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四章『死別という病』編
第二十五話「死、愛、紅蓮の炎」-6
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行き止まり。
あの、燃え盛る屋敷から続いていた、ロスタイムの終わりが、ようやくやってきたのだ。
「それでは、お前も消してやろう。愛を受けて育った、愚鈍なる王子よ」
そんな、気取った台詞とともに、爪が振り下ろされる。そのままの軌道でいけば、僕の鎖骨の間を、滑らかに切り裂くだろう。
もう、感慨もなかった。絶望が、僕の頭からノイズを消していく。
散々、魂を操ってきた僕だが、果たしてその行先に、天国なんてものはあるんだろうかと、そんなことを、どこか能天気に考えていて――。
「……なんだ、これ?」
不意に頬を撫でた、凄まじい熱に気が付く。
その異常に気が付いたのは、僕だけではなかった。エリゴールも手を止め、その熱が迫ってきている方向に視線を向ける。
熱源は、見るまでもなく、たった一つの議論すらも持たずして、そこに佇んでいた。
――紅蓮の炎を纏った、リタがそこに立っていた。
まるで、そう。それは炎の外套か、そうでなければ眉のようにも見えた。僅かに炎の隙間から覗く赤い髪が見えなければ、炎の化身と見紛うてしまったかもしれない。
それほどまでに凄まじい、轟炎の塊。何もかもを焼き尽くしてしまうのではないかと思えるほどの熱量を持って、リタはそこにいた。
「……っ、おい、おい、おい。確実に殺ったはずだぜ。なんでまだ、立ち上がって――」
エリゴールの軽口は、そこで止まる。
そして、彼の顔はみるみる引き攣っていく。歩くだけで何もかもを溶かし、燃やしていくリタの炎は、太陽でも纏っているかのようだ。
彼も理解したのだろう。
そこに現れたそいつが、人知を超えた存在なのだと。
「――有翼人の爪ッ!」
エリゴールの爪が加速する。しかし、それがリタに届くことはない。
炎に振れた時点で爪の先がドロリと溶け落ちる。蝋か何かでできているのではないかと思うほどに、呆気なく。
しかも、それだけではない。炎が、登っていく。彼の腕を凄まじい速度で、その肩のあたりまで、灼熱の炎が駆け上がっていこうとしている。
ここに来て、初めてエリゴールの表情が明確に曇った。彼は切羽詰まった様子で飛び退きながら、絶叫する。
「ぐっ……離脱っ!」
その声と同時に、彼の腕を覆っていた竜の鱗が、まるで花弁のように、その場に脱落した。
しかし、それでも炎は消えない。完全に燃え尽き、文字通り消し炭になるまで、その火勢が収まることはなかった。
「焼き尽くした……竜の鱗を!?」
僕は驚きを隠せなかった。竜鱗は、同じ竜の炎でなければ燃やし尽くすことなどできないはずだ。
なら、今の彼女が発する熱は、竜の息吹と同等――或いは、それ以上だと言うのだろうか?
