5 / 43
リシュリー④
しおりを挟むイースと結婚して、数ヶ月が経った。
この頃、イースの帰りが遅い。日付を跨ぐこともしょっちゅうだ。
イースは最近、騎士団での階級が一つ上がったらしい。かなり早い昇進で、最近後輩も出来たとかで嬉しそうだ。
イースは自分のことは気にせず先に寝ていい、って言うけど、そうすると私がイースと顔を合わせるのは早朝のほんの短い時間だけになってしまう。
それは嫌だから、眠いのを我慢して起きているけれど、身体が辛くて昼寝してしまう日もある。イースは私と違い、昼寝も無しに体力仕事をこなした後、同僚や先輩と交流を図る元気まであるのだから、感心してしまう。
イースが充実すればする程、私との時間は減っていく。
イースのいない昼間、洗濯も掃除も終え、一人でご飯を食べる。
最近の私は漸く家事に慣れてきて、手が空く時間が増えてきた。
どんくさくて不器用な私でも、少しは成長してる、って思えてちょっと嬉しい。
従兄弟が騎士をやっているという近所のおばさまによると、騎士には『背守り』といって、騎士の恋人や妻が騎士服の下に着る肌着や上に羽織るマントの裏側に刺繍を入れる風習があるらしい。安全祈願のお守りなんだって。
私達の住んでいた村には騎士なんていなかったから、そんな風習知らなかった。
イースからは何も言われていないけど、折角だから私もイースにしてあげたい。
イースの瞳の緑色と、私の瞳の菫色の二色で刺繍するのはどうかな。
村の年頃の男の子の中で一番格好良かったイースと違い、私の容姿は至って平凡。可もなく不可もなくって見た目の私はイースと並ぶと釣り合っていない、って面と向かって言われたこともあるし、自分でもそれは分かっているから落ち込んだりするけれど、この珍しい瞳の色だけは密かな自慢なんだ。イースが綺麗な瞳の色だね、って言ってくれたから。
ちくちく、ちくちく。こっそり買ってきた刺繍糸を、新品の肌着に刺していく。
折角だから、イースには出来上がるまで秘密にしたい。
背守りの柄は思いが籠もっていれば何でもいいらしい。
何を縫っていいか思いつかなかったので、私はおばさまに聞いた、定番の柄だという仙桃という果実とその花の周りを蔦がぐるっと囲っている図案にした。
戦神様の好物だから、それを縫い付けて置くと戦神様の守護を受けられると言われてるんだって。
果実と花を菫色、蔦を緑色の糸で刺繍する。図案は意外と複雑で、意外と苦労した。生活のために必要な裁縫や、布を補強する目的の刺繍はやったことがあったけど、純粋な装飾の刺繍はやったことが無かったのだ。
背守りをしたい、と伝えてお店の人に勧められて買った絹の糸は、光を当てるとつやつや光ってとてもキレイだ。こんな上質な糸、田舎じゃそう簡単に手に入らない。
こんな糸を表からは見えない背守りに使うなんて、都会ってすごい。
イースへのプレゼントにイースが稼いだお金を使うのは違うかな、って思って、糸の代金は村にいた時に貯めていた自分のお小遣いから払った。喜んでくれるといいな。
縫い始めの頃はイースにバレないかヒヤヒヤしたけど、そんな心配は必要無いってすぐに分かってしまった。
イースの帰りは相変わらず遅く、休みの日も二回に一回は用事や急な仕事で一緒に過ごせなくなっていたから。
騎士って、そんなに忙しいのかな。
買い物帰り、近所のおばさまに会って思わずこぼしたら、騎士をやっていると何日も休みが取れなかったり、頻繁に家を空けるのは普通のことだ、と言われた。
「寂しいのは新婚の内だけで、その内有り難く思い始めるわよ。“亭主元気です留守がいい”ってね」
そうおばさまは笑ったけど、そういうおばさまの夫の職業は大工の棟梁で、毎日夕方には家に帰って来ているのを私は知っている。おばさまの従兄弟が騎士をやっているだけだ。
おばさまの言うように思う日が、本当に来るんだろうか。
また、おばさまの友人だという別のおばさまには、
「騎士様と結婚したらその辺は覚悟しなくちゃいけないところよね。仕事外の誘惑も多いみたいだし、家に帰らないなんてザラだから」
「誘惑、……ですか?」
「ホラ、血気盛んな人が多いから。女の人のいる店に行ったり、付き合いで娼館に行くのもよくあるみたいよ。後は他に女囲ったり。現地妻、っていうの? 遠征先ごとに浮気相手作る男もいるらしいわ。ほら、元々が不規則な仕事だから浮気してもバレにくいのよねぇ。あなたも注意した方がいいわよ」
なんて言われて、頭が真っ白になった。私の反応からマズイことを言ったと思ったのか、慌てて「真に受けちゃ駄目よ。あなたの旦那さん真面目そうだし、新婚なのにそんなところ行かないわよ」と近所のおばさまにフォローされたけれど、言われた言葉が暫く頭から離れなかった。
女の人のいる店。娼館。現地妻。
大丈夫、私はイースを信じてる。
……イースはそんなこと、しないよね?
