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リシュリー⑪
しおりを挟む食堂のおかみさんに教えて貰ったお店の名前は、『ブティック シャンタル』。
行ってみたら外からは店内が見えない仕様で、正直扉の前で十分くらいウロウロしてしまった。勇気を出して入ってみたら、そこにいたのは美しいお姉様……否、オネエ様。
見た目と心は女性だから安心して、って微笑むその人は、正直女の私よりずっと綺麗だった。オネエ様もとい、サニーちゃん(ちゃん付けしてね、って強めに言われた)は、田舎くさい私を決して馬鹿にしたりしなかった。
予算を伝えると、私のお小遣いで買える範囲の服を何枚かお勧めしてくれた。これまでワンピースばかり着ていたけれど、ブラウスとスカート、別々の方が着回し出来て便利よ、って教わったので、サニーちゃん厳選の服からいくつか選んで買ってみた。
この日はたまたま他のお客様が少ないから、と言って、ヘアメイクまで施して貰えた。まだ若いから、と言われてお化粧はチークとマスカラ、うるうるのリップだけ。やっぱり赤い口紅なんて似合いそうもない自分には少し落ち込むけど、薄いメイクだけでも印象が明るくなって驚いた。
ずっと伸ばしっぱなしにしていた髪の毛も、傷んでいる毛先を切ってサイドを編み込みし、耳の上に花を模したバレッタを着けてもらう。
鏡の中には、初々しさの残るあか抜けた女の子が映っていた。王都の街を歩いている女の子達と並んでも、今ならきっと違和感ない。
なんだ、私、結構様になってる? これなら、イースも喜んでくれるかな。
また来てね、ってニコニコ手を振るサニーちゃん。おかみさんのお友達だけあって、とってもいい人だった。久々に女子トークをしたような気がする。村にいた時は、結構していたのにね。
自分だけでどうにもならないと思ったら、他人の力を借りることも必要なんだ、って痛感する。勿論、頼ってばかりは駄目だけど。
ブティック シャンタルに、なんだかこれから通ってしまいそうだ。
うきうきした気分で街を歩く。今までずっと、景色から浮かないように速足で下を向いて歩いていたのが嘘みたいだ。見た目を少し変えるだけで気分がこんなに変わるなら、もっと早く踏み出せば良かった。
いつもより少しだけゆっくり大通りを歩く。なんとなく避けていた王都で人気の八百屋に寄ってみる。
実はここ最近、家に居る時は食事があまり喉を通らなかった。なんだか食欲が湧かなくて、おまけに好きだった筈のコロッケやグラタンのような、油を使った料理はニオイを嗅ぐだけで軽い吐き気がするようになってしまっていたのだ。
だけど今日は久しぶりに前向きな気分になって、きちんとご飯が食べられる気がした。おかみさんに教えてもらったレシピで、まだ試していないものが幾つかある。今日はそれを作ってみよう。
お洒落した姿をイースに見てもらえるかな。
前の人のお会計が終わるまで待っていると、ふと視線の先に見覚えのある背中を見つけた。陽の光の下で輝く金髪に騎士の隊服。
「イース?」
思わず商品の入った籠を置いて、後を追いかける。イースが夜帰って来る保証はないし、出来るならお洒落したいつもと違う姿を見て欲しい。
――だけど、声を掛けようと上げた手は、行き場を失くした。
近づいたイースは女の人と腕を組んでいた。さっきまでは建物の影に隠れていて見えなかったのだ。イースと同じ金色の髪をした女の人。顔は見えないけれど、私の知らない女の人だ。二人は親しそうに、顔を寄せ合って何か楽しそうに話している。
背後の私からはイースの横顔しか見えないけれど、もう随分見ていない気がするイースの笑顔。
なんで、どうして。
声にならない声が漏れた瞬間、ぐらりと視界が揺れて地面に倒れ込んだ。
******
目が覚めると、知らない天井だった。古いけれど清潔な建物。状況が分からず戸惑っていると、白衣を着たおじいちゃんがカーテンで仕切られた向こうから入って来た。
「おや? 目が覚めたかい」
「はい。あの、此処は……」
「病院だよ。老いぼれジジイのやっている小さい医院だがね。あんた、道端で倒れたんだよ」
「そうですか……」
どうやら私は、あの後そのまま道路に倒れていたらしい。親切な通行人が町医者まで連れて来てくれたのだとか。自分が情けなくて、唇を噛む。
「随分顔色が悪いけれど、ちゃんと食べてるのかい? まだ若いのにそんなに痩せて」
「あ……その、最近ちょっと食欲がなくて」
俯く私に、おじいちゃん先生はふむ、と唸ると色々質問し始める。問われるままに答えると、暫く考えてから一度頷いたおじいちゃん先生が口を開いた。
「あんた、妊娠してるね」
「…………えっ?」
思いがけない言葉に、茫然とする。一方で、納得もしていた。
急にニオイに敏感になったり、情緒不安定になったり……そう言われれば、生理も遅れている。元々不順気味だったので気が付かなかった。
「……嬉しくないのかい?」
心配そうな表情のおじいちゃん先生に、けれど私は頷くことが出来なかった。正直、思ってしまったのだ。なんでこのタイミングで、と……。
子どもが欲しくない訳じゃない。イースとの結婚の延長線上に妊娠出産はあって、家族が増えたら嬉しいって思っていた。だけど。
脳裏に、他の女の人と腕を組んで歩いていたイースの後ろ姿が焼き付いて離れない。
あの女の人が口紅の人かどうかは分からないし、もしかしたら口紅だって仕事中に偶然ついただけかもしれないし、さっき腕を組んでいた女の人だって何か事情があるのかも知れない。
でも今の私は、イースを信じようって思えるほど、今のイースのことを知らない。イースは変わってしまった。村にいた時のイースならきっと、子どもが出来たことを喜んでくれるだろう、って思う。でも今は……。
タイミング的にはあの遠征にいく前日。あの時に出来た子だろう。あれ以来イースと抱き合っていないから。
私達二人は全然うまくいっていない。ここの所はもうずっと、今にも切れそうな糸をなんとか繋ぎ、ぎりぎりの綱渡りを続けている気がする。
でも今のイースは、この張って来た糸を切ろうとしているように思えてならないのだ。そんな私たちの間に生まれる子、幸せになれるの?
下を向くと、折角サニーちゃんに選んで貰ったスカートが皺だらけになっているのが目に入り、涙が零れる。
「子どもに罪はない。だけど、もしまだあんたが母親になる準備が出来ていない、無理だ、っていうんなら……」
おじいちゃん先生は暗い声で言う。
外の国では法律で禁止されているところもあるらしいけれど、この国では堕胎は禁止されていない。昔、今よりもっと女性の立場が弱かった時代、望まない妊娠の果てに捨てられる子どもが増え、問題になったんだって。女性にも選ぶ権利がある、って声を上げた人がいて、それからは堕胎も選択肢のひとつになった。
女性の身体に負担があるのは勿論、倫理的にも受け入れがたいことではあるので、勿論推奨はされていない。
よく考えて、って背中を押され、病院を後にした。
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