「――紅蓮の、天使か」
エリゴールがボソリと呟く。もはやその表情に余裕はない。彼は、リタから目を離さぬように後退すると、数少ない、朝日の差し込む硝子窓を叩き割った。
その縁に足をかけながら、彼は心底悔しそうに声を張る。
「貴様の命、しばらく預けておこうか、ジェイ・スペクターよ。俺もお前を、【大陵墓】にて待つ。そこでなら、お前の愛が見られると信じているよ」
そう残して、彼は窓枠から飛び去っていった。
後を追いかけようと、窓に駆け寄るが、既に彼の姿はなかった。賢馬者の脚を持つ彼に追いつくことは、現実的ではないのだろう。
ひとまず、脅威は去った――が、まだ、懸案は残っている。
「……リタ」僕はゆっくりと、彼女の方に視線を向ける。
炎の塊と化してしまった彼女の表情は、ここからでは伺えない。何を考えているのか、何を思っているのか、何一つとしてわからない。
いや、今までに一度だって、それがわかったことがあっただろうか? まともに顔が見えたって、僕はリタの心に寄り添うことなど、一度も出来ていなかった。
じりじりと、互いの距離が詰まる。あの炎が触れれば、僕もタダではすまないだろう。竜の鱗すら焼き尽くす炎だ。そんなもの。
「……リタっ!」
それでも、呼びかけを続ける。
彼女なら、戻ってこられるはずだ。僕の知っている彼女へ、僕を守ってくれる、彼女へと。
足を止めた炎の化身は、しばらくの間、そこで立ち尽くしているようだった。
迷うようにして揺れた彼女の炎は、天井までを焦がしつつ、値踏みするように振れる、振れる。
そして、数心拍の間を置いてから――彼女はその場に、倒れ伏した。
僕は慌てて駆け寄る。倒れると同時に炎は消え、後に残されていたのは、荒く呼吸を繰り返す、いつも通りのリタだった。
「おい、お前、しっかりしろよ、なあ!」
僕は繰り返し呼びかける。返事はない。ダグラスとは違い、微かに上下する胸から、辛うじて生きているのだろうということは――。
「――は?」
そこまで考えたところで、僕は気が付く。
リタの胸の傷が、消えていた。
間違いなく致命傷だったはずだ。それこそ、ダグラスと同じ。なのに彼女の皮膚には、そして骨にも傷一つない。
一体、何が起きているのだ。頭が追いついてこない。ダグラスは死に、リタは炎を纏い、そして傷が消えて――ああ。あまりの情報量に、脳味噌が軋むような感覚があった。
「なんだよこれ、なんなんだよ……」
頭を抱えて、思わずその場に蹲る。もう、一杯一杯だった。誰からも答えが返ってこないことがわかっていても、そう、口にしなければやっていられないくらいに。
――そこにもう一つだけ、予想外が重なる。
「――あれが、本当のリタだよ。ジェイ」
不意に、頭上から聞き覚えのある声が降ってくる。
いや、しかし、その声がここで聞こえるはずはないのだ。なのに、僕がそれを聞き間違えるはずもない。
僕は勢いよく顔を上げる。一秒一刻でも早く確かめたかった。
驚愕と絶望に塗れた、半透明の視線の先に立っていたのは――。
――食事処【イットウ】店主、オレリアだった。
あの、燃え盛る屋敷から続いていた、ロスタイムの終わりが、ようやくやってきたのだ。
「それでは、お前も消してやろう。愛を受けて育った、愚鈍なる王子よ」
そんな、気取った台詞とともに、爪が振り下ろされる。そのままの軌道でいけば、僕の鎖骨の間を、滑らかに切り裂くだろう。
もう、感慨もなかった。絶望が、僕の頭からノイズを消していく。
散々、魂を操ってきた僕だが、果たしてその行先に、天国なんてものはあるんだろうかと、そんなことを、どこか能天気に考えていて――。
「……なんだ、これ?」
不意に頬を撫でた、凄まじい熱に気が付く。
その異常に気が付いたのは、僕だけではなかった。エリゴールも手を止め、その熱が迫ってきている方向に視線を向ける。
熱源は、見るまでもなく、たった一つの議論すらも持たずして、そこに佇んでいた。
――紅蓮の炎を纏った、リタがそこに立っていた。
まるで、そう。それは炎の外套か、そうでなければ眉のようにも見えた。僅かに炎の隙間から覗く赤い髪が見えなければ、炎の化身と見紛うてしまったかもしれない。
それほどまでに凄まじい、轟炎の塊。何もかもを焼き尽くしてしまうのではないかと思えるほどの熱量を持って、リタはそこにいた。
「……っ、おい、おい、おい。確実に殺ったはずだぜ。なんでまだ、立ち上がって――」
エリゴールの軽口は、そこで止まる。
そして、彼の顔はみるみる引き攣っていく。歩くだけで何もかもを溶かし、燃やしていくリタの炎は、太陽でも纏っているかのようだ。
彼も理解したのだろう。
そこに現れたそいつが、人知を超えた存在なのだと。
「――有翼人の爪ッ!」
エリゴールの爪が加速する。しかし、それがリタに届くことはない。
炎に振れた時点で爪の先がドロリと溶け落ちる。蝋か何かでできているのではないかと思うほどに、呆気なく。
しかも、それだけではない。炎が、登っていく。彼の腕を凄まじい速度で、その肩のあたりまで、灼熱の炎が駆け上がっていこうとしている。
ここに来て、初めてエリゴールの表情が明確に曇った。彼は切羽詰まった様子で飛び退きながら、絶叫する。
「ぐっ……離脱っ!」
その声と同時に、彼の腕を覆っていた竜の鱗が、まるで花弁のように、その場に脱落した。
しかし、それでも炎は消えない。完全に燃え尽き、文字通り消し炭になるまで、その火勢が収まることはなかった。
「焼き尽くした……竜の鱗を!?」
僕は驚きを隠せなかった。竜鱗は、同じ竜の炎でなければ燃やし尽くすことなどできないはずだ。
なら、今の彼女が発する熱は、竜の息吹と同等――或いは、それ以上だと言うのだろうか?
