初恋の終わり ~夢を叶えた彼と、居場所のない私~

あんこ

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リシュリー④

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 イースと結婚して、数ヶ月が経った。

 この頃、イースの帰りが遅い。日付を跨ぐこともしょっちゅうだ。
 イースは最近、騎士団での階級が一つ上がったらしい。かなり早い昇進で、最近後輩も出来たとかで嬉しそうだ。

 イースは自分のことは気にせず先に寝ていい、って言うけど、そうすると私がイースと顔を合わせるのは早朝のほんの短い時間だけになってしまう。
 それは嫌だから、眠いのを我慢して起きているけれど、身体が辛くて昼寝してしまう日もある。イースは私と違い、昼寝も無しに体力仕事をこなした後、同僚や先輩と交流を図る元気まであるのだから、感心してしまう。
 
 イースが充実すればする程、私との時間は減っていく。


 イースのいない昼間、洗濯も掃除も終え、一人でご飯を食べる。
 最近の私は漸く家事に慣れてきて、手が空く時間が増えてきた。
 どんくさくて不器用な私でも、少しは成長してる、って思えてちょっと嬉しい。

 従兄弟が騎士をやっているという近所のおばさまによると、騎士には『背守り』といって、騎士の恋人や妻が騎士服の下に着る肌着や上に羽織るマントの裏側に刺繍を入れる風習があるらしい。安全祈願のお守りなんだって。
 私達の住んでいた村には騎士なんていなかったから、そんな風習知らなかった。

 イースからは何も言われていないけど、折角だから私もイースにしてあげたい。
 イースの瞳の緑色と、私の瞳の菫色の二色で刺繍するのはどうかな。

 村の年頃の男の子の中で一番格好良かったイースと違い、私の容姿は至って平凡。可もなく不可もなくって見た目の私はイースと並ぶと釣り合っていない、って面と向かって言われたこともあるし、自分でもそれは分かっているから落ち込んだりするけれど、この珍しい瞳の色だけは密かな自慢なんだ。イースが綺麗な瞳の色だね、って言ってくれたから。


 ちくちく、ちくちく。こっそり買ってきた刺繍糸を、新品の肌着に刺していく。
 折角だから、イースには出来上がるまで秘密にしたい。

 背守りの柄は思いが籠もっていれば何でもいいらしい。
 何を縫っていいか思いつかなかったので、私はおばさまに聞いた、定番の柄だという仙桃という果実とその花の周りを蔦がぐるっと囲っている図案にした。
 戦神様の好物だから、それを縫い付けて置くと戦神様の守護を受けられると言われてるんだって。

 果実と花を菫色、蔦を緑色の糸で刺繍する。図案は意外と複雑で、意外と苦労した。生活のために必要な裁縫や、布を補強する目的の刺繍はやったことがあったけど、純粋な装飾の刺繍はやったことが無かったのだ。

 背守りをしたい、と伝えてお店の人に勧められて買った絹の糸は、光を当てるとつやつや光ってとてもキレイだ。こんな上質な糸、田舎じゃそう簡単に手に入らない。
 こんな糸を表からは見えない背守りに使うなんて、都会ってすごい。

 イースへのプレゼントにイースが稼いだお金を使うのは違うかな、って思って、糸の代金は村にいた時に貯めていた自分のお小遣いから払った。喜んでくれるといいな。

 縫い始めの頃はイースにバレないかヒヤヒヤしたけど、そんな心配は必要無いってすぐに分かってしまった。
 イースの帰りは相変わらず遅く、休みの日も二回に一回は用事や急な仕事で一緒に過ごせなくなっていたから。

 騎士って、そんなに忙しいのかな。
 買い物帰り、近所のおばさまに会って思わずこぼしたら、騎士をやっていると何日も休みが取れなかったり、頻繁に家を空けるのは普通のことだ、と言われた。

「寂しいのは新婚の内だけで、その内有り難く思い始めるわよ。“亭主元気です留守がいい”ってね」

 そうおばさまは笑ったけど、そういうおばさまの夫の職業は大工の棟梁で、毎日夕方には家に帰って来ているのを私は知っている。おばさまの従兄弟が騎士をやっているだけだ。
 
 おばさまの言うように思う日が、本当に来るんだろうか。
 

 また、おばさまの友人だという別のおばさまには、

「騎士様と結婚したらその辺は覚悟しなくちゃいけないところよね。仕事外の誘惑も多いみたいだし、家に帰らないなんてザラだから」
「誘惑、……ですか?」
「ホラ、血気盛んな人が多いから。女の人のいる店に行ったり、付き合いで娼館に行くのもよくあるみたいよ。後は他に女囲ったり。現地妻、っていうの? 遠征先ごとに浮気相手作る男もいるらしいわ。ほら、元々が不規則な仕事だから浮気してもバレにくいのよねぇ。あなたも注意した方がいいわよ」

 なんて言われて、頭が真っ白になった。私の反応からマズイことを言ったと思ったのか、慌てて「真に受けちゃ駄目よ。あなたの旦那さん真面目そうだし、新婚なのにそんなところ行かないわよ」と近所のおばさまにフォローされたけれど、言われた言葉が暫く頭から離れなかった。

 女の人のいる店。娼館。現地妻。

 大丈夫、私はイースを信じてる。
 ……イースはそんなこと、しないよね?
 
 だけど、夜遅くに帰ってくるイースが、時折知らない匂いをまとっていて、そういう日はイースが私の知らないイースに見える。
 煙草やお酒に混じる、微かな女性ものの香水の匂い。それは、誰の香りなの?

 そういう日に限って、イースは私を抱こうとする。イースのことが好きな気持ちは変わらない。でも、触れられそうになると避けてしまう自分がいる。
 それについてイースは特に、何とも思っていないみたい。疲れてるんだな、って言うだけ。
「うん、ごめんね」って、それで済むから、私も何も聞けなくなる。

 村にいた時は、何でもイースに聞いて、何でもイースに話してた。
 私、いつからイースに聞きたいことが聞けなくなったのかな。

 小さい頃、よく思ったことを口にそのまま口に出していた。村の子とそれで喧嘩になることがあって、なんでも思ったことを口に出すもんじゃない、って親に怒られたっけ。

 だからこれは、私が大人になった、ってことなのかな。それとも、ただ臆病なだけ?
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