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リシュリー⑩
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「幼馴染の彼のことは別にしてさ、少し自分と向き合ってみたら?」
家に帰ってからも、おかみさんから言われた言葉がぐるぐると私の中を巡っている。
家に帰ると、洗濯籠にはイースが突っ込んで行ったシャツや下着がそのまま残っていた。王都で暮らし始めたばかりの頃は、私が洗濯や料理をすることにきちんとお礼を言ってくれていた。
でも今は、働いて金を稼いでいないんだからそれぐらい当然だろ、って。口で直接言われたわけじゃないけれど、イースの態度が、背中がそう言っている。
溜息と共に掴んだイースのシャツの、袖口に赤いものが見えて、びくりと肩が揺れる。
もしかして、イース怪我したの!?
焦ってよく見ると、それは血じゃなかった。
「口紅……」
真っ赤なそれは、私には縁のないもので。血が下がってくる感覚と共に吐き気が襲いかかり、気付けばトイレの中でえづいていた。朝からまともに食べていないから胃液しか出ない。
私の縫った背縫い入りのアンダーシャツを着ながら、他の女の口紅が付くようなことをしたんだ。
イースが昨日何をしていたかなんて知らない。でも、イースが私以外の誰かの口紅がつくような行動をしたのは事実だ。
そして妻である私は夫であるはずのイースに何も言えないまま、汚れたシャツを洗うしかないのだ。
これが、愛している妻にする仕打ち? そんなわけない。賃金の発生しない家政婦扱いじゃないか。
――このままずっと、これが続くの?
そう考えたらゾッとした。
いやだ。このまま、こんな状況で生きていくなんて、いやだ。
その日の私は、一晩中起きていた。これまでと違うのは、イースの帰りをただ待っていたのではなく、自分の気持ちと将来について考えていた、ってこと。
翌朝、朝食を済ませ着替えた私は、お小遣いを握り外へ出掛けた。
******
一晩中考えて出した結論は、これまでのような暮らしはもうウンザリ、ってことだ。
イースが私に向き合う努力をせず強く出るのも、私がイースに気後れしてしまうのも、全ては私が働いてお金を稼いでいない、ってことに起因する。
勿論家事炊事はきちんとしていて、何もしていないわけじゃない。私が家事をしなくなったら、きっとイースだって困ることがあるだろう。
でも、家の中でする掃除や料理、洗濯で私はお金を稼いでいるわけじゃない。自分が養っているから私がやって当然って、そういう意識が今のイースの態度に繋がっている気がする。
このままではいつまでもイースは私に向き合おうとはしてくれないだろう。
だからまず、私は働きたい。数日に一度職業紹介所を覗くだけじゃなくて、本腰を入れて仕事を探してみることにした。
それから、見た目。
村にいた時は、何もしないでもイースは好きって言ってくれていたから、私が甘かったのだ。あんな赤い口紅が似合う女にはなれないだろうけど、最初から戦うことを放棄しては駄目だ。
手遅れかも知れなくても、イースに好かれる努力をする。
………って、そう決めて街へ飛び出したは良いけど……。
やっぱりゴミスキルでコネもない私にそう簡単に仕事は見つからず、ならばと思って服屋や化粧品を扱う店に行ってみたけれど、何をどうしていいのか分からず、すごすごと撤退する羽目になった。
そもそもからして、他のお客さんと違いすぎた。華やかでおしゃれな女の子達が一杯の店内に足を踏み入れることさえ憚られた。服を買いに行くための服が無い、なんて笑っちゃうけど。
落ち込んでばかりもいられない。自分ひとりでどうにも出来ないなら、誰かの力を借りるしかない。
