初恋の終わり ~夢を叶えた彼と、居場所のない私~

あんこ

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リシュリー㉙

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 キャメル氏が訪ねてきた翌日から、デイブさんの言い付け通り、私とエレノア、それに念の為両親もワイナリーに籠もっている。私は午前はスキルを使って改良中のチーズと熟成肉の研究、午後はワイナリー内の事務所で簡単な経理や事務仕事を、両親は製品の品質管理や注文の確認などを手伝いつつ、交代でエレノアの面倒をみている。

 私たち大人三人は兎も角、軟禁状態に一番の不満を漏らしたのはエレノアだ。女の子ながら活発で身体を動かすことが大好きなエレノアは、毎日のように畑や牧場を駆け回り、時にはヤギや牛の背中に乗ってはしゃぎ、泥だらけになって遊んでいた。
 それが、突然狭い(といっても一般家庭の家より広いけれど)ワイナリーの事務所と私の寮の部屋の往復だけになったのだ。ご機嫌斜めになるのは当然で、これまでにない癇癪を起こして泣き叫んだり、我儘を言って困らせたりするようになってしまった。機嫌が最悪な時はご飯もロクに食べない。

 母親の私や両親に反抗的な態度を取ることもあり、そんな時は居合わせた他の従業員が手伝ってくれているが……限界が近いのは目に見えている。
 いつまでこんな風に過ごしていればいいのだろう。


「あれ? 納品に行ったんじゃ……?」


 先程取引のある家への納品に出かけて行ったアンディさんが随分早く帰って来たのが気になり確認に行くと、空になっている筈の荷台には未だ木箱が山積みになっていた。心なしか、アンディさんの顔色が悪い。


「うちとは当分取引しない、と言われて強引にキャンセルされた……」

「えっ……」


 どうして? と口に出しそうになった私の頭に、去り際のキャメル氏の言葉が過ぎった。

 ――貴族に楯突いたことを後悔するがいい!


「まさか……」

(私の、せい……?)

 私とエルンスト伯爵家との間にトラブルがあったことは、デイブさんから商会の皆に知らされている。顔色が変わった私に気付いたアンディさんがパッと顔を上げて笑った。


「ま、こういうこともあるさ! うちの商品に問題はない。要らないと言うなら、他でじゃんじゃん売ればいいよ」

「はい……」

 
 けれど、同様のことはそれから何度も続いた。
 貴族家や裕福な家等、取引額の多い所から一方的に契約を切られることが続き、私たちは頭を抱えていた。

 とある家に納品を断られた際、従業員の一人が食い下がって理由を聞き出してくれた。

「シーラ商会から圧力が掛かってるんだ。ネルソン商会と取引を止めないと、今後一切商品は下ろさないって」

 事情を話してくれた家令は何とも申し訳なさそうにしていたという。


「シーラ商会って……確か、王都で一、二を争う大商会ですよね」

「ああ。特に東の国の織物や西の海洋国の医療品なんかはあそこの商会じゃないと殆ど手に入らないから、天秤にかけてうちを切らざるを得なかったんだろう」

「その、シーラ商会の大元って……」

「……エルンスト伯爵夫人の生家の子爵家だ」

 
 ひゅっと息が止まりそうだった。
 だって、原因なんて明らかだ。競合でもない小さな商会をそんな大きな商会が強引に圧力を掛けてまで潰そうとする理由なんて……ひとつしかない。


「ご、ごめんなさいッ! わたし、私のせいだ。私のせいで……ッ」

「落ち着け。君のせいじゃない」

「そうよ。リリーちゃんは悪いことなんてしてないじゃない」

「でもッ」

「……他に売り先を見つければいいだけの話だ。俺、もっと営業頑張って来る」

「俺も!」

「わ、私も!」


 それなのに、誰一人私を責めない。私の軽率な言動が原因だというのに。
 後悔とこれから待ち受けていることへの恐怖で押しつぶされそうだ。


「まぁま、いたいいたいなのォ?」


 よちよち歩きのエレノアが私の膝に縋りつく。両親と別室にいた筈だが、いつの間にか抜け出していたらしい。


「ううん、いたくなんてないよ」

「いいこ、いいこォ」


 幼子のように泣くわけにはいかないと、必死に涙を堪えていたのが伝わってしまったのだろう。ぎゅっときつく抱きしめると、ぷくぷくの短い手で私の頭を一生懸命撫でてくれた。


 それからは毎日、商会の皆であちこちへ出向いてこれまでとは違う販売先を見つけることに必死になっていた。私も外に出て少しでも役に立ちたいが、万が一があってはいけないから、とワイナリーの事務所に籠って細々とした仕事をすることしか出来ないのがもどかしい。

 皆は懸命に頑張ってくれているが、その顔色から状況は芳しくないのは明らかだ。

(私が……私が伯爵家に行けば、すべて丸く収まるの……?)

 私ひとりが我慢すればいいのなら……と考えかけて、でも、エレノアを取り上げられ良い様に使われることは耐えられない、と思い直すことを繰り返す。
 両親が心配そうに此方を伺っているのは分かっていたが、私の思考は暗い方へ行くばかりだった。


「ねぇ、リリーちゃん」

 
 休憩時間にぼうっとベンチに一人で座っていると、デイブさんに話しかけられた。


「伯爵家の申し出を受けよう、とか思ってない?」

「………それは」

「そんな馬鹿なこと、絶対止めてね? 誰も幸せになれないから」


 隣に腰を下ろしたデイブさんが私の顔を覗き込む。


「でもッ……このままじゃ」

「……絶対俺がなんとかするから、変なこと考えちゃ駄目だよ。エレノアの幸せが一番、だろ?」

「デイブさん、なんとかするって……どうするつもりですか」

「うん、ちょっとね。兎に角、俺に任せて。少しの間留守にするかも知れないけど、なるべく外には出ないように」


 それだけ告げると、私の頭を時たまエレノアにするように軽く撫でてから歩いて行ってしまった。
 それから三日間、デイブさんは帰って来なかった。

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