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佐々木さんと元カレ
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しおりを挟む「……泊める、だけだから」
自分のものとは思えないほど弱弱しい声が夜の闇に溶けた。
(うわ……)
自分で言って、なんて説得力がないんだと佐々木は内心悶絶した。
むしろ、言葉で忠告した分余計に生々しくなっている。
気まずい。
「ん……」
勝手に気まずい気持ちでいっぱいになった佐々木はてっきり篠田に馬鹿にされるかと思った。
「わかった……」
だが、返って来た篠田の反応は嘘みたいに静かで、戸惑うほど柔らかい。
鼻にかかったような、甘えたような鳴き声で犬のようにすり寄って来る。
それに佐々木は動揺した。
佐々木はこのときほど自分の押しの弱さ、流されやすさ、単純さを恨んだことはない。
冷静に考えれば分かる。
ぼんやりとした月明りに照らされた篠田の笑み。
それが一瞬、切なげに見えたのだ。
どう考えても罠だ。
墓穴だ。
「お前の嫌がることはしないから、さ」
よくよく見れば分かる。
篠田の切なげに潤んだ目の奥にある、計算高く薄っぺらい本性が。
「ひっ」
喉の奥から引き攣ったような呻き声が出た。
そんな佐々木の強張った顔を眺め、その顎に手を添える篠田。
鍵を取り出そうとポケットに突っ込んでいた手を咄嗟に引っ張り出し、両手で篠田の胸を押し返そうとした。
だが、一歩遅く。
ちりんっと鈴の音が鳴り、足元に何かが落ちていく。
鍵を落としてしまったのだろう。
「んっ……」
落ちた部屋の鍵を目で追おうとした佐々木だったが、視界はすぐに篠田に塞がれた。
後ずさりしようとして、背中にドアが当たる。
そのまま篠田が覆いかぶさり、深く、強く唇を押し付けて来た。
「ふ、ん……っ」
歪む佐々木の視界に、軽薄に歪む篠田の笑みが映った。
ほら、見ろ。
やっぱりこいつは、嘘つきだ。
(いや、がることしないって……!)
いや、まったく信じてはいなかったが。
せめてもうちょっと嘘を付き通す努力をしてくれ、と佐々木は心の中で絶叫した。
我が物顔で舌を突っ込んで来た男に初め抵抗していた佐々木だったが、すぐに体力が無くなり、また気持ちが折れてしまった。
(もう、いい…… 好きにして)
ここで本気で暴れて、近所に変な噂を流されるのも誰かに通報されて警察沙汰になっても面倒だ。
(酒くさ…… まずい……)
佐々木の身体から力が抜け、ついに諦めたことに気づいた篠田が更に調子に乗って来る。
「っは、」
「ん……」
唇が漸く離れてほっとする間もなく、今度は首筋を吸われる。
「まっ…… ここで、」
どうせヤられるのなら外ではなく中の方がいい。
真夜中でも通行人はいるのだ。
万が一アパートの住民に見られたら……
「ここじゃ、いや……」
そんな焦りを帯びた佐々木の懇願に篠田が顔を上げる。
若干涙が浮かんでいる佐々木の目をしばらく見つめ、口角を釣り上げた。
「やっぱ期待してんじゃ」
その妙に勝ち誇った顔にイラっとする。
嫌がることはしないって言ったくせに。
文句を言おうとして、結局佐々木は口を閉じた。
経験上、佐々木は知っている。
篠田の頭の中では佐々木はキスを嫌がっていない→だから佐々木の嫌がることはしていない→つまり嘘を付いていない……みたいな単純な方式が出来上がっていることを。
「もう、それでいいよ……」
口の中に残る酒の味に吐き気がする。
佐々木は飲み会でもほとんどソフトドリンクしか飲んでいない。
だから、今痺れた舌に残るこの苦みは篠田によって移されたものだ。
妙に温いからこそ気持ち悪い。
「とにかく、中に……」
こんな外で盛られるより部屋の中の方がずっとマシだ。
そう思って落とした鍵を拾おうと屈んだ佐々木は軽く目を見開いた。
落としたのは部屋の鍵だけではなかった。
一瞬だけ鈴の音が風に流れたことを佐々木は思い出した。
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