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イース⑥
しおりを挟むなんだか最近、上手く行かない。色んな物事の歯車が、ちょっとずつちょっとずつ、知らない間にズレていっているような……。
先輩の騎士に注意されてから、流石にまずいと思い再び朝晩の自主鍛錬を再開したが、一週間も続かなかった。
隊長と未だにギクシャクしている俺と、以前のように親しくしようという人間は少ない。特に、俺と同じような下っ端の奴らは。
加えて、自意識過剰と言われればそれまでだが、何故だか先輩や上の階級の騎士たちから観察されているような気がして、どうも居心地が悪く、演習場に足を運ぶのがすっかり億劫になってしまった。
元々、スキルによる補正もあって、俺の剣の腕前はかなり高い。騎士団の演習にはきちんと参加していて問題なく過ごせているし、今までの鍛錬の仕方は少し過剰だった、と自分に言い聞かせる。「手を抜ける時は抜いておいて、ここぞという時に溜めていた力を出せばいい」って、いつだったか誰かも言っていたしな。
いつもより早く仕事を上がれた日、宿舎に帰ると下働きのメイドがよろよろと籠を運んでいる場面に出くわした。宿舎では掃除は各自でやらなければならないが、洗濯は専用の籠に入れて置けば数日置きにメイドが纏めて洗濯してくれることになっている。
籠が重いのか、それとも大量の服で前が見えないのか、亀より遅い歩みのメイドを見ていられなくて、思わず声を掛ける。
「君、大丈夫? 手伝おうか」
振り向いたメイドの顔は洗濯済の服でよく見えないが、突然話しかけられ驚いていることは気配で伝わって来た。
「い、いえっ、とんでもないです! お目汚しすみません」
慌てて去って行こうとしているらしいが、相変わらずスピードはかなり遅い。
俺はメイドから強引に籠を奪うと、胸の前でそれを抱えた。
「えっ!? あ、あの、本当に大丈夫ですから……!」
「いいよ。どこに運べばいいの?」
観念したのか、メイドは眉を下げると裏口へ歩き出した。赤毛にそばかすの散った若い女の子で、化粧はしておらず、ぴっちりと結われた髪は田舎の村にいた女たちを思い出させる。彼女は何故だが俺と目を合わせようとしなかった。その声は僅かに震えているが、こういう反応をされるのはよくあることなので気にしない。
村を出るまでは自覚が無かったが、俺はどうやら見目がいいらしく、初対面で女に好意を持たれることも少ない。自分に自信のある女は堂々と誘惑してくるし、逆に彼女のような純朴な女は視線を合わせられず頬を染めてくるのだ。
思えば、自分の容姿がいいと気付いてから、化粧もお洒落もロクにしないリシュリーに苛立つようになった。王都にいる人間は男も女も皆、それなりに見た目に気を遣っているから、田舎の村にいる時となんら変わらないリシュリーの隣を歩くのが、急に恥ずかしくなったんだ。
「君、いつも一人でこの量をやっているの?」
「い、いえ、いつもは二人なんですけど、今日はもう一人の子が休みで……」
「ふーん、そうなんだ。そう言えばメイドの子達に会ったことなかったなぁ。君は最近入ったの?」
「……いえ、もう一年程働いています」
「あ、そうなんだ。なんかごめんね」
「いえ、いいんです。私たちメイドはなるべく騎士様の目に触れないように言われてますから」
指定された場所まで籠を運び、メイドの少女と別れた。別れ際、籠を返そうとした時、それを受け取った彼女の手は酷く荒れていた。
その光景は俺に、一緒に暮らしていた時のリシュリーの手をふと思い起させた。
村にいた頃は、彼女の手は若い少女らしく滑らかで瑞々しかった。王都に出て来てから久々に手を繋いだ時、リシュリーの手ががさがさ乾いていて驚いたっけ。掃除や洗濯、料理なんかの家事はあの頃、全てリシュリーは引き受けてくれていた。
労わるべきだったのに、あの時の俺はそれを不快に思った。化粧もしないんだから、手のケアくらいはすればいいのに、って。そこから手を繋がなくなった……気がする。
今思えば、なんでそんな風に思ったんだろう。あれは、働き者の手だっただけなのに……。
✚✚✚✚✚
宿舎の部屋で一人にいると、ふと焦燥に襲われる時がある。自分が何か取り返しのつかないことをしてしまったんじゃないか、という漠然とした不安がどこからか湧いてくるんだ。
そういう時に頭を過ぎるのは、嫌なことを忘れさせてくれるアルカや他の女ではなく、何故か村にいた時いつも傍にあったリシュリーの幼い笑顔。
不思議なもので、リシュリーと一緒に住んでいた時よりも、別れてからの方が彼女を思い出すことが増えた。人生の殆どを一緒に過ごしていたのだから、それも当然のことなのかもしれない。
一人で部屋にいるとどうも気持ちが暗くなりがちだ。
外に出て街をぶらつく。特に目的地は意識していなかったが、気付けばアルカの店に足が向いている。毎日のように通っているから身体が道を覚えてしまっているらしい。
折角来たので店に入ると、珍しくアルカの姿が無かった。
「あら? アナタ……」
テーブルを拭く手を休めず、俺を見て目を細めた彼女には、俺も見覚えがある。
「えーと、確かサリアちゃん、だったっけ? エイダンお気に入りの」
「お気に入り、ね……まあ、否定はしないけど。アルカなら今日は休みよ。聞いてないの?」
「そうなんだ、知らなかったよ」
「……帰らないの?」
椅子を引いて座ろうとする俺にサリアが訝し気な目をする。
「帰ってほしいの?」
「別に、そういう訳じゃないけど。誰も貴方とは二階に行かないわよ?」
まるで俺が“連れ込み部屋”目当てに店に通っているような言い方をされ、カチンとくる。
「別に俺は“二階”が目当てで此処に来ているわけじゃないから」
「ふーん、そうなの。知らなかったわ」
「……なんかサリアちゃんって、最初に会った時と態度違うね。一応俺も客なんだけど、人によって態度変えるのってよくないよ?」
エイダンにさらりと紹介された時の彼女は、もっと優しい雰囲気だった。癒されたくて店を訪れたのに、刺々しい態度で出迎えられ気分が悪い。
思わず注意すると、サリアは一瞬呆れた表情を浮かべたが、すぐに愛想笑いを浮かべた。
「は、よりにもよってアルカを贔屓にしている貴方がそれを言うワケ?……って言いたいところだけれど、確かに私は仕事中だから我慢してあげる。で、ご注文は?」
「……気分が悪くなったから帰るよ」
「そうですか? 残念です」
口にする彼女の声も表情もちっとも残念そうではないのが何故だか悔しい。エイダンはこんな女の何処が気に入っているんだ?
「ねぇ」
扉に手をかけた所で、背後からサリアの声が飛んできた。立ち止まって振り返る。
「お世話になっているエイダンの後輩だから忠告してあげる。あんまりアルカを信用しすぎない方がいいわよ。下っ端君」
……聞くんじゃなかった。
サリアはとことんアルカが気に入らないらしい。
俺は荒っぽく扉を引き、今度こそ店を出た。
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