなければ、怪我が理由でこれ以上護衛を続けられない……とか、そういった話だろうか。
後者であれば、正直、僕にとってはかなり困ったことになる。まだ、陸の月も半分とは言わないまでも、下旬が丸々残っているのだ。
いくら金を積んでも、彼女ほど信用のおける護衛は見つからないだろう、だから……。
「……ねえ、聞いてるの?」
リタの声に、僕はハッとした。どうやら、考え込んでしまっていたようだ。
「あ、ああ。聞いてるさ、話したいことな。まあ、色々終わって落ち着いたら、聞かせてくれよ」
僕は適当に誤魔化して、彼女に背を向けることにした。ただでさえ懸案事項が多いのだ、これ以上増やすのは、あまり賢くないだろう。面倒事を先送りにするのは、僕の得意分野だ。
その回答がお気に召さなかったのか、リタは頬を膨らめていたが、爆弾処理はここを切り抜けてからゆっくりすることにしよう。【イットウ】に戻れたら、朝食のパンを半切れずつ分けてやれば、きっと機嫌も直ることだろう。
そんな、的外れな楽観を、抱きながら。
「……さて、そろそろ日が昇るな。少年、シーナ。打って出るぞ」
「ああ、霊視は任せてくれ。代わりに、道中の露払いは頼んだぜ――」
僕は、エイヴァと共にバリケードの方に歩いていく。その後ろを、シーナがちょこちょことついてくるのが見えていた。
その、さらに後ろで、縋るようにして見つめてくる視線に、気が付くことはないまま、僕たちは第一医療棟を出発した――。
――これが、第一医療棟が陥落する、丁度二時間前の出来事だった。
「……何が主だ、お前の主はもう、いないだろうが」
恨みのこもった僕の言葉を受けても、もう、彼は眉を寄せるようなことはしなかった。
ただ、淡々と。ある意味ではいつも通りの彼のテンポを崩さずに、そのまま続ける。
「ええ、しかし、まだスペクター家には坊ちゃまがいらっしゃる」
「ふざけるなよ、僕は、お前の主じゃない」
「私ほど年季の入った執事ともなれば、仕える相手は自分で選ばせていただきます、ご迷惑とは存じておりますとも」
これ以上は無駄だ、と僕はそこで話を切ることにした。
いつだってこいつはそうだった、僕のことなど子供扱いで、口で勝てた試しがない。それはどうやら、ここまで来ても変わらないようだった。
「……仲が良いようで何よりだけど」リタが、ジトッとした目で僕らを見つめる。「私は彼……ダグラス氏とここを守ればいいのよね? あなたたちが帰ってくるまで」
「ああ、その予定だ。私たちは施設奪回後、シーナを【壁の街】に向かわせてまた戻って来る。そうしたら、助けが来るまで全員で籠城の続きというところだな」
籠城の継続。
それが僕たちが取り得る行動の中で、最も成功率が高い作戦だ。リタが全力で戦えない今、リトラたちを討ちに向かっても、返り討ちに遭う公算が高い。
であれば、近隣の街から衛兵が応援に来るのを待つべきだと考えたのだ。街一つを占拠するなどという大がかりなことをしでかしたのだ、援軍の規模も、決して小さくはないだろうと期待できる。
「……というか、患者たちだけでも先に逃さなくていいのか? ほら、地下道を使えば、駅のすぐ側までは行けるわけだし」
前に、シーナも言っていた。あの道を使って患者たちを避難させる計画があったと。
籠城を続けるのであれば、そちらの手は使わないのだろうか?
そう、疑問を抱いた僕に、エイヴァは首を傾げた。
「ふむ、それは無いな。衛生的にも、避難が必要なほど切迫している患者を逃がせるような道ではないし、そもそも、この医療棟を離れては治療ができない者も多い。加えて、今は恐らくあの道も、屍者に埋め尽くされているだろう」
「……そうか、そうだよな」
僕は少しだけ違和感を覚えながらも、それ以上の追及はしなかった。
ひとまず、ブリーフィングで確認しておきたいのはそこまでだ。後は出たとこ勝負、やれることをやるしかない。
「……ねえ、ジェイ」
不意に、リタが声をかけてくる。
やはり、普段とは違う、どこか弱々しい声色だ。芯の通った目の光は、今や見る影もなく揺らいでしまっている。
その様子に、僕は少しだけ、心拍数が上がるのを自覚した。
「何だよ、改まって。まさか、お前ともあろう奴が、戦いの前に緊張してるのか?」
茶化すように言った僕だったが、彼女はいつものように突っかかってはこなかった。
ただ、僕の方をじっと見つめている。もはや何も見透かすことのない、大きな瞳で。
「あの……あの、ね。私、今回の件が片付いたら、あなたに話さなきゃいけないことがあるの」
「……話さなきゃいけないこと?」
何だろうか。話さなきゃいけないも何も、ついこの間【壁の街】で、お互いのことについてはある程度決着をつけたつもりだ。
そうでなければ、怪我が理由でこれ以上護衛を続けられない……とか、そういった話だろうか。
後者であれば、正直、僕にとってはかなり困ったことになる。まだ、陸の月も半分とは言わないまでも、下旬が丸々残っているのだ。
いくら金を積んでも、彼女ほど信用のおける護衛は見つからないだろう、だから……。
「……ねえ、聞いてるの?」
リタの声に、僕はハッとした。どうやら、考え込んでしまっていたようだ。
「あ、ああ。聞いてるさ、話したいことな。まあ、色々終わって落ち着いたら、聞かせてくれよ」
僕は適当に誤魔化して、彼女に背を向けることにした。ただでさえ懸案事項が多いのだ、これ以上増やすのは、あまり賢くないだろう。面倒事を先送りにするのは、僕の得意分野だ。
その回答がお気に召さなかったのか、リタは頬を膨らめていたが、爆弾処理はここを切り抜けてからゆっくりすることにしよう。【イットウ】に戻れたら、朝食のパンを半切れずつ分けてやれば、きっと機嫌も直ることだろう。
そんな、的外れな楽観を、抱きながら。
「……さて、そろそろ日が昇るな。少年、シーナ。打って出るぞ」
「ああ、霊視は任せてくれ。代わりに、道中の露払いは頼んだぜ――」
僕は、エイヴァと共にバリケードの方に歩いていく。その後ろを、シーナがちょこちょことついてくるのが見えていた。
その、さらに後ろで、縋るようにして見つめてくる視線に、気が付くことはないまま、僕たちは第一医療棟を出発した――。
――これが、第一医療棟が陥落する、丁度二時間前の出来事だった。
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