だけど、夜遅くに帰ってくるイースが、時折知らない匂いをまとっていて、そういう日はイースが私の知らないイースに見える。
煙草やお酒に混じる、微かな女性ものの香水の匂い。それは、誰の香りなの?
そういう日に限って、イースは私を抱こうとする。イースのことが好きな気持ちは変わらない。でも、触れられそうになると避けてしまう自分がいる。
それについてイースは特に、何とも思っていないみたい。疲れてるんだな、って言うだけ。
「うん、ごめんね」って、それで済むから、私も何も聞けなくなる。
村にいた時は、何でもイースに聞いて、何でもイースに話してた。
私、いつからイースに聞きたいことが聞けなくなったのかな。
小さい頃、よく思ったことを口にそのまま口に出していた。村の子とそれで喧嘩になることがあって、なんでも思ったことを口に出すもんじゃない、って親に怒られたっけ。
だからこれは、私が大人になった、ってことなのかな。それとも、ただ臆病なだけ?
0
あなたにおすすめの小説
妻を蔑ろにしていた結果。
下菊みこと
恋愛
愚かな夫が自業自得で後悔するだけ。妻は結果に満足しています。
主人公は愛人を囲っていた。愛人曰く妻は彼女に嫌がらせをしているらしい。そんな性悪な妻が、屋敷の最上階から身投げしようとしていると報告されて急いで妻のもとへ行く。
小説家になろう様でも投稿しています。
【完結】少年の懺悔、少女の願い
干野ワニ
恋愛
伯爵家の嫡男に生まれたフェルナンには、ロズリーヌという幼い頃からの『親友』がいた。「気取ったご令嬢なんかと結婚するくらいならロズがいい」というフェルナンの希望で、二人は一年後に婚約することになったのだが……伯爵夫人となるべく王都での行儀見習いを終えた『親友』は、すっかり別人の『ご令嬢』となっていた。
そんな彼女に置いて行かれたと感じたフェルナンは、思わず「奔放な義妹の方が良い」などと言ってしまい――
なぜあの時、本当の気持ちを伝えておかなかったのか。
後悔しても、もう遅いのだ。
※本編が全7話で悲恋、後日談が全2話でハッピーエンド予定です。
※長編のスピンオフですが、単体で読めます。
娼館で元夫と再会しました
無味無臭(不定期更新)
恋愛
公爵家に嫁いですぐ、寡黙な夫と厳格な義父母との関係に悩みホームシックにもなった私は、ついに耐えきれず離縁状を机に置いて嫁ぎ先から逃げ出した。
しかし実家に帰っても、そこに私の居場所はない。
連れ戻されてしまうと危惧した私は、自らの体を売って生計を立てることにした。
「シーク様…」
どうして貴方がここに?
元夫と娼館で再会してしまうなんて、なんという不運なの!
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
幼馴染の王女様の方が大切な婚約者は要らない。愛してる? もう興味ありません。
藍川みいな
恋愛
婚約者のカイン様は、婚約者の私よりも幼馴染みのクリスティ王女殿下ばかりを優先する。
何度も約束を破られ、彼と過ごせる時間は全くなかった。約束を破る理由はいつだって、「クリスティが……」だ。
同じ学園に通っているのに、私はまるで他人のよう。毎日毎日、二人の仲のいい姿を見せられ、苦しんでいることさえ彼は気付かない。
もうやめる。
カイン様との婚約は解消する。
でもなぜか、別れを告げたのに彼が付きまとってくる。
愛してる? 私はもう、あなたに興味はありません!
一度完結したのですが、続編を書くことにしました。読んでいただけると嬉しいです。
いつもありがとうございます。
設定ゆるゆるの、架空の世界のお話です。
沢山の感想ありがとうございます。返信出来ず、申し訳ありません。
思い出さなければ良かったのに
田沢みん
恋愛
「お前の29歳の誕生日には絶対に帰って来るから」そう言い残して3年後、彼は私の誕生日に帰って来た。
大事なことを忘れたまま。
*本編完結済。不定期で番外編を更新中です。
壊れていく音を聞きながら
夢窓(ゆめまど)
恋愛
結婚してまだ一か月。
妻の留守中、夫婦の家に突然やってきた母と姉と姪
何気ない日常のひと幕が、
思いもよらない“ひび”を生んでいく。
母と嫁、そしてその狭間で揺れる息子。
誰も気づきがないまま、
家族のかたちが静かに崩れていく――。
壊れていく音を聞きながら、
それでも誰かを思うことはできるのか。
行き場を失った恋の終わらせ方
当麻月菜
恋愛
「君との婚約を白紙に戻してほしい」
自分の全てだったアイザックから別れを切り出されたエステルは、どうしてもこの恋を終わらすことができなかった。
避け続ける彼を求めて、復縁を願って、あの日聞けなかった答えを得るために、エステルは王城の夜会に出席する。
しかしやっと再会できた、そこには見たくない現実が待っていて……
恋の終わりを見届ける貴族青年と、行き場を失った恋の中をさ迷う令嬢の終わりと始まりの物語。
※他のサイトにも重複投稿しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる