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リシュリー⑫
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病院から帰った後、体調が悪くてそのまま寝てしまった。兎に角イースと話さないと、って思ったけど、朝起きるとイースの姿はない。洗濯籠も私の脱いだ服だけしか入っていないので、昨日も帰って来なかったんだと分かる。
一人悶々としながらコーヒーを飲みかけて、赤ちゃんに良くないかも、って思って止めた。変なの、産む覚悟なんて全然出来ていないのに、お腹の中に赤ちゃんがいるんだ、ってわかったら、何をするにも赤ちゃんへの影響を考えちゃうの。
結局、イースとは話し合えないまま、食堂を訪れる日になった。おじさんに言われていた通り、開店前の早い時間に行くと、知らない男の人を紹介される。
「初めまして、レディ。デイブ・ネルソンです」
ミルクティーみたいなブラウンの髪にアンバーの瞳をしたデイブさん。年は多分、二十代後半くらい? ちょっとふっくらした身体でお洒落なスーツを着こなしていて、紳士という言葉がよく似合う。貴公子そのものみたいな雰囲気のデイブさんと庶民的な食堂の組み合わせはちぐはくで、なんだかおかしい。
自然な動作で私の手を取ったデイブさんは、そのまま流れるように手の甲に唇をそっと落とした。イース以外の男の人にまともに触れられたことのない私は、ただの挨拶だとわかっているのにドキドキして、暫くの間ずっと心臓がうるさかった。
サニーちゃんに選んで貰った服を着て来ていて良かった。
「デイブはこう見えて中々やり手で、自分で立ち上げた商会をやってるんだ。リリーちゃんのスキルについて話したら、会ってみたいっていうもんだから来てもらった」
胸を張るおじさんは、本当に私のことを考えて動いてくれていたのだ。有難くて、なんだか涙が出そうになるのをぐっとこらえる。
それにしても、やり手の商会長がなんで私のゴミスキルなんかに……?
「あの、私のスキルに興味が……?」
「はいっ! おやっさんから話を聞いて、これは!と思いまして」
嬉しそうに答えるデイブさんに困惑する。この人、私のスキルについて勘違いしているんじゃ……。
「あの、折角そう言っていただいたのに申し訳ないんですが、私のスキルは<腐敗>、役に立たないゴミスキルなんです……」
「何を言うんですか! ゴミスキルだなんてとんでもない! 私からしたら最高のスキルですよ!」
「ええ……?」
前のめりで熱く語るデイブさんに促されるまま、食堂が開店するまでの間、話を聞くことになった。
ちなみにおじさんとおばさんは役目は済んだ、とばかりに仕込みに戻っている。迷惑をかけてしまって申し訳ない。
「<腐敗>っていう言葉だけを聞くと確かにいいイメージがないんですけど、実は<腐敗>って、言い換えれば<発酵>なんですよ」
「発酵……?」
いまいち理解出来ない私に、デイブさんが丁寧に説明してくれる。
お酒や味噌、チーズ、ヨーグルト……他にもあるけれど、これらの食品は全部製造の過程で発酵が重要になってくるらしい。
そして、発酵と腐敗は言い方が違うだけで、起きる現象というのは同じなのだそう。便宜上、私たちにとって都合のいい有益な物を“発酵”、有害なものを“腐敗”と呼んでいるに過ぎない……らしい。
そしてデイブさんのやっている商会は、食品を中心に扱っている会社で、王都から少し離れた自然豊かな場所で、ワインやチーズなど発酵食品を多く作っているそうだ。生産から流通までの管理をデイブさんとその家族でやっているんだって。
「えーと、つまり、私の役に立たないと思っていた<腐敗>のスキルが、もしかしたらそのチーズやワインといった発酵食品を作るのに使えるかも、ってことです?」
「かも、じゃありません! 絶対に有用です! あなたのスキルを上手く使えば、王都一、いや、国一番……いや!世界で一番のワインやチーズが作れるでしょう!」
鼻息荒く語るデイブさんの頭の中には、既に明るい未来が見えているらしい。つられて私まで、もしかしたらこの先は、思っていたよりずっと明るい未来が待っているんじゃないか、って……希望を持ってしまいそう。
「聞けば、お仕事が中々見つからなくてお困りとか。これは神のお導きに違いありません! 私と一緒に働いてもらえませんか?」
目の前に差し出されたデイブさんの手。
何のためらいもなく握れたらよかったのに。
「少し……考えさせてもらえませんか」
本心を言えば、やってみたい。ゴミだと思っていたスキルが人の役に立てるなら、こんなに嬉しいことはない。
デイブさんはまずは王都でスキルについて調べてみよう、って言ってくださったけれど、本格的に仕事をするなら、デイブさんが実際にワインやチーズを作っている場所まで行って働く必要がある。
個人的には王都にこだわりはない。でもイースがいる。たとえ関係が上手くいっていなかろうが、私はイースの妻なのだ。一人で勝手には決められない。
それに――私のお腹には子どもがいる。夫ですら、まだその存在を知らない子ども。
今この瞬間も子どもはすくすくと育っているだろうに、どうすべきか、未だに私は決められないでいる。折角デイブさんの所で仕事を見つけたとして、出産前後は働くことは流石に出来ないだろうから、それも問題だ。
今ここでデイブさんにお腹の子のことを伝えるか迷ったけれど、まずは誰よりも先にイースに伝えるべきだ、って私の心が叫ぶ。
折角早い時間から足を運んでもらったデイブさんに即答しなかった……ううん、出来なかった私。
けれど、デイブさんも、そしてデイブさんを紹介してくれた食堂のおじさんも、焦る必要はないからゆっくり決めるといいよ、って言ってくれた。
