初恋の終わり ~夢を叶えた彼と、居場所のない私~

あんこ

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イース⑪

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 先輩の奥方は、驚くべきことに俺に文句を言うことも罵倒することも無かった。三日間の停職も、「丁度屋根の塗りなおしをしてもらおうと思っていたのよね~」なんて軽く笑って受け入れる、心の広い人だった。
 
 ……面と向かって罵倒された方が、余程マシだった。
  有難く思う一方で、家族団欒の夕食に混じりながら、俺は俯いて顔を上げることが出来なかった。

 夕食をご馳走になった帰り、先輩が俺に言った。


「俺もお前みたいに小さな村から出てきたんだ。妻には言えないけど、正直に言えばこっちの色々な誘惑に流されそうになったことは何度もあるよ」


 心身ともに安定している印象の先輩騎士の言葉に驚いて顔を仰ぐと、苦笑した彼が穏やかな瞳で俺を見ていた。


「騎士団にも王都にも、色んな奴がいるからな。自分を持っていないと、流されたらあっという間だ。俺が流されずになんとかやってこれたのは、妻と子ども達のお陰だ。重石、っていうと言い方は悪いが、あいつ等の存在が支柱となり俺を押しとどめてくれた。重荷に思うことが無い訳じゃないけれど、俺は家族に感謝してる。
 なぁ、イース。お前にとっての重石は、あの幼馴染の彼女じゃなかったのか?」


 問いかける先輩に、俺は返す言葉を持たなかった。
 宿舎までの帰り道、王都に出てきてからの様々な出来事が頭の中を巡る。先輩騎士は「連絡、してみろよ」と言ったが、今更そんなこと出来るわけがない。

「おかえり」と微笑みながら出迎えてくれた先輩騎士の奥方の姿が、いつかのリシュリーと被る。
 王都に来たばかりの頃、仕事から帰るとリシュリーもああして笑顔で出迎えてくれた。温かい食事と、清潔な部屋、他愛もない会話。それにどれだけ癒されていたか、いつの間にかすっかり忘れていた。

 アルカにされたこと――突然連絡を絶ち、目の前から消え、偶然会えば他の男を前に邪険に扱われる。
 置かれた状況も考えず、思わず暴力をふるってしまう程怒りを感じた。そして激情が過ぎれば、屈辱や悲しみ、惨めな気持ちが湧いて来た。

 だけど、アルカにされたこと全部、どれも俺がリシュリーにやったことばかりだ。否、俺がやったことはもっと酷い。
 小さい頃からずっと一緒にいたのに。形だけ結婚して、夫婦でないことすら伝えなかった。自分が誘惑や周囲の言葉に流された結果をリシュリーのせいにして、向き合うことすら放棄した。
 思い返せば、リシュリーは何度も俺と話し合おうとしていた。それに耳を貸さず拒絶したのは俺だ。

 本当は心の奥底では薄々分かっていた。自分のやっていることが正しくないって……。後ろめたさから目を逸らして、楽な方へ逃げたんだ。
 心変わりしたんなら、せめてきちんと終わらせるべきだったんだ。他の女を侍らせて、あんな酷い言葉を言うべきじゃなかった。

 自分が同じことをされて初めて自分の行いの残酷さに気が付くなんて……俺は、本当に馬鹿だ。



✚✚✚✚✚✚



 謹慎処分が明けた。
 周囲の騎士からは腫物に触るような扱いを受けている。それも当然だ。俺の軽挙で、騎士団全体が積み上げてきた信用に傷をつけたのだから。

 俺と同時期に入隊した下級騎士たちは二つのグループに分かれ始めていた。上層部に認められ、階級を上げていく騎士と、そうでない騎士だ。
 上司からの心象も悪く、謹慎の事実がある俺は出世コースからは当然、そうでない方に入る。俺より数段剣の腕が劣る同期が昇格していく姿を見ながら、唇を噛む。

 今更ながら再び村にいた時のように朝・晩の鍛錬を再開したが、それで何に繋がる訳でもないと分かっている。戦時中でもなければ、剣の腕と同じ位に人格や振る舞いも評価の対象になるのだ、と気づいたが遅かった。

 平和な時世で、役職にも限りがある。何年も下級騎士で上に上がれず燻っている騎士は多い。
 これ以上の出世は難しいと悟った同期の若い騎士の中には、騎士を辞め他の業種に就く者や、主を変え貴族家の護衛として勤め始める者が出始めた。

 あれ以来、娼館は勿論、アルカがいたような酒場にも足を運んでいない。あんなに時間も金を費やして、俺に残ったものは何も無かった。

 そもそも騎士になりたいと思った切っ掛けはリシュリーだった。その理由を失った今、俺はこのまま王都ここで騎士を続けるべきなんだろうか――?

 自問自答しながら日々を送る中、年に一度の公開演習の直後、とある伯爵家の使用人から声を掛けられた。公開演習で俺の剣の腕に目を付けた主が、護衛として引き抜きたいと言っているらしい。

 俺は一般人を殴って謹慎処分を受けたことがある。不名誉な経歴を正直に告白し断ったが、相手はそれを承知の上だと言う。見目も腕もいい護衛は中々見つからないから是非に、と何度も請われ、悩んだ末に俺はその話を受けることにした。

 未だ俺を気に掛けてくれていた幾人かの先輩騎士や同期には、「寂しいが、流されずに頑張れよ」と優しい言葉を貰い涙が出そうになった。

 田舎の両親には、簡単な手紙を送った。
 王宮を辞めて貴族家の護衛騎士に転職すること、リシュリーと別れたことを書く。
 次に会った時は質問攻めに遭うことだろう。
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