初恋の終わり ~夢を叶えた彼と、居場所のない私~

あんこ

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リシュリー⑲

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「リリーちゃーん! お昼だよー!」

 散歩がてら畑の手入れを手伝っていると、遠くからマイラさんに呼ばれた。畑に来たのは午前の早い時間だったが、思ったより時間が経っていたらしい。いつの間にか太陽が真上に来ていた。
 マイラさんに手を振り返しながら、転ばないよう気を付けて歩く。お腹がかなり出てきたため、足元が見えなくて少し危ないのだ。

 私は今、王都から離れたデイブさんの商会が持つ土地で働きながら暮らしている。
 デイブさんは十年ほど前、廃業寸前だったワイナリーと一緒に葡萄畑や牧場を買い取っており、そこで造ったワインやビネガー、乳製品などを自分の商会で販売しているのだ。

 ワイナリーに元々併設されていた建物があり、今はそこを改装して一部社員寮として使っているらしく、私はそこでお世話になっている。


「わぁ、今日も美味しそうっ!」


 新鮮なサラダに皮がパリパリのチキンソテー、とうもろこしの粉を練って揚げたポレンタフライにフレッシュなオレンジジュース。
 テーブルの上には商会の社員のひとり、ハマーさんの力作が並んでいる。籠に盛られている沢山のふわふわのパンは、今朝スキルを使うよう頼まれた、葡萄の天然酵母で焼き上げられたものだろう。

 デイブさんの商会では基本的にその日居る社員全員が交代で食事を作り、皆で一緒に食べる。性別も年代も様々だが、大人数でわいわいと食卓を囲むと、まるで大家族のようで新鮮な気持ちになる。此処に来てすぐに他の商会員と打ち解けることが出来たのも、この食事の時間の影響が大きい。


「ふふ、リリーちゃん、こっちに来てからすっかり食欲が戻ったみたいね?」

 チャーミングな笑顔で話しかけてきたのはマイラさんだ。彼女にはデイブさん同様、随分お世話になった。デイブさんと一緒に王都でスキルの実験に付き合ってくれた彼女が、実は牧場の責任者で、通常は王都での業務はしていないことは後から知った。
 あの時は、男と二人だと何かと良くないだろう、とデイブさんが気を回してわざわざ此処から王都までマイラさんを連れて来てくれていたらしい。

 因みに、本当の名前がリシュリーであることは大分前に伝えたのだけれど、リリーちゃんで馴染んじゃったから、という理由で、私は引き続き“リリーちゃん”呼びされている。


「はい! だって此処、何でも美味しいんです! あんなに食べられなかったのが嘘みたい」

「わかるわ~。特にハマーの作るご飯は美味しいからね~」

「あーこれでハマーがカワイイ女の子だったら俺の嫁にしたのによぉ」

「お断りさせていただきます」


 先程まで料理の腕を褒められて満更でも無さそうに照れていたハマーさんがキリッとした顔で言い、どっと笑いが起きた。

 少し前まで、自分がこんな風に明るい笑顔の輪に入れるなんて、思ってもみなかった。


 あの日――イースの心が離れたことを突きつけられた私は、悩んだ末に黙ってイースからも王都からも離れることを決めた。
 正直、弁護士のジュンさんに勧められたように慰謝料や養育費をイースに請求するかは、かなり迷った。ひとりでも子を産むと決めた以上、お金は必要だったから。

 だけど、結局それをしなかったのはイースのためであり、私自身のためでもある。

 時間と距離を置いて冷静になってみても、イースは私に酷いことをしたと思う。私に全くの非が無い、なんて言わないが、それを差し引いても彼が私にした仕打ちは不当で、不誠実で、最低だった。
 あそこまでされれば、流石にもう村にいた時のように、ひたむきな気持ちでイースを思うことは出来無い。
 それでも、イースへの幼馴染としての情はまだ私の中に残っていた。

 結婚詐欺にあった、としてイースを訴えれば、遅かれ早かれ彼の働く騎士団へ伝わるだろう。事実関係を確認され私の訴えが事実だと分かれば、恐らく何らかの処分は免れない。ジュンさんに聞けば、悪ければ免職になる可能性もあるだろう、とのことだった。

 騎士になるのが、幼い頃からイースの夢だった。

『ぼくがリシュリーをまもる!』

 事あるごとに口癖のように言っていたその約束は結局、守られることは無かった。
 だからといって、漸く夢を叶えた幼馴染からその職を取り上げようとまでは思えない。<剣士>スキルといい、騎士団の人からスカウトされたことといい、騎士という職業はきっと、イースにとって天職だ。
 だから、イースが騎士として生きる道を潰すことは私の本意では無かった。


 子どもに関しては別だ。私たちの間に子どもが出来たことを知らせなかったのは、私の我儘。
 イースは私との間に子が生まれることを決して望まないだろう。
 生まれてくる子どもから父親を奪うようなことをしていいのか、随分悩んだ。だけど、自分の存在を望まない父親がいるより、最初からいない方がマシじゃないか、って思ったんだ。

 それに、今は望まない子だとしても、お腹の子の存在を知ったイースやイースの両親がいつかこの子を奪いに来る可能性が無いとは言えない。そう考えるだけで耐えがたい恐怖と不安に襲われた。
 誰にも渡したくない。この子は、大切な私の子だ。

 イースのことは愛していたけれど、別れ際のイースの態度を思い出すと、心が凍るような気がする。
 この子をあんな男の子どもにしたくない。

 既に愛情が湧き始めているお腹の我が子。
 この子は、イースの子じゃない。
 私の子、私だけの子だ。

 だから、何も言わずに去ることに決めた。
 一人で産んで、一人で育てる。
 固く決意すると、やらなければならないことへ意識を向けることが出来た。余計なことを考えず、生まれてくるお腹の子と自分のために、新しい環境で懸命に働く。

 全くの一人って訳じゃない。デイブさんやマイラさん、商会の皆、それに仲良くなった近所の人……色々な人が助けてくれる。だけど、どんなに優しかろうと、彼らはあくまで他人でしかない。
 先のことを考えると怖くて怖くて、一度でも振り返ったら恐怖に足を絡めとられて動けなくなりそうなのは、王都にいた時と変わらない。

 夜、一人になって考える。

 いつか生まれてくる我が子に、父親がいないことを責められる日が来るかも知れない。お腹の子から父親という存在を永遠に奪ってしまったのは、私の罪だ。
 だけどそれでも、今の私にとってはこれが正しい選択だと思うから。


「ゆっくり大きくなるんだぞ。丈夫に育つんだぞー」


 寝る前の毎夜の習慣で話しかけると、ぽこり!と力強い蹴りが返って来て、私は眠りについた。
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