頭を下げて、その優しさに甘える。
絶対に、イースと話そう。イースが帰って来るまで絶対に待っていよう。固く決意した。
一人悶々としながらコーヒーを飲みかけて、赤ちゃんに良くないかも、って思って止めた。変なの、産む覚悟なんて全然出来ていないのに、お腹の中に赤ちゃんがいるんだ、ってわかったら、何をするにも赤ちゃんへの影響を考えちゃうの。
結局、イースとは話し合えないまま、食堂を訪れる日になった。おじさんに言われていた通り、開店前の早い時間に行くと、知らない男の人を紹介される。
「初めまして、レディ。デイブ・ネルソンです」
ミルクティーみたいなブラウンの髪にアンバーの瞳をしたデイブさん。年は多分、二十代後半くらい? ちょっとふっくらした身体でお洒落なスーツを着こなしていて、紳士という言葉がよく似合う。貴公子そのものみたいな雰囲気のデイブさんと庶民的な食堂の組み合わせはちぐはくで、なんだかおかしい。
自然な動作で私の手を取ったデイブさんは、そのまま流れるように手の甲に唇をそっと落とした。イース以外の男の人にまともに触れられたことのない私は、ただの挨拶だとわかっているのにドキドキして、暫くの間ずっと心臓がうるさかった。
サニーちゃんに選んで貰った服を着て来ていて良かった。
「デイブはこう見えて中々やり手で、自分で立ち上げた商会をやってるんだ。リリーちゃんのスキルについて話したら、会ってみたいっていうもんだから来てもらった」
胸を張るおじさんは、本当に私のことを考えて動いてくれていたのだ。有難くて、なんだか涙が出そうになるのをぐっとこらえる。
それにしても、やり手の商会長がなんで私のゴミスキルなんかに……?
「あの、私のスキルに興味が……?」
「はいっ! おやっさんから話を聞いて、これは!と思いまして」
嬉しそうに答えるデイブさんに困惑する。この人、私のスキルについて勘違いしているんじゃ……。
「あの、折角そう言っていただいたのに申し訳ないんですが、私のスキルは<腐敗>、役に立たないゴミスキルなんです……」
「何を言うんですか! ゴミスキルだなんてとんでもない! 私からしたら最高のスキルですよ!」
「ええ……?」
前のめりで熱く語るデイブさんに促されるまま、食堂が開店するまでの間、話を聞くことになった。
ちなみにおじさんとおばさんは役目は済んだ、とばかりに仕込みに戻っている。迷惑をかけてしまって申し訳ない。
「<腐敗>っていう言葉だけを聞くと確かにいいイメージがないんですけど、実は<腐敗>って、言い換えれば<発酵>なんですよ」
「発酵……?」
いまいち理解出来ない私に、デイブさんが丁寧に説明してくれる。
お酒や味噌、チーズ、ヨーグルト……他にもあるけれど、これらの食品は全部製造の過程で発酵が重要になってくるらしい。
そして、発酵と腐敗は言い方が違うだけで、起きる現象というのは同じなのだそう。便宜上、私たちにとって都合のいい有益な物を“発酵”、有害なものを“腐敗”と呼んでいるに過ぎない……らしい。
そしてデイブさんのやっている商会は、食品を中心に扱っている会社で、王都から少し離れた自然豊かな場所で、ワインやチーズなど発酵食品を多く作っているそうだ。生産から流通までの管理をデイブさんとその家族でやっているんだって。
「えーと、つまり、私の役に立たないと思っていた<腐敗>のスキルが、もしかしたらそのチーズやワインといった発酵食品を作るのに使えるかも、ってことです?」
「かも、じゃありません! 絶対に有用です! あなたのスキルを上手く使えば、王都一、いや、国一番……いや!世界で一番のワインやチーズが作れるでしょう!」
鼻息荒く語るデイブさんの頭の中には、既に明るい未来が見えているらしい。つられて私まで、もしかしたらこの先は、思っていたよりずっと明るい未来が待っているんじゃないか、って……希望を持ってしまいそう。
「聞けば、お仕事が中々見つからなくてお困りとか。これは神のお導きに違いありません! 私と一緒に働いてもらえませんか?」
目の前に差し出されたデイブさんの手。
何のためらいもなく握れたらよかったのに。
「少し……考えさせてもらえませんか」
本心を言えば、やってみたい。ゴミだと思っていたスキルが人の役に立てるなら、こんなに嬉しいことはない。
デイブさんはまずは王都でスキルについて調べてみよう、って言ってくださったけれど、本格的に仕事をするなら、デイブさんが実際にワインやチーズを作っている場所まで行って働く必要がある。
個人的には王都にこだわりはない。でもイースがいる。たとえ関係が上手くいっていなかろうが、私はイースの妻なのだ。一人で勝手には決められない。
それに――私のお腹には子どもがいる。夫ですら、まだその存在を知らない子ども。
今この瞬間も子どもはすくすくと育っているだろうに、どうすべきか、未だに私は決められないでいる。折角デイブさんの所で仕事を見つけたとして、出産前後は働くことは流石に出来ないだろうから、それも問題だ。
今ここでデイブさんにお腹の子のことを伝えるか迷ったけれど、まずは誰よりも先にイースに伝えるべきだ、って私の心が叫ぶ。
折角早い時間から足を運んでもらったデイブさんに即答しなかった……ううん、出来なかった私。
けれど、デイブさんも、そしてデイブさんを紹介してくれた食堂のおじさんも、焦る必要はないからゆっくり決めるといいよ、って言ってくれた。
頭を下げて、その優しさに甘える。
絶対に、イースと話そう。イースが帰って来るまで絶対に待っていよう。固く決意した。
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