誰か、なんて言っても王都に友達ゼロの私に他に当てはなく、結局再び食堂へと足を運んでしまった。
仕込み中に邪魔したというのに、おかみさんもおじさんも快く店内に入れてくれた。昨日落ち込んだ様子で帰っていった私を心配してくれていたらしい。
とりあえずの決意を話すと、いいんじゃないか、って笑って言ってくれた。
「でも、仕事が見つからなくて……。やっぱり田舎者で役に立つスキルを持っていない私じゃ無理なんでしょうか」
「んー、まぁ口でそんなことないよ、って言うのは簡単だけど、実際見つからないんじゃねぇ。役に立たないスキルっていうけど、リリーちゃんのスキルってなんだい?」
言葉を詰まらせる私におかみさんが慌てる。
他人のスキルを尋ねたり話題にすることは別にタブーでも何でもないけれど、体重や身長なんかと一緒で、場合によってはセンシティブな話題でもあるため、実際はその場の空気、相手次第という感じなのだ。
「あっ、無理に聞き出そうってんじゃないよ。ただリリーちゃんが気付いていない活かし方があるんじゃないかって思って」
「わかってます。あまりにも役に立たないので恥ずかしかっただけです。……私のスキルは、〈腐敗〉で、その名の通り物を腐らせ、ゴミを量産するだけのスキルです」
大抵の人は、私のスキルを聞くと微妙な顔をする。場合によっては同情されたり嘲笑されたりもする。
だが、二人が返してきたのは新鮮な反応だった。
「〈腐敗〉かぁ。内容は兎も角、かなり珍しいんじゃないかい? 少なくとも私は初めて聞いたよ」
「確かに、神官様にも珍しいスキルだとは言われました。スキルの中では力も強い方だってことも」
おかみさんの隣で、おじさんは顎に手を当てうんうん唸っている。
「うーん」
「おじさん?」
「リリーちゃん、俺にちょっと考えがあるんだ。ぬか喜びさせても悪いから詳しくは控えるけど、二、三日時間をくれねぇか」
「え? ええ、構いませんけど……」
ぬか喜び、ってことは、何か思いついたのかな。
おじさんの意図が気になりながらも、今考えても仕方ない。
その後、王都育ちだというおかみさんにいくつかおすすめの店を教えてもらった。おかみさんの知り合いがやっている店で、おかみさんの名前を出せば私のような田舎者の相談にも乗ってくれるだろう、ってことだ。
二人に感謝の言葉を伝えて、早速店に向かった。
家に帰ってからも、おかみさんから言われた言葉がぐるぐると私の中を巡っている。
家に帰ると、洗濯籠にはイースが突っ込んで行ったシャツや下着がそのまま残っていた。王都で暮らし始めたばかりの頃は、私が洗濯や料理をすることにきちんとお礼を言ってくれていた。
でも今は、働いて金を稼いでいないんだからそれぐらい当然だろ、って。口で直接言われたわけじゃないけれど、イースの態度が、背中がそう言っている。
溜息と共に掴んだイースのシャツの、袖口に赤いものが見えて、びくりと肩が揺れる。
もしかして、イース怪我したの!?
焦ってよく見ると、それは血じゃなかった。
「口紅……」
真っ赤なそれは、私には縁のないもので。血が下がってくる感覚と共に吐き気が襲いかかり、気付けばトイレの中でえづいていた。朝からまともに食べていないから胃液しか出ない。
私の縫った背縫い入りのアンダーシャツを着ながら、他の女の口紅が付くようなことをしたんだ。
イースが昨日何をしていたかなんて知らない。でも、イースが私以外の誰かの口紅がつくような行動をしたのは事実だ。
そして妻である私は夫であるはずのイースに何も言えないまま、汚れたシャツを洗うしかないのだ。
これが、愛している妻にする仕打ち? そんなわけない。賃金の発生しない家政婦扱いじゃないか。
――このままずっと、これが続くの?
