初恋の終わり ~夢を叶えた彼と、居場所のない私~

あんこ

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リシュリー⑳

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「じゃあ、今日はこれを試してみて欲しい」


 昼食の後、すっかり職場として馴染んだ一室。デイブさんと私の目の前のテーブルには、ワイナリーの直ぐ横に広がる葡萄畑で収穫したブドウの山が二つ。
 ひとつは普通の赤いブドウで、もう一つは白いブドウ。どちらも家庭でそのまま口にする葡萄より酸味が強い、ワイン用のブドウだ。


「白いブドウは初めてですね。確か新しく掛け合わせたオリジナルの品種……でしたっけ」

「うん、そうなんだ。まだ改良途中ではあるけれど、漸くなんとか安定して収穫できる所までこぎつけたからね。出来が良ければ、今回の品評会では挑戦して白ワインでいってみようかと思って」

「それは……結構な挑戦では?」


 この国の主流は赤ワインで、白ワインは殆ど出回っていない。そもそも、白ブドウというもの自体、殆ど生産されていなかったのを、デイブさんが苗を仕入れて来て、土地を購入した年から育て始めたみたい。
 加えて、王侯貴族のような富裕層は長い年月をかけて熟成された芳醇なヴィンテージ・ワインを好む傾向にある、と以前マイラさんが言っていた。デイブさんが本気で優勝を狙う次の品評会でも、そういった傾向に沿った物が評価されるであろうことは容易に想像がつく。

「うん、そうなんだけどね。他の人と同じことをしていても仕方ないし。俺が此処を買って商会を立ち上げてからまだ十年くらいだからさ。普通のことをしていたら積み上げてきた歴史とかノウハウとか、そういう差は絶対埋まらない。だから、違う価値観もあるんだ、ってことを広めてみるのもいいかな、って」

 真剣な瞳で語るデイブさんは、一見穏やかで物静かなのに内側はいつも情熱に溢れている。目標に一心不乱に打ち込む姿はかつてのイースに通じるものを感じさせるけれど、イースと決定的に違うのは、デイブさんは地に足がついていて、周りをしっかり見ている、ってこと。
 目標を掲げてそれに向かって努力していても、デイブさんは周囲に気を配ることを忘れない。デイブさんの商会で働く従業員は皆気のいい人ばかりで、どの人もデイブさんと同じ方向を向いている。
 誰も置いてきぼりにしないデイブさんを見ているとイースとの違いばかりを見せつけられるようで、私は少し胸が痛むような、安心するような……不思議な気持ちにさせられる。


 二人で並んで白ブドウの果汁を絞る。いきなり私のスキルをそのままのブドウに使い、すぐワインが完成する訳ではないから、事前の作業はある程度必要になる。


「赤ワインと違い、白ブドウは果汁だけを発酵させるんだ」

「うーん、中々大変ですね。上手く行ったら機械の導入も必要かも」

「お腹きつくない? 疲れたら休んでいいからね」

「これくらい平気です! お医者様にも適度に動いた方が良いと言われているので」

「リリーちゃんは頑張りすぎちゃうからなぁー」


 デイブさんの所で働くようになった私の仕事は、主にスキルを使った製品の改良。そればかりではなく、合間には牧場や畑のお世話、簡単な事務仕事なんかも手伝ったりしている。
 私は当初、スキルを使えるだけ使いまくって、ガンガン色々な商品を製造させられるのだと思っていた。だって、私の価値なんてデイブさん以外は誰も価値を見出してくれなかったこのハズレスキルしかないし。

 でも、デイブさんは私をそんな風に消費したくて声を掛けたわけではないのだ、と言った。
 スキルはあくまで、より良い品質の製品を作るために有用だと思っただけで、スキルを使って生産サイクルを早めてどんどん儲けようとか、そんなことは考えていない、と。それをすると私に何かあった時に成り立たなくなってしまうし、道具や機械のように私を扱う気は無いらしい。

 字の読み書きや簡単な計算程度なら出来るが、学も無く妊婦という働く上でのハンディまである自分を雇ってくれたのだから、と気張っていた私に、無理せずゆっくり出来る範囲で働いてくれればいい、という。
 あまりにも私に都合が良すぎる環境に心底申し訳ない気持ちになったが、一方で日々膨らんでいくお腹で新しい環境に飛び込むのは想像以上に大変だったから、デイブさんや商会の従業員の皆に甘える形で、体調と相談しながら働く日々が続いている。

