初恋の終わり ~夢を叶えた彼と、居場所のない私~

あんこ

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イース⑫

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 新たに仕えることになったのは、王都から馬車で二日程かかる場所に領地を持つ伯爵家だ。伯爵家は当主の伯爵とその夫人、跡取りの嫡男とその妹の四人家族で、当主の伯爵以外は一年の殆どを王都のタウンハウスで過ごしているらしい。

 俺を雇ったのは、王都と領地を行き来することの多い伯爵の護衛を強化するためだと言う。なんでも、王都と領地を繋ぐ街道に度々盗賊が出現しているらしい。幸いにして伯爵家は誰も盗賊に狙われたことはなかったが、用心に越したことは無い。
 実際に伯爵の移動に同行するようになった俺から見ても、確かにこの街道は狙われやすいだろうな、と思う条件が揃っていた。途中で通る狭い山道は反対側に広い川が流れており、道を塞がれてしまえば容易に引き返すことも出来ない。途中途中に死角も多く、突然山側から飛び出して来られたらかなり危険だ。

 治安の維持がメインだった騎士団での仕事に比べると、ヒヤリとする場面も多いが、それ以上にやりがいを感じていた。

 騎士団を辞した俺は、騎士爵ですらなく、ただの平民でしかない。粗相をすれば直ぐに処罰されてもおかしくない、と始めの頃はびくびくしていたが、伯爵家に勤める人は皆親切だった。護衛仲間の中には貴族家の生まれの者もおり、年齢も様々であったが、皆気取らない性格ですぐに溶け込むことが出来た。

 それに、何より良かったのは王都の喧騒から離れることが出来たことだ。
 騎士団に入っていた時は、勤務時間外は外出も自由で行動に制限を受けることは殆ど無かった。

 しかし、伯爵家では違う。
 切れ者と噂の伯爵は頻繁に領地を行き来し、突発的な外出も多い。それらに対応するため、基本的には終日休みの日以外の外出は禁止されている。食事は福利厚生の一環として提供され、服や剣も支給されるので、それで困ることは殆ど無い。
 同僚は「出会いがねぇ!」と嘆いていたが、アルカの一件以降、そういったことに気持ちが向かなくなってしまった俺にはちょうど良かった。

 俺は弱いから、誘惑に触れる回数は少なければ少ない程良い。
 こうして振り返ってみれば、俺は妙なコンプレックスを拗らせ、必要以上に自分を良く見せようとしていた。それがリシュリーを蔑ろにし、娼婦やアルカを優先する行いに繋がったのだ。
 俺は弱いから、王都のような華やかな場所でももう決して流されない、とは言えない。だから出来ればずっと此処で、伯爵家に仕えていきたい。
 そんな風に思っていた俺に転機が訪れたのは、伯爵家で勤め始めて一年が経過しようという頃だった。



 その日もいつものように領地に戻る伯爵の護衛の一人として働いていた。
 一つ違ったのは、この日は馬車の中に伯爵家の一人娘であるお嬢様もいた、ということだ。毎年伯爵家の領地の祭りで踊りを披露することになっているらしい。
 今まで遠目にしか見たことの無いお嬢様を、この時初めて間近で見ることになった。栗色のストレートの髪を下ろしたお嬢様と一瞬目が合う。
 珍しい紫色の瞳にリシュリーを思い出して動揺する。顔立ちも背格好も全く似ていないのに、彼女がそこにいるような気がして、俺はそれ以上お嬢様の姿を真っすぐ見ることが出来なかった。

 何事もなく一日が過ぎた。いつもの宿に泊まり、領地に向けて出発した翌日。思わぬことが起きた。
 例の街道で、盗賊に襲われたのだ。

 その時俺は馬車の後方で騎乗しながら周囲に気を配っていた。不穏な気配を感じた数秒後、前方で馬車に繋がれた馬が高く嘶き暴れ出した。慌てて確認すると、馬の背に矢が刺さっている。

「きゃあああああ」

 叫び声と共に馬車が横転し、気付けば周囲を薄汚い男達に囲まれていた。

「ちっ、外したか」

 リーダーらしき男が吐き捨てたのを合図に、男達が一斉に襲い掛かって来る。
 馬車の中の伯爵とお嬢様の無事を確認するまでもなく、そこからは無我夢中で戦った。

 どのくらい戦ったのか、気付くと周囲には息も絶え絶えの盗賊たちが転がっていた。
 幸い、横転した馬車の中から助け出した伯爵とお嬢様は無事だった。俺と他に四人の護衛も皆、怪我の大小はあれど命に別状はない。

