初恋の終わり ~夢を叶えた彼と、居場所のない私~

あんこ

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イース➄

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 田舎の親から手紙が届いた。
 そういえば、まだ前に貰った手紙も開封していなかった。随分前に手紙を返信した際、中々家に帰れないから宿舎に手紙を送るように伝えたんだった。あの時はまだ、リシュリーと別れよう、とまでは考えてなかったんだっけ。

 正直、別にわざわざ書いて送りたいこともない。手紙代もそれなりにかかるのだから、頻繁に送って来なくていいのに……と思いつつ、手紙を開けると母からだった。お世辞にも綺麗とは言えない字で色々と書いてあったが、要約すると『俺の身体が心配』と『リシュリーちゃんから最近手紙が来ないが元気でやっているのか? 子どもはまだか?』という内容だった。

(……リシュリーの奴、親に話していないのか?)

 母がまだ俺とリシュリーが別れたことを知らないことに驚いた。リシュリーが王都に留まるにしろ、村に帰るにしろ、俺との関係が破綻したことについてはもう村中に広がっていても不思議ではないと思っていた。

 それもあって、手紙を放置していたのだ。
 俺の両親はリシュリーを気に入っていたから、俺とリシュリーが別れたと知ったら色々と五月蠅そうだから、ほとぼりが冷めるまでは連絡を絶つつもりだった。
 あの村から出たことのない両親には分からないだろうが、村じゃ、付き合った男女は大抵そのまま結婚コースだったが、都会じゃ別れたりくっついたりするのはよくあることだ。
 今の俺はもう、あの小さな村で生きて行こう、とは思えない。



✚✚✚✚✚✚



「新しい奴が何人かくるらしいぜ」


 食堂でそんな噂を聞いた日の昼、隊長に呼び出された。


「お前、やってくれたな」

「……? 何のことですか?」

「ソーンさんの所のことだ」


 ソーンさん……? 誰ですかそれは、と言いかけて、記憶に引っ掛かるものがあった。

(あ、そうだ、確か……)


「ええと、ソーンさんて、あれですよね。部屋を貸してくれていたあの大家のおばあちゃん」

「ふん、家賃や約束は忘れても、名前くらいは憶えていたか」


 思い出せてホッとした所で、隊長から向けられる視線が鋭いことに気付き、ヒヤッとする。


「え、あの……? 俺、もうあそこには住んでいないですよ。彼女と別れたんで、宿舎に入ってます」

「そんなことは知っている。俺は、お前が常識的な手続きを踏んでいたと思っていたが違ったようだな」


 正直、今更随分前に出た家のことを持ち出されても戸惑うばかりなのだが、隊長の顔には軽蔑と怒りが浮かんでいて、余計な言葉を言えそうな雰囲気では無い。


「新人の一人は既婚者でな。まだ若いが妻子がいる。お前が宿舎にいるなら部屋に空きがあるだろう、とソーンさんの所へ行った訳だ。またうちの新人に部屋を貸してやってくれ、とな。渋い顔をしたソーンさんに理由を問うと、お前の名前が出た。そこで聞かされた話に驚いたよ」

(な、何を言われたんだ……?)

 憎々し気に口の端を吊り上げる隊長は、普段の朗らかさが嘘のように冷気を漂わせている。まるで倒すべき敵のような視線を向けられ、心臓が縮み上がる。


「お前、早くから家賃滞納していたんだってな。約束の力仕事も手伝ったのは最初だけ。挙句、出て行く時には挨拶もなかったそうじゃないか。最後の家賃を払ったのも掃除や退去手続きをしたのもお前の幼馴染だけ。青い顔で頭を下げていた彼女が気の毒でこれまで俺に言えなかったそうだ。俺の紹介する騎士だからと信用して貸したが、裏切られた思いだと言われた俺が、どれだけ恥ずかしかったかお前に分かるか?」

「そ、それは……」


 そう言えば、と徐々に記憶が蘇ってくる。
 リシュリーと王都に出てきた当初、住む場所に困った俺たちにあの部屋を紹介してくれたのは隊長だった。通常はまとめて一年分払わなければならない所を、隊長の紹介だから、と力仕事を手伝うことを条件に三カ月ごとの家賃の支払いで契約して貰ったんだった。

 最初は家賃を払いに行く時に、頼まれた力仕事をやっていた。忙しくなる内に家賃を払いに行く期日を忘れがちになって……でも、後からきちんと持って行っていたから問題なかった筈だ。ああ、でもそういえば、最後は家賃、払っていなかったかも知れない。その頃にはもう、俺はリシュリーと別れたつもりだったし、あの部屋に帰っていなかったから。
 もしかして、リシュリーが家賃を払っていたのか……?


「ソーンさんに迷惑をかけただけじゃなく、お前は俺の顔を潰したんだ」

 青ざめて何も言えない俺を睨みつけて、隊長は部屋を出ていった。



✚✚✚✚✚



「お前、何やらかしたんだ? 隊長キレてたぞ」


 午後の勤務中、先輩騎士と二人で王宮内の見回りをしていると尋ねられた。


「こっちに来たばっかりの時借りていた部屋のことで、ちょっと……」

「ふーん?」


 まさか、隊長が紹介してくれた部屋の家賃を滞納していたなんて、言えない。
 でも、あんなに睨まなくてもいいじゃないか。騎士の給料は思った程高く無かった。家賃を払ってリシュリーの生活費も負担して……俺としては一生懸命にやっていた。退去の挨拶くらいはするべきだったのかも知れないが、俺と別れてもリシュリーが住んでいたんだから、部屋を引き払う諸々の手続きはリシュリーがするのが当然だろ?


「何やらかしたか知らないけど、お前、きちんと謝ったのか?」

「そりゃ、謝っ――……あれ?」


 昼間の記憶を辿る。そういえば……俺、謝罪していなかった、かもしれない。言いたいことだけ言って隊長は部屋を出ていってしまい、取り付く島もなかった。
 混乱する俺の隣で、先輩騎士の口から深い溜息が漏れた。


「言いたくないけど、お前さ、最近ちょっと評判悪いぞ」

「は?」

「訓練にも身が入っていないし、勤務中もあまりやる気が感じられない。入隊した頃から変わったよな、お前。上手く隠しているつもりかもしれないが、そういうのって傍から見てれば分かるぞ」


 反論したいが、訓練に身が入っていないのも入隊した頃のようなやる気を失いかけているのも本当のことで、何も言い返せない。


「お前はまだ若いから言ってやる。直接注意されたり叱られている内が華だぞ。大体の人間はな、自分の時間や労力を割いて相手の駄目な所や悪い振る舞いを一々口に出して注意したりはしない。ただ見切りをつけて、そっと離れていく。それは何処でも同じだ。俺はそうやって道を踏み外して消えていった奴を何人も知っている。取り返しがつかなくなる前に建て直せよ。この職業、信頼が第一だぞ」


 それだけ言うと、俺を置いて先に行ってしまった。

 傍から見て、俺は道を踏み外している、ってことか……?

 
 その後、隊長に部屋の件を詫びようとしたが中々チャンスが無く、謝罪のタイミングを逃していた。
 そうこうする内に久々の遠征任務の要請があった。王都から馬で二日程の距離にある領地の沼に、毒ガエルが大量発生しているらしい。こういう難易度は低いが労力の掛かる任務は、若手の騎士に回って来る。俺はすっかり遠征するつもりで荷物を纏めていたが、遠征のメンバーに俺が選ばれることは無かった。
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