初恋の終わり ~夢を叶えた彼と、居場所のない私~

あんこ

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リシュリー⑨

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「イース、最近泊りが多くない? ……本当に仕事なの?」


 二日ぶりに家に帰って来たイースに思い切って聞いてみた。

 本当はきちんと時間をとって話し合わなきゃって思ってる。ここできちんと話し合わないと、イースと私の間に生まれている溝が、取り返しの付かないものになる気がして。
 だけど、話し合いたくてもイースが帰ってこないんじゃ、どうしようもない。

 返って来たイースの声は不機嫌で、萎縮してしまう。
 村にいた時のような、はじけるイースの笑顔、もうどれくらい見ていないだろう。
 そういえば、私も最近笑ってない気がする。


「……俺を疑ってるのか?」

「そうじゃないよ。そうじゃないけど、でも」

「仕事が忙しいんだ」

「……そうなの。でも、今は大きな事件とかはなさそうだし、もうちょっとくらい家に帰って来ても……」

「事件がないように働くのが騎士の仕事だから当たり前だろ。働くって大変なんだ。責任があるんだよ。ずっと家にいるリシュリーには分からないだろうけど」


 そう言われると、私には何も言えない。
 だって、私はゴミスキルしか持たない女で、イースのように働いている訳ではないから。


「リシュリーもさ、働いてないんだったらせめてもうちょっとお洒落とか化粧くらい勉強したら。時間はあるんだからさ。村から出て来てどんだけ経っていると思ってんだよ」


 ……私のこと、恥ずかしいと思っているんだ。
 
 イースの言葉に、頬がかぁっと熱くなる。
 私に背を向けて荷物を詰め替えるイースに、何も言い返せなかった。

 お洒落や化粧に興味がない訳じゃない。
 けれど、服や化粧品はそれなりにお金がかかる。イースの収入に頼っている状態で散財するのも憚られたし、村にいた時のイースはいつも、どんな私でも可愛いよ、って言ってくれていたから――。

 なんて、全部言い訳だ。

 元々容姿が良いイースは、王都に来てから更にあか抜けた。綺麗に整えられた金髪と、透き通るグリーンの瞳に糊のきいた騎士服がよく似合っている。騎士になってから以前より鍛えられ、筋肉の増えた身体は精悍さを増し、女性が十人いたら八人くらいは振り返る容姿だ。これで色さえ白ければ、貴族の子息と言っても通りそうなくらい。

 対して私は、王都に来てからも伸びる気配のない低い身長に相変わらず寂しい胸元。
 引き籠っているので肌の色だけは白いが、それだけだ。着ているものだって王都の古着屋で買った地味なワンピース。伸ばしっぱなしの黒い髪。
 手は洗濯や料理など水仕事のせいでガサガサに荒れていて、おまけに近頃は何故かニオイに敏感になり香水や化粧品が駄目になってしまったため、ほぼすっぴんだ。

 イースの言う通り、王都のキラキラ、ふわふわした女の子と横に並んだら、比べるのも恥ずかしい見た目だろう。

 村にいた時と何も変わらない私と違って、イースの世界は広がった。その新しく広がった世界には、私なんかより素敵な女の子が一杯いるんだろう。

 黙り込む私の横を素通りし、イースは着た服を洗濯籠に放り込み、綺麗な服を鞄に詰めて再び出勤していった。



******



 この日、朝から打ちのめされていた私に、更に追い打ちをかける出来事があった。

 暗い気持ちで市場に出かけ帰って来ると、家の前におばさまが居た。バスケットらしきものを家の扉の前に置いて帰ろうとしているようだったので、後ろから声を掛ける。


「こんにちは、何かうちに御用でしたか?」

「あれっ、なんでいるんだい?」

「なんでと言われましても……ここに住んでるのですが」

「やだ、そんなことは知っているわよ。今日、騎士団長の所の懇親会の日でしょう? てっきり留守だと思って、お裾分け置いて帰ろうと思ったんだけど。行かなかったの?」

「懇親会?てなんですか」

「えっ」


 驚いた表情で固まるおばさまと、数秒間見つめ合う。
 私が首を傾げていると、気まずそうな様子でおばさまが口を開いた。


「二ヶ月に一度、騎士団長さんの家で部下やその家族を招いて懇親会があって、今日はちょうどその日の筈だよ。昨日団長様の奥方にばったり会ったらそう言っていたからね。てっきり招待されていると思ってたけど……旦那さんから聞いていないの?」


