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リシュリー➄
しおりを挟む冬が終わり、春になった。
もうじき王都に来て二度目の夏が来る。
イースは相変わらず、早朝に家を出て夜遅くに帰ってくる生活を続けている。家賃が比較的安いことを決め手に今の家を選んだけれど、イースの負担になるならもう少し王宮に近い地域に引っ越した方がいいかも知れない。
ちょうどもうすぐ賃貸契約の更新がある。イースに相談しようと思ったけれど、仕事で疲れた所にお酒を飲んで帰ってくるイースは、お風呂に入るとそのまま寝てしまう。中々話す時間が取れなくて、結局そのまま契約を更新することになった。
近頃は二人で暮らしているのに、なんだか村にいた時より一緒に過ごす時間が無い。
休みが取れたら出掛けよう、と話していた、海にも湖畔にも未だ行けていない。一緒に観に行こうと約束していたサーカスは、観ないうちに次の興行へと旅立っていった。話題の歌劇も、上演中にはきっと行けない。
でも仕事なら仕方無いよね。また来年かな。
もう少ししたら、イースの誕生日が来る。
その時くらいは、ふたりきりでゆっくり過ごしたい、って伝えてみた。何も無ければ休みを取るよ、って言ってくれたから、楽しみ。
イースの好物の、ハンバーグを作ろう。誕生日だから豪華に、目玉焼きとチーズものせて、デザートはチョコレートケーキにしよう。誕生日、何をあげようかな。
私は相変わらず、イースには内緒で時々職業紹介所で求人を確認している。
私のスキルが《暗算》とか《話術》だったら良かったのに。どちらも商家や飲食店で重宝されるスキルだ。もしどちらか持っていたら、きっと今頃は引く手数多だっただろう。
近所のおばさまに誘われて、何回か教会の炊き出しを手伝った。王都では、生活困窮者のために週に一度炊き出しをしているんだって。村にいた時はお金をあまり使わず、物々交換が多かったし、畑で作った食べ物なんかは皆で分け合っていたから、食うに困る人、っていうのは意外といなかったんだよね。だから、沢山人が来るのに最初は驚いた。
手伝いと言っても、私はスープに入れる人参やじゃがいもを刻んだだけだ。栄養があるから必要無い、と言われて皮むきすらしていない。本当に切っただけ。勿論、奉仕活動の一環なので給金は出ない。
それでも、地域の人々と触れ合ったことで、王都に出てきてずっと感じていた疎外感は薄れたので、参加してよかった。
特にやることが無い昼間、リビングの椅子に腰掛けてお茶を飲みながら、ぼうっとする。
王都に出てきてから、ぼうっとすることが増えた。
自分が出す以外の音がしない部屋。
村にいた時と比べて物が少ない部屋は、生活感が無い。部屋の家具はイースの好みに合わせて、全てモノトーンで統一されている。かろうじて、窓際の花瓶代わりに花を挿したコップだけが色を足している。
父が裏の畑を耕す音も、母の調子の外れた鼻歌も聞こえない。収穫した牛蒡がセクシーな形だったから、と興奮して牛蒡片手に訪ねてくる友達もいないし、鶏舎からしょっちゅう脱走してはあちこち荒らし回る鶏もいない。
寂しい、って唐突に思った。
これまで私は、本当の意味でひとりぼっちになったことが無かった。
村にいた時は両親が揃って家を空けることは殆どなかったし、そういう時はイースがいつも側にいた。狭い村だから家の外を歩けば誰かしら知り合いかいて、寂しいなんて感じることがなかった。
だけど、王都に出てきてからの私は、ずっとひとりだ。
大好きな幼馴染と結婚して、ふたりきりで暮らして、皆が憧れる王都に住んで、衣食住に困っている訳でも無い……幸せな筈なのに、胸にぽっかり穴が開いているみたい。
どうしてこんなに寂しいんだろう。
王都に憧れる村の友人が言っていた。「王都には何でもあるのよ!」って。
確かに、王都は国の中心で、沢山の人と物で溢れている。
オシャレなお店に流行りの服や化粧品、代わる代わる催されるイベントに劇、珍しい異国の品物や料理、ずらりと並んだ活気溢れる屋台に飛び交う複数の言語。どれも村には無いものばかり。
確かに、王都には何でもある。お金さえあれば、買えない物なんてきっと無い。
でも、王都に私の居場所は無い。私の居場所だけは無い。
まともな働き口さえ見つからず、仲のいい友人も出来無い。何処に行っても、しっくりこない。
私に出来るのはただ、イースの帰りを待つだけ。
美人でもない。スタイルがいいわけでもない。家柄がいいわけでもなければ、人より優れた能力があるわけでもない。今の私の価値は、イースの妻である、ということだけ。
でも、このままではきっと、イースに置いていかれてしまう、って、そんな気がする。
……そうなったら、私には何が残るの?