そう考えたらゾッとした。
いやだ。このまま、こんな状況で生きていくなんて、いやだ。
その日の私は、一晩中起きていた。これまでと違うのは、イースの帰りをただ待っていたのではなく、自分の気持ちと将来について考えていた、ってこと。
翌朝、朝食を済ませ着替えた私は、お小遣いを握り外へ出掛けた。
******
一晩中考えて出した結論は、これまでのような暮らしはもうウンザリ、ってことだ。
イースが私に向き合う努力をせず強く出るのも、私がイースに気後れしてしまうのも、全ては私が働いてお金を稼いでいない、ってことに起因する。
勿論家事炊事はきちんとしていて、何もしていないわけじゃない。私が家事をしなくなったら、きっとイースだって困ることがあるだろう。
でも、家の中でする掃除や料理、洗濯で私はお金を稼いでいるわけじゃない。自分が養っているから私がやって当然って、そういう意識が今のイースの態度に繋がっている気がする。
このままではいつまでもイースは私に向き合おうとはしてくれないだろう。
だからまず、私は働きたい。数日に一度職業紹介所を覗くだけじゃなくて、本腰を入れて仕事を探してみることにした。
それから、見た目。
村にいた時は、何もしないでもイースは好きって言ってくれていたから、私が甘かったのだ。あんな赤い口紅が似合う女にはなれないだろうけど、最初から戦うことを放棄しては駄目だ。
手遅れかも知れなくても、イースに好かれる努力をする。
………って、そう決めて街へ飛び出したは良いけど……。
やっぱりゴミスキルでコネもない私にそう簡単に仕事は見つからず、ならばと思って服屋や化粧品を扱う店に行ってみたけれど、何をどうしていいのか分からず、すごすごと撤退する羽目になった。
そもそもからして、他のお客さんと違いすぎた。華やかでおしゃれな女の子達が一杯の店内に足を踏み入れることさえ憚られた。服を買いに行くための服が無い、なんて笑っちゃうけど。
落ち込んでばかりもいられない。自分ひとりでどうにも出来ないなら、誰かの力を借りるしかない。
誰か、なんて言っても王都に友達ゼロの私に他に当てはなく、結局再び食堂へと足を運んでしまった。
仕込み中に邪魔したというのに、おかみさんもおじさんも快く店内に入れてくれた。昨日落ち込んだ様子で帰っていった私を心配してくれていたらしい。
とりあえずの決意を話すと、いいんじゃないか、って笑って言ってくれた。
「でも、仕事が見つからなくて……。やっぱり田舎者で役に立つスキルを持っていない私じゃ無理なんでしょうか」
「んー、まぁ口でそんなことないよ、って言うのは簡単だけど、実際見つからないんじゃねぇ。役に立たないスキルっていうけど、リリーちゃんのスキルってなんだい?」
言葉を詰まらせる私におかみさんが慌てる。
他人のスキルを尋ねたり話題にすることは別にタブーでも何でもないけれど、体重や身長なんかと一緒で、場合によってはセンシティブな話題でもあるため、実際はその場の空気、相手次第という感じなのだ。
「あっ、無理に聞き出そうってんじゃないよ。ただリリーちゃんが気付いていない活かし方があるんじゃないかって思って」
「わかってます。あまりにも役に立たないので恥ずかしかっただけです。……私のスキルは、〈腐敗〉で、その名の通り物を腐らせ、ゴミを量産するだけのスキルです」
大抵の人は、私のスキルを聞くと微妙な顔をする。場合によっては同情されたり嘲笑されたりもする。
だが、二人が返してきたのは新鮮な反応だった。
「〈腐敗〉かぁ。内容は兎も角、かなり珍しいんじゃないかい? 少なくとも私は初めて聞いたよ」
「確かに、神官様にも珍しいスキルだとは言われました。スキルの中では力も強い方だってことも」
おかみさんの隣で、おじさんは顎に手を当てうんうん唸っている。
「うーん」
「おじさん?」
「リリーちゃん、俺にちょっと考えがあるんだ。ぬか喜びさせても悪いから詳しくは控えるけど、二、三日時間をくれねぇか」
「え? ええ、構いませんけど……」
ぬか喜び、ってことは、何か思いついたのかな。
おじさんの意図が気になりながらも、今考えても仕方ない。
その後、王都育ちだというおかみさんにいくつかおすすめの店を教えてもらった。おかみさんの知り合いがやっている店で、おかみさんの名前を出せば私のような田舎者の相談にも乗ってくれるだろう、ってことだ。
二人に感謝の言葉を伝えて、早速店に向かった。
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