 流石に当主だけあって伯爵は冷静だったが、お嬢様は恐慌状態に陥っていた。馬車はもう使えない。仕方なく、二手に分かれて先に伯爵とお嬢様だけを送り届けることになった。馬の負担を軽くするため、護衛の中で一番体重の軽い俺がお嬢様と二人で騎乗することになった。

 特別な何かをした訳では無い。震えるお嬢様を可哀想に思ったが、演習以外で人と戦ったことのない俺にとっては、実質これが初めての戦いで気分が高ぶり、他人を気遣える余裕はなかった。
 指示された通り、怯えるお嬢様を前に乗せ、警戒を怠らずに馬を走らせた。会話も「しっかり掴まって下さい」とか「少しスピードを上げます」とか必要最低限のことを話しただけだ。


 だというのに、何故かその日以降、お嬢様が俺の周りをうろつくようになった。
 最初は、気のせいだと思った。俺の仕事は伯爵の警護がメインだ。事件に遭った不安から、父親に頻繁に会いにきているのだろう、と軽く考えていたのだ。
 護衛中は基本的に私語は禁止されているものの、主家のお嬢様に話し掛けられて無視するわけにもいかない。
 見兼ねた侍女や家令がお嬢様に注意して、その場は収まるのだが、お嬢様の行動は次第にエスカレートしていった。

 護衛中は周囲に咎められると学習したらしいお嬢様は、演習場や護衛騎士の休憩所に差し入れを持って現れるようになった。何故か俺の休みの日を知られており、買い物やお茶会に付き合わされることも増えた。護衛騎士の仲間の殆どは俺に同情的だったが、一部やっかむ者もいて居心地が悪い思いをすることもある。

 遠回しに「好きだ」と言われることもあり、俺はほとほと困っていた。主家のお嬢様を邪険に扱えないだけでなく、お嬢様の菫色の瞳は俺にリシュリーを連想させて、遠くなりつつあった罪悪感や後ろめたさを喚び起こす。なんとか躱してきたが、それも限界だった。
 大体、お嬢様は伯爵家の一人娘で、平民の俺となど結婚出来る訳がない。それにお嬢様は気付いていないようだが、時々屋敷にやってくる従兄はお嬢様に想いを寄せている。同僚から聞いた噂でも、婚約者候補らしい。従兄の少年に氷のような冷たい視線で睨みつけられる俺の身にもなって欲しい。

(これが、本当に大切にすべき人を大切にしなかった罰なのか?)


 ある日、伯爵に呼び出された。こんな風にわざわざ執務室に呼び出されて話すのは、伯爵家に採用された時以来だ。
 伯爵の隣には、何故か例の従兄までおり、相変わらず親の仇のような目で俺を見てくる。
 ――遅かれ早かれ、こうなる予感はしていた。


「何故呼ばれたかは分かるかな」

「……お嬢様のことでしょうか」

「そうだ。娘が君に熱を上げているのは、例の事件の恐怖による一過性の熱病みたいなものだと思っていたのだがね。先日、ついには君と結婚したいと言い出したのだよ」

「それはっ! 旦那様、私にそんな気は――」

「ああ、それはわかっているよ。調べた限り、君はうちの娘みたいなのは好みじゃないだろう」


 伯爵の執務机から取り出され、ばさり、と目の前に投げ出される紙の束。
 どくり、と心臓が鳴る。
 俺は、恥じるようなことはしていない。だけど、それはあくまで伯爵家ここに来てからの話だ。騎士団で働いていた頃の俺は、恥じることばかりだ。間違ったこと、人としてすべきではないことを何度もした。その自覚があるから、それなりに厚みのある紙の束が恐ろしくて仕方なかった。


「悪いけど、改めて調べさせて貰ったんだ、君のこと。念の為にね。私としては此処に来てから君が真面目にやっているのも知っているし、君の腕を買ってもいる。だけど――」

 そこでチラリ、と伯爵は従兄の青年を横目で見た。

「娘には彼と結婚して、ウチが持っている子爵位を継がせる予定なんだ。だから娘の傍に、娘に執着されている君がいるのは些か都合が悪いんだよねぇ。しかも君、過去に商売女に入れあげて妊娠中の彼女を捨ててるでしょ? その彼女へは結婚詐欺まがいのことをしていたみたいだし、騎士団でトラブルを起こしたのも女絡み。申し訳ないんだけど、これ以上君にいられると娘に悪影響でしかないから、辞めてもらいたい。勿論退職金は払うし――」