なんだかとても自分が惨めに思えて、一度涙が流れると暫く止まらなかった。
村を出た時には、こんな風になるなんて、考えもしなかった。
でも、こんな気持ち、イースには言えない。面倒くさい女だって、思われたくない。自分が自分を恥ずかしい、って思ってること、イースには、イースにだけは知られたくなかった。
もっと怖いのは、もしもイースも同じように思っていたら? ってことだ。
私と違って、沢山の人と新しい人間関係を築いているらしいイース。
それなのに、誰にも紹介してくれないのはなんで?
仲のいい同僚の一人も家に連れて来ないのは、どうして?
イースも私のことを、恥ずかしいって思ってる?
真っ赤に泣き腫らした顔を見られるのが嫌で、その日、王都に出てきてから初めて、私はイースの帰りを待たずにベッドに入った。
******
「暫く遠征に行くことになった」
「えっ」
イースに告げられたのは、久々に夕食を共にした夜。
「イースの仕事って、王宮の警備だったんじゃないの?」
「西の方で害獣が大量発生していて、領主を通して救援要請があったらしい。王宮の警備は人が足りているから、俺も同行メンバーに選ばれた」
「そうなの、凄いね、って言っていいのかな。……危険じゃない?」
思わず不安を露わにイースを見つめると、そっと頭を撫でられた。
「いや、きちんと準備して複数で挑めば大したことはない筈だから心配すんな」
「期間は? どれくらい?」
「予定では二週間。訓練も兼ねてるから、長引けばもう少し掛かるかも」
「……分かった。美味しいもの用意して待ってるから」
「おう」
お風呂上がりに遠征の荷物をまとめるイースに例の背守りが入った肌着を渡す。
やっぱり図案が難しくて、まだ二枚しか完成していない。所々歪んでいて、出来もあまり良いとは言えない。
こんなことなら食事時間を削ってでももっと頑張ればよかったな……。
聞けば、イースは背守りの風習を知っていた。王都に来て、同僚の着替えを見て知ったらしい。
イースが思いの外喜んでくれたので、私の心を覆っていた靄が少しだけ晴れたような気がする。
「知ってたんなら、早く言ってくれたらよかったのに」
「ごめんごめん。リシュリーに家のことは任せきりだから、大変かな、って思って」
そう言ってイースは軽く笑って渡した肌着を鞄に詰めていたけど、イースのためならそれくらい、何でもないのに。
その日、イースと久々に身体を繋げた。イースの身体は村にいた時よりずっと引き締まっていて、子ども体型の自分がなんだか恥ずかしい。初めての時と比べると、イースは格段に上達していて、私は終始イースに翻弄されっぱなしだった。私もイースを悦ばせてあげたいけれど、王都に同年代の友人がいない私は、こういった方面の情報には疎くて、結局されるがままになってしまう。
……今度、思い切っておばさまに聞いてみようかな。
久しぶりにむちむちして程よく硬いイースの胸を堪能し、顔を寄せて眠る。やっぱり、イースの腕の中が一番安心出来る。触れ合った温もりに、不安が徐々に溶けていく気がした。
翌朝早く、イースは出ていった。
ひとりぼっちの二週間が始まる。
……イース、無事で帰ってきて。なるべく早く、ね。
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