初恋の終わり ~夢を叶えた彼と、居場所のない私~

あんこ

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リシュリー⑰

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「では、まずは婚姻の事実があったのかどうかを私の方で確認してみます。それから、イース氏の素行調査も並行して行おうと思いますが、それで宜しいですか?」

 デイブさん達に現況を打ち明けてから数日後――私はデイブさんの店の上階にある休憩スペースを借りて、弁護士と会っていた。名前をジュンさんといい、普段はデイブさんの知り合いの所で顧問弁護士を務めているそうだ。
 パリッとスーツを着こなすジュンさんは如何にも出来る男、といった風貌で、彼に任せれば大丈夫だ、と言うデイブさんの言葉が実感を伴って理解出来た。

 あれから王宮へ行くのは止めた。
 これ以上同じことを繰り返していても、仕方がない。その分、午前中もデイブさんの店を手伝うようになった。
 ここ数日は、午前は店の品出しや簡単な接客を手伝い、午後は裏でスキルの検証をする、というサイクルで過ごしている。

 晴天の今日は週末ということもあってか、人出がいつもより多く、集客のピークも早そうだ。デイブさんやマイラさんは妊婦なのだからゆっくり座って店番しているだけでいい、と言ってくれるが、お金を貰う以上そういう訳にはいかない。

 王都のメインストリートにあるデイブさんの店は、基本的には扱っている商品の販売よりも、商品の紹介に重きを置いている。価格的に貴族や平民でも富裕層でないと購入しづらい値段であるので、扱う商品を気に入って貰った後は、基本的にその家への直接納品になるからだ。
 その分、商品の並べ方や展示の仕方には気合を入れていて、この日の私は新商品のワインビネガーを店頭に美しく並べていた。白ワインから作ったというビネガーは、太陽の光が当たると複雑な装飾が施されたガラス瓶の光が乱反射し目を引くのだが、直射日光は保存の観点からは避けるべき、とのことで、中々展示の仕方が難しい。
 試行錯誤していると、ふと視線を感じた。顔を上げようとした時、声が聞こえてきた。


「イース、急に立ち止まって、どうしたの?」


 声の主は、イースと同じ明るい金髪をした女性。
 いつかイースと腕を組んで歩いていたのを見かけた、あの時と同じ女性だと直感で分かった。

 女性の隣には、私がずっと会いたかった人。
 同郷で、幼馴染で、初恋の人で、事実はどうあれ、私の中では未だにまだ私の夫である筈の人。
 あんなに毎日王宮に通い詰めても会えなかったのに、こんな形で顔を合わせるとは予想していなかった。

 久々に見るイースは、相変わらずキラキラしい容姿をしていて、村にいた時よりずっと身形に気を配っている様子だ。
 ここ数ヶ月ですっかり窶れた私とは正反対のその姿に、私の知っているイースはもういないんだ、って再確認させられる。

 イースはどんな気持ちで足を止めたのだろう。
 こちらを見る瞳には、以前の私に向けていた熱はもう無い。あるのはただ、純粋な驚きと――。


「なぁに? あの子、イースの知り合い?」


 女性がイースの顔を覗き込む。
 明らかに私より年上の彼女は、ぴったり身体に沿う大人っぽいワンピースを着こなしていて、色気がある。髪や華奢な指先まで艶々で、全身に手入れが行き届いているその姿は、生活に疲れた私の姿とは雲泥の差で、悔しいけれど私よりずっと今のイースに似合っている。

 その人、誰なの?
 妻は私でしょ?
 どうして、私から逃げるの?
 何故エイダンさんにまで嘘をつくの?
 ねぇイース……私、妊娠したんだよ。

 言いたいことは、いくらでもある。
 イースと別れる、とデイブさん達には言い切ったけれど、心の内ではまだ割り切れていない。別れると決めた思いは揺るぐことはないけれど、それでも時間が経つにつれ、じわじわと、もしかしたら……と僅かな期待をしてしまう私は、なんて未練がましく惨めなんだろう、と自分でも思う。
 けれど、ジュンさんの調査が出るまでは、誰がなんと言おうと、私はまだイースの妻だ、って、そう思うくらいは許してほしい。

 だけど、いざ面と向かうと言葉は出てこなくて、私はじっとイースの瞳を見つめることしか出来無い。
 ほんの数秒。視線が交差して、先に逸したのはイースだった。


「あいつ? 昔寝たことがある女。それだけ」

「なぁんだ。そうなの」


 その瞬間、女性は勝ち誇ったようにイースにピタリとくっつき、腕を抱え込んだ。


「そこの貴女、ご愁傷様。この人は私のものなの。私たち、すっごくんだから。残念だけど、諦めてね。貴方とイースじゃ、釣り合わないでしょ」


 違う! その人は私のもの! 私の夫なの!

 そう叫びたくても、”釣り合わない”――これまで幾度も言われた言葉が胸を刺す。私とイースが釣り合わないことなんて、言われなくても分かっている。
 イースはどこまでも、私を傷付けたいらしい。女性に同調するように笑い声を上げると、女性の腰に手を回しピッタリと寄り添って去って行った。

 何も言えないまま、ふたりが太陽の下、金の髪を煌めかせながら去って行くのをじっと眺める。今すぐにでも泣き叫びたいのに、口から漏れるのは乾いた笑いだけだった。



 その日の夕方、デイブさんを通してジュンさんから連絡があった。
 やはり、というか、私とイースの婚姻は成立していなかった。
 そしてそれは、これまでイースによって意図的に隠されていた。だって今朝、イースは言っていた――私のことを「昔寝た女のひとりだ」と。

 いくら浮気相手に愛想を尽かした妻の存在を隠すためだとて、あまりにも酷い言い様だ。

 けれど、実際客観的に見れば、彼にとって私という女は既に、『妻でもなく』『養ってもおらず』『生活を共にしてもおらず』『長らく身体を繋げることもない』、真実単なる昔寝た女のひとりに過ぎなかったのだ。
 彼はただ彼にとっての真実を口にしていたに過ぎない。だって彼と私は今も昔も――夫婦だったことなど、一度もないのだから。

 イースとすれ違い始めた、と、私が感じるよりずっと前からイースは私を妻として扱う気は無かったということだ。

 じゃあ一体いつから?
 いつから、イースの中で私はそういう存在になったのか。
 村にいた時から?
 でも、じゃあどうして一緒に行こう、なんて行ったのか。
 どうしてプロポーズなんてしたのか。
 あの瞬間も、あの時も、イースは口では愛している、と言いながら、違うことを考えていたの?

 考えても、答えは見つからない。

 結局のところ、私が宝物のように大切にしてきた、イースと過ごした十六年以上の時間は、数ヶ月の王都での華やかな暮らしと秤に掛け、あっさり打ち捨てられるような価値しかなかったということだ。
 イースにとっての私はその程度の物だった。情け容赦のない現実に打ちのめされる。

 最愛だったイースを失って、故郷にも帰れない。お金も無い。唯一残ったのが、あんなに疎んできた〈腐敗〉スキルだけだなんて、笑ってしまう。

 ぽこり。

「――え?」

 膨らみかけた下腹部に手を当てる。それはまるで、お腹の子が自分がいる、と主張しているようだった。

 
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