「――紅蓮の、天使か」
エリゴールがボソリと呟く。もはやその表情に余裕はない。彼は、リタから目を離さぬように後退すると、数少ない、朝日の差し込む硝子窓を叩き割った。
その縁に足をかけながら、彼は心底悔しそうに声を張る。
「貴様の命、しばらく預けておこうか、ジェイ・スペクターよ。俺もお前を、【大陵墓】にて待つ。そこでなら、お前の愛が見られると信じているよ」
そう残して、彼は窓枠から飛び去っていった。
後を追いかけようと、窓に駆け寄るが、既に彼の姿はなかった。賢馬者の脚を持つ彼に追いつくことは、現実的ではないのだろう。
ひとまず、脅威は去った――が、まだ、懸案は残っている。
「……リタ」僕はゆっくりと、彼女の方に視線を向ける。
炎の塊と化してしまった彼女の表情は、ここからでは伺えない。何を考えているのか、何を思っているのか、何一つとしてわからない。
いや、今までに一度だって、それがわかったことがあっただろうか? まともに顔が見えたって、僕はリタの心に寄り添うことなど、一度も出来ていなかった。
じりじりと、互いの距離が詰まる。あの炎が触れれば、僕もタダではすまないだろう。竜の鱗すら焼き尽くす炎だ。そんなもの。
「……リタっ!」
それでも、呼びかけを続ける。
彼女なら、戻ってこられるはずだ。僕の知っている彼女へ、僕を守ってくれる、彼女へと。
足を止めた炎の化身は、しばらくの間、そこで立ち尽くしているようだった。
迷うようにして揺れた彼女の炎は、天井までを焦がしつつ、値踏みするように振れる、振れる。
そして、数心拍の間を置いてから――彼女はその場に、倒れ伏した。
僕は慌てて駆け寄る。倒れると同時に炎は消え、後に残されていたのは、荒く呼吸を繰り返す、いつも通りのリタだった。
「おい、お前、しっかりしろよ、なあ!」
僕は繰り返し呼びかける。返事はない。ダグラスとは違い、微かに上下する胸から、辛うじて生きているのだろうということは――。
「――は?」
そこまで考えたところで、僕は気が付く。
リタの胸の傷が、消えていた。
間違いなく致命傷だったはずだ。それこそ、ダグラスと同じ。なのに彼女の皮膚には、そして骨にも傷一つない。
一体、何が起きているのだ。頭が追いついてこない。ダグラスは死に、リタは炎を纏い、そして傷が消えて――ああ。あまりの情報量に、脳味噌が軋むような感覚があった。
「なんだよこれ、なんなんだよ……」
頭を抱えて、思わずその場に蹲る。もう、一杯一杯だった。誰からも答えが返ってこないことがわかっていても、そう、口にしなければやっていられないくらいに。
――そこにもう一つだけ、予想外が重なる。
「――あれが、本当のリタだよ。ジェイ」
不意に、頭上から聞き覚えのある声が降ってくる。
いや、しかし、その声がここで聞こえるはずはないのだ。なのに、僕がそれを聞き間違えるはずもない。
僕は勢いよく顔を上げる。一秒一刻でも早く確かめたかった。
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