 伯爵はペラペラと話し続けていたが、その時の俺は伯爵から発せられた言葉の衝撃で、何も頭に入って来なかった。

『商売女に入れあげて妊娠中の彼女を捨ててるでしょ?』

 ? それは誰のことだ? だって、嘘だろ。そんな筈ない。
 でも、俺が避妊せずに身体を交えたのはリシュリーだけだ。俺と付き合って妊娠した女、というならそれは。
 いいや、そんな筈ない! だって彼女は俺に何も――。

 その時の俺の顔は、真っ青だったと思う。


「おい、君。大丈夫か?」

「……に、妊娠中の彼女というのは、一体、だ、誰のことを――」

 
 辛うじて震える声で口にした俺に、伯爵は意外そうに眉を上げた。


「おや? 君、もしかして知らなかったの? 君が捨てた時、妊娠していたんだよ、幼馴染の彼女」


 震える手で、差し出された調査書をめくる。
 
 ――調査書に書かれた医者の名前は知っていた。王都の繁華街に近い医院の町医者だ。情報を得るのに調査員がどれだけ金を積んだかは知らないが、初診時に妊娠初期だった、との診断書が添付されている。

(これが本当なら、俺は、俺はなんてことを……!)


「そんな……」

「……取り敢えず、餞別代りにその調査書はあげるよ。紹介状も出すから悪いけど来月までには荷物を纏めて出て行ってくれ」


 豪華な執務室で、伯爵の声が遠く響いた。




✚✚✚✚✚✚




 突然の解雇にショックを受けなかったと言えば嘘になるが、それよりもリシュリーと俺の間に子どもがいた、否、いるかもしれないと知った俺はそれどころではなかった。
 来月まで、と言われたが居ても立っても居られず、直ぐに荷物を纏めて故郷の村へと出発した。

 騎士団を辞めて以降、両親とは連絡を取っていない。いつかのその内……と思っている間に伯爵家で護衛と過ごす内時間が過ぎていた。

 俺とリシュリーの間の子ども……リシュリーは、一人で産んだのだろうか。それとも……。

 村に着いた途端、あちこちから声を掛けてくる知り合いには目もくれず、俺は一目散にリシュリーの実家へと走った。それなりの長旅で身体は疲れ切っている筈だが、それさえも忘れていた。

 見慣れた屋根や畑が見えてきた。田舎の村の家に、ドアベルなんてお洒落な物は存在しない。逸る気持ちで扉を叩く。扉の向こうから出てきたのは――全く知らない顔だった。


「誰だお前はっ?!」

「はい? それはこっちの台詞なんですけど」


 気の強そうな女の声に反応したのか、家の奥から出てきた男もまた知らない顔だ。


「な、あんた達誰だ?! ここはリシュリーと親父さん達の家だ!」


 見知らぬ男女は眉を寄せ、不審そうに顔を見合わせた。


「此処、少し前から空き家だっていうから私達夫婦が借りてるの。前の住人についてはよく知らない。村の他の人に聞けば?」


 そう言って、鼻先で扉を締められてしまった。

(少し前から空き家? どういうことだ?)

 呆然としながら、取り合えず自分の実家へと向かう。

 幼い頃から何度も訪れていた家だ。間違えるわけない。確かにリシュリーの両親の家だった。なのに、空き家とはどういうことだろう。
 その疑問の答えは、両親の口から伝えられた。
 
「あんた今までロクに連絡も寄越さずにどうしたんだいっ?! 訳も分からず騎士団も止めてリシュリーちゃんと別れたって言われて、こっちは大混乱だよ! ちゃんと説明しなっ」

「そ、そんなことより母さん! リシュリーの家に言ったら違う奴らが住んでいた! 空き家を借りていると言っていたがどういうことだよ?!」


 焦って肩を揺さぶる俺に、母は大きな溜息を吐くと言った。


「あんたがリシュリーちゃんと別れたって手紙を送って来るよりも前に、突然いなくなっちまったんだよ。あたし達には何の連絡も無くね。知った時にはもぬけの殻で驚いたさ。どうしたものかと思っていたら、暫くして“リシュリーと別れた”なんて手紙が来て、そのせいかと思っていたんだよ」

「そんな……。行き先は?! 親父さんと叔母さんはどこに? リシュリーは?」

「そんなの、こっちが聞きたいね。大体、妻だった子のことをどうしてお前が知らないんだい。村長さんにだけは挨拶していったらしいけど、行き先は言わなかったそうだよ」

「なんだよ、それ……」


 がくり、と膝をつく俺の向いで母が何事か話していたが、頭が真っ白の俺の耳には何も入らなかった。


 ――リシュリー……どこに行ったんだ?

 彼女と向き合うことなく逃げた俺の声が、彼女に届くことは無い。
 何処かにいるかもしれない俺とリシュリーの娘か息子のことを思うと、その日から食事もまともに喉を通らなかった。
 
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