 おばさまの言葉と、今朝イースに言われた言葉がかちっと嵌って目の前が真っ暗になった。
 その後、どうやっておばさまと別れたか思い出せない。気付けば明かりの消えた部屋のソファに座り、ぼうっとしていた。

 ああ、朝のイースの言葉はそういうことだったんだ。

 王都に出てきて一年は経つ。その間一度も、イースから懇親会とやらの話は聞かなかった。今思えば、たまに休みの日昼前から出掛けることがあったのは、それだったのかもしれない。

 そんなに前から、私はイースにとって、同僚や上司に紹介できない、紹介するのも恥ずかしいような存在だったんだ。

 ――今すぐ、消えてしまいたい……。

 この部屋にはいられない。イースに合わせる顔がない。もしもイースがこの後帰ってきたら、ひどい言葉を言ってしまいそうだった。

 鞄も持たず、衝動的に家を出る。

 アテもなく町を彷徨う私に声を掛けたのは、食堂のおかみさんだった。



******



「成程、そういう事情だったのね……」


 おかみさんに連れられて準備中の札が掛かった人気のない食堂に連れて行かれた私は、誰かに話を聞いて欲しくて、促されるまま、事情を話してしまった。

 此処から遠い田舎の村から幼馴染の恋人と出てきて結婚したこと、騎士をやっている彼が家に帰ってこないこと、仕事が見つからないこと、いつからか彼から疎まれていたこと……。

 泣きながら語る私の背中を、おかみさんはそっと撫でてくれた。
 

「厳しいことを言うけどさ、リリーちゃん達みたいな話、少なくないんだよね」

 
 言いながら、そっと差し出されたお茶を受け取る。薄い黄色のそれは何かのハーブを煎じたもののようで、口に含むと優しく胃に染み渡る。


「王都はさ、知っての通り華やかな人や物が多いから。遊ぼうと思えばいくらでも遊ぶ場所があるし、ましてリリーちゃんの旦那さんは夢を叶えて憧れの騎士様になったんだろ? 騎士様っていうのは、こっちの女の子にも人気があるからね。身元がはっきりしていてそれなりの収入があり、社会的地位も高い。そこで容姿が良い、とくりゃ、引く手あまたな筈さ。憧れの世界に飛び込んで舞い上がっている所にソレだろ? 調子に乗るってもんだ」

「引く手あまた……」


 分かってはいたけれど、改めて突き付けられると胸がざわめく。


王都ここはね、川の上流と同じさ。きちんと“自分”てものを持っていないとあっという間に強い力で押し流されちまう」

「それは旦那さんだけじゃなくて、リリーちゃんにも言えることだ」

「私にも……?」

「王都の華やかさにこそ流されていないが、自分や自分の大切なものを見失っているのはリリーちゃんも同じじゃないのかい」


 自分の大切なもの……。
 
 私の大切なものってなんだろう。
 おかみさんの言う通り、王都の華やかさ自体に浮足立ったことはない。私は村の他の女の子たちみたいに、都会への憧れというものを抱いたことはあまりなかった。

 それは、村での暮らしで充分幸せだったからだ。だって隣にいつもイースがいてくれたから。
 イースがいれば、いつだって楽しかった。イースのいるところが、私の居場所だった。

 イースといると幸せで、イースと離れたくなくて、だからイースについて王都に出てきた。

 私にはイースしかいない。イースしか……。
 だけど、そんな私だからイースは嫌になったのかな。

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