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【30】母の癇癪 ー貴女は本当に冷たい子ー

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「それで……この督促状はなんですか?」

 食事を終え、ケーキスタンドが下げられたので、ダニエルは二人の前に送られてきた督促状を出した。

 まずはポーラから話を聞こう。
 弟を睨みつけると、彼は肩を小さくして俯いた。


「競馬に負けて……少しだけ借りたんだ。その日は友人と食事に行く約束をしていたし、どうしてもお金が必要で…………」
 項垂うなだれて、尻すぼみになっていく弱々しい声に、弟に甘い母が助け舟を出す。

「それは仕方ないわ。ポーラはマッキニー男爵家の跡取りなのよ。御友人とも付き合いがあります。みっともない事はできないでしょう」
 いや、そもそも競馬に金をぎ込むのが間違いなのでは。


「母上はこんな大金、いったいどうしたんです?」
 ポーラは広げられた母宛の督促状を見て、「うわぁ」と他人事のような声をあげた。

「それ、お願いね、ダニエル」
 悪びれもなく借金を押し付けてくる母に、ダニエルは頭を抱えた。

「無理ですよ、こんな大金!」
「そうだよ、母上。それにこんな大金、何に使ったのさ?」
「仕方がないでしょう。キキのデビュタントの準備に必要だったのよ」

 キキの名前を出されて、ダニエルもポーラも押し黙った。


 キキは二人の妹で、マッキニー家の末っ子であるキャサリン・マッキニーの愛称である。
 ダニエルに似て胸が大きく、湖のようなターコイズグリーンの瞳をしている。

 祖父の血が出たのか、艶やかな糸のような金髪で、骨太なダニエルと違い華奢でお人形さんのよう。
 面立ちは似ているが、愛嬌のあるアヒル顔のダニエルに対し、キャサリンは愛らしい清らかな天使みたいな顔をしていた。

 当然、周囲はダニエルよりも妹を可愛がる。
 父も母も家督を継ぐポーラとはまた違った意味で、この天使のような末妹を溺愛していた。

 ポーラの場合は、猫可愛がりしながらも、次期当主としてどうにかしたいと期待を寄せ、過干渉になってしまう部分があった。

 だがキャサリンには、とにかく可愛い可愛いで、「我が家のお姫様」と持ち上げる。
 マッキニー家の城の裏の支配者は、実は彼女かもしれない。


 十七歳のキャサリンは現在、首都セーラスの寄宿舎で学んでおり、弟と妹を心配した母は領地に夫を残し、頻繁に此方に来ていた。
 そして妹は来年、女学校を卒業し社交界デビューする。

 その初めて社交界にデビューする令嬢達をまとめて、デビュタントと呼ぶ。
 謂わば成人を祝う晴れの舞台であり、特に令嬢達にとっては自分の素晴らしさを未来の伴侶、姑に売り込む”お披露目”的な要素が強く、結婚式に次いで重要な儀式である。

 それゆえどこの家庭でも、できる限り娘を着飾らせる。

 世間を知らない若き令嬢達にとっても、舞踏会はお姫様になれる特別な日。
 何年も前から楽しみに待ち続け、気合を入れて準備するのだ。

 人生の一大イベントである。
 それはダニエルもポーラも理解しているが、無い袖は振れない。


「あの子の舞踏会デビューなのよ。見窄みすぼらしいドレスは可哀想よ、そうでしょ?」
「それはそうですが……でも!これじゃあ、我が家は破産ですよ」

 元よりマッキニー家はダニエルの給与をあてにした自転車操業で、毎月なんとか赤字を出していない状況。
 ダニエルの給料が上がる見込みもないし、莫大な借金を作っても返済の目処はたたない。

「私の給与で補填しても、今後の生活が立ち行かなくなります。キキの来年の授業料だって払えなくなりますよ」
 ダニエルの指摘に、母は真っ赤な唇を歪めワナワナと身体を震わせる。

 ーーーあ、やばい!

 そう思った時には遅く、母の癇癪は破裂していた。

「じゃあどうすればいいのよっ!!」
 ダン!とテーブルを叩き声を荒げたので、周囲の人達が何事かとチラチラ視線を寄越す。

「キキにデビュタントは諦めろって言うの!?そんなことしたら、嫁の行き先がなくなるわよ!ダニエル!!もしそうなったら、どう責任をとるの!?」

 なんで自分が責任をとらなきゃいけないのよ。
 責任を負うべきは、父と母では。

「貴女って本当に冷たい子ね!自分がデビュタントに出てないから、妬んで妹の将来を潰そうとしているんでしょう!!」
「そんな……」

 母の言葉が胸に突き刺さる。
 あまりの物言いに、ダニエルは絶句した。


「母上、それはあんまりです。姉上がそんな事するはずないじゃありませんか。現実的に我が家が厳しいという話をしているんです」

「だからそれをどうにかしてくれって、言ってるんじゃない!もういいわ、わたくし、気分が悪いので帰ります」
 愛息ポーラの言葉も、怒り狂った母には届かない。

「とにかく!返済してちょうだいね」

 そう言い残し、母は帽子を被り踵を返す。
 ドレスのバックレースが魚の尾びれのように揺らめいた。
 そして肩をいからせ去っていく母を、ダニエルは唇を噛んで見送った。
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