 それでも、王都にいた時よりずっと体調は良くなり、気分も明るくなった。王都は王都で華やかで楽しい場所であったが、田舎育ちの場所にはどうも肌に合わなかったのだ、と今更ながらに実感する。
 風に混じる草木の匂いや、鳥や牛の声、視界が遮られることなく遠くまで見渡せる景色――今の私は、王都にいた時よりずっと楽に呼吸が出来る。


「ねぇ、リリーちゃん」

「なんでしょう」

「……元恋人の彼は兎も角、本当にご両親に知らせなくていいの? きっと心配していると思うよ」


 果汁を絞る手は動かしたまま、デイブさんがふと口にした。世間話を話す時と何ら変わらない声色だけれど、私を心配していることは伝わって来た。


「いつかは、とは思っています。でも、今はまだ……」


 イースと決別し王都を離れると決めた時、デイブさん達には一度村へ帰省することを勧められた。イースに慰謝料を請求しないことを選んだとしても、イースと別れたことはきちんと伝えておくべきだ、って。
 両親は幼馴染のイースが一緒だからこそ、当時まだ成人前だった私が王都に出て行くことを許したのだ。状況が変わったのだから、直接会ってきちんと安心させてあげるべきだ、って。

 そうすべきなのは、言われるまでもなく分かっている。
 デイブさんは「なんなら俺が一緒について行ってもいいよ。いきなり彼と別れて知らない男の商会で働く、って言ってもご両親はすっごく心配すると思うから」とまで申し出てくれた。

 それに、デイブさん達は口に出して言わなかったけれど、お腹の子のこともある。子どもを産んで育てることは、言う程簡単なことじゃない。
 出産だって命がけだし、産んで直ぐに動けるようになる訳じゃない。父親イース無しでやっていくつもりなら尚更、助けてくれる人が必要だ。両親は一人で産むと決めた私の選択を愚かだと思ったとしても、きっと、生まれてくる孫のためなら力を貸してくれるだろう。

 だけど――私の家とイースの家は近い。
 狭い村では、村人の状況なんて筒抜けで、私が王都から帰ってきたことなんてすぐに知れ渡ってしまうだろう。

 たとえ両親が私の考えを尊重し、イースやイースの両親にお腹の子の存在を黙っていてくれたとしても、この膨らんだお腹を見られれば妊娠していることは一目瞭然な以上、子どもがいることはイースの両親に直ぐに伝わってしまう。

 イースと私の間に子が出来たと知られることも、あれだけ大口を叩いたイースが村を出てすぐに私を捨てたことを旧知の人々に知られることも、私は望まない。

 イース本人はもしかしたらもう、村へ戻る気はないのかもしれない。もし故郷に戻る気があるなら、きっと私とあんな別れ方はしなかったと思うから。
 私の妊娠を知らなかったとはいえ、大切にすると誓った私をあっさり捨てたことが知られれば、イースだけじゃなくイースの両親も村中から非難されるだろう。幼い頃から家族ぐるみで付き合ってきたイースの両親にはお世話になった。楽しい思い出も沢山ある。イースと別れたからといって、その親であるおじさんやおばさんに肩身の狭い思いをさせたくはなかった。

 納得はしていなくとも、デイブさんや事情を知る人達は皆私の意志を尊重し、無理に行動を変えさせようとすることは無かった。

 此処に移り住んでから、一度だけ両親には手紙を出した。
 イースと別れたこと、王都で知り合った人の伝手で商会の従業員として働くこと、ゴミスキルだった筈のスキルでも役に立てることがあったこと、毎日元気で働いていること……。

 いつかはきちんと、両親にだけは全てを話したいと思っている。 
 イースとの間にあったことを父が知ったら、騎士団に殴り込みに行きそうでちょっと怖いけど。


「そっか。じゃあ暫くの間は、俺が生まれてくる子のおじいちゃんやらないとだな」


 デイブさんが大真面目な顔で言うので、私は思わず噴き出した。


「おじいちゃん、ってデイブさんそんな年じゃないじゃないですか! おじいさんというより……お兄さん?」

「はは、持ち上げてもボーナスしか出ないよ?」

「ボーナス出るんだ!」


 ははは、なんてふざけて笑いあっていたけれど、てっきり二十代後半くらいだと思っていたデイブさんが、実は三十台後半だと判明し仰天するのは